以前、『ソクラテスの弁明・クリトン』について一度ブログを書いた。 uchiunekosalon.hatenablog.com その記事を、先日あらためて自分で読み返してみた。すると、書いた当時には十分に書けたと思っていたはずなのに、どこか落ち着かない感覚が残った。読み進めるうちに、「これは大切なのに、ちゃんと言葉にしていなかったかもしれない」と感じる一点が浮かび上がってきた。 そのとき私が強く惹かれたのは、ソクラテスの揺るがなさや、死を受け入れる姿勢の必然性だった。誠実に生きようとする人が、社会とどう噛み合わなくなっていくのか。その構造自体が、今の私たちにも十分すぎるほど通じると思ったからだ。…