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堀田善衞
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堀田善衞

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串田孫一

自由気ままに、柔軟に、日々つねに考え続けるということ。そんなことができるものだろうか。 とくだん心酔したでも愛読したでもなく、影響を受けた憶えもないのに、串田孫一の著作がいく冊か手もとにある。なにかしら気に入っていたのだろう。フランス哲学者であり、詩人であり、随筆家である。山や旅の随筆家として、愛読者が多かったのではなかろうか。役者にして演出家の串田和美さんのお父上である。 本格的な哲学論としては、『哲学散歩』全四巻(筑摩書房)にとどめを刺す。といってもドイツ哲学者たちのごとくに、倫理だ理性だとギリギリ思弁を積重ねて、真理を絞り出してゆこうなんぞという気配は微塵もない。書名のとおり「散歩」だ。…

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知る道すじ

原典の正確な意味は知らない。『礼記』に当ってみたが、前後を軽く眺めた程度では、歯が立たなかった。学識不足もさることながら、それ以上に、反復を重ねて理解に至ろうとする情熱が欠けていたのだろう。 古典の文言を理解する第一の要諦は、反復である。頭脳の感性のと云ったところで、反復による体得には遠く及ばない。 数えきれぬ「自説」「曲解」に見舞われながら、なおも生残った果てにわが眼前にある言葉だ。ただならぬ生命力をもっている。私もまた屋上屋を架するがごとくに、わが反復をとおして私感を形成しておけばよろしい。 訓の正邪なんぞは学者による参考書にしたがっておけばよろしいが、含意については、だれしもに思い当るこ…

第一地帯

梅棹忠夫(1920 - 2010) 堀田善衞がアジア作家会議に出席するためにインドを訪れたのは昭和三十一年(1956)だが、その前年に、梅棹忠夫は京都大学カラコルム・ヒンズークシ学術探検隊の一員として、アフガニスタンからパキスタンを経てインドへ入っていた。ほゞ同時期に二人がインドをつぶさに観察および体験したことは、後年から思えば巨きかった。 『インドで考えたこと』(岩波新書、1957)のなかで堀田善衞はたびたび、憂鬱になったりヒステリー症状を起しそうになった自分を告白している。あまりに広大にして、あまりに複雑。猥雑と云ってもいいほど無限定かつ無際限な様相に、日本人としてなにからどう考え始めたら…

主体意識

大島渚(1932 - 2013) 弁も筆も立つ映画監督だった。声の大きいかただった。しかも美声だった。長身で美男子で、どの点から視ても説得力のあるかただった。 高校生時分から学生時分へかけて、作品からも発言からも眼が離せなかった映画監督を一人となれば、大島渚さんを挙げるしかあるまい。同感くださる同世代は多いのではないか。 大島映画を観たあと、友人間で議論するというのは、学生にとっての基本教養のひとつですらあった時代だ。深く影響を受けて、信奉者となった仲間も一人二人ではない。映画作品のみならず、雑誌への寄稿やテレビ出演も多く、文字どおり時代の潮流を牽引する一人と目されていた。 私はと申せば、映画…

二で割るわけにも

小田 実(1932 - 2007)『「べ平連」・回顧録でない回顧』(第三書館、1995)より無断で切取り。 世界中どこへでも、だれが相手でも、容赦なく自分を押出してゆける人とは、なるほどかような人のことか。それが感触・印象のすべてだった。 一度だけ小一時間ほど、小田実という人と同席したことがある。「野間宏の会」だった。他界した戦後文学の巨人を偲び、業績を研究したり資料を整理したり、遺徳や逸話を語り合ったりする、関係者や研究者や愛読者の集りだ。藤原書店の肝煎りで年一回の総会が催されていた。私は一番隅っこの会員だった。 毎年の総会では、研究者による新研究報告やゲストによる講演といったプログラムが組…

いったいどこに

堀田善衞(1918 - 98)『堀田善衞自選評論集』(新潮社、1973)より無断で切取らせていたゞきました。 『インドで考えたこと』(岩波新書、1957)について、まだあれこれ考えている。締切りも課題もなくなった身の幸せで、同じところを往ったり来たり、心ゆくまで堂々巡りしていられる。 農村地帯を観てみたいと思い立った堀田善衞は、バスを乗り継ぎ乗り継ぎしての旅に出た。ガンジス・インダス両河岸に時おり村があるだけで、あとは広大無辺の砂漠地帯だ。日干し煉瓦を積んだ箱のごとき家には窓もなく、家財道具も鍋ふたつと壺ひとつ程度。河はあっても、ひとたび大雨が降れば、眺め渡す限りの洪水となる。 食糧も乏しいが…

衣食足りて

堀田善衞(1918 - 98)『日本文学全集84 埴谷雄高・堀田善衞集』(集英社、1968)口絵 思い出してはまた、読み直したい作家の一人だ。 1ドル=360円の固定相場だったと申しあげると、ナニソレ? とお若いかたから訊き返される。日本が変動相場制に移行したのは、1970年代に入ってからである。 「アップダウンクイズ」という、視聴者参加型のクイズ番組があった。60年代から80年代まで続いた、人気長寿番組だった。開始を告げる小池清アナウンサーからは、毎週「さぁ、十問正解して、夢のハワイへ行きましよう」とコールされた。 世はまさに高度経済成長期のまっただなか。長寿番組が続くうちに、視聴者の経済事…


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