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出雲国
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出雲国

(地理)
【いずものくに】

かつて日本の地方行政区分だった令制国の1つ。別称は雲州。山陰道に属していた。現在の島根県東部に相当する地域を領域としていた。

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「額田部臣」銘大刀 ぬかたべのおみ めい たち

岡田山1号墳(島根県松江市大庭町)から出土した儀仗刀。鉄地に銀象嵌の施された装飾付大刀であり、刀身に「額田部臣」を意味する銘がある。6世紀後半のものと推定されている。 岡田山1号墳 銀象嵌が施された大刀 刀身の銘 参考文献 岡田山1号墳 岡田山古墳群は、意宇平野西縁の低丘陵裾部、標高約260mの室山から北方に派生した小支丘の先端部に位置する。岡田山1号墳はこのうち北側に位置する全長約24mの前方後円墳。前方部の前部(南側)に長さ約23m、幅28〜29m、高さ1.6mのいびつな長方形のテラスを備えている。 岡田山1号墳の内部構造は横穴式石室。石室は、後方部のほぼ中央から西側に開口している。全長5…

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安来 やすぎ

出雲中海南岸の港町。現在の島根県安来市安来町。出雲国の東端、伯耆への玄関口に位置し、中海を通じて日本海水運にも繋がることから、中世、水陸交通の要衝として栄えた。 隠岐との繋がり 朝鮮人集落 富田の外港 出雲の物資積出港 戦国期の安来町 関連人物 参考文献 隠岐との繋がり 「安来津」の史料上の初見である『増鏡』の記事によれば、隠岐に配流される後醍醐天皇が播磨・美作から北上して米子に出た後、安来津から船に乗って隠岐に渡っている。これは当時の山陽と山陰とを結ぶ主要なルートとみられ、安来が水陸の交通の要衝にあったことが分かる。 『増鏡』の記事にもあるように、安来と隠岐とは密接な関係にあった。文明七年(…

塩冶 えんや

出雲国神門郡塩冶郷の市町。塩冶郷は出雲山間部から出雲平野を貫流する斐伊川・神戸川の両河川が通過する要地であり、中世、出雲西部に大きな勢力をもった塩冶氏のもとで河川水運・流通の拠点として栄えたとみられる。 塩冶氏惣領家 築山遺跡 塩冶氏と神戸川水運との関わり 市町と商人の活動 関連人物 参考文献 塩冶氏惣領家 中世、塩冶郷を支配したのが鎌倉期・南北朝初期の出雲国守護佐々木氏の子孫である塩冶氏だった。しかし同氏は南北朝初期に家中が大いに混乱する。 暦応四年(1341)四月に出雲国守護だった佐々木高貞が謀反の疑いにより自刃。正平十七年(1362)三月、高貞の子の冬貞が塩冶郷八幡宮に塩冶郷中心部の神東…

小林 成久 こばやし しげひさ

石見銀山の栃畑谷の住人。仮名は万助。本拠は出雲国秋鹿郡大野荘であり、栃畑では「田辺屋敷」に居住していた。天正年間には同族とみられる小林之久・同吉久も安芸国厳島神社に回廊を寄進している。 銀山の一時的な来住者 参考文献 銀山の一時的な来住者 文禄五年(1596)、小林成久は出雲国秋鹿郡大野荘の内神社(現松江市大垣町)の随神社・神体造替に施主として関わった。その際の棟札には以下のようにある(「内神社縁起」)。 信心施主大野庄内藤原朝臣小林万助成久 当時者石州銀山桜(栃)畑田辺屋敷居住也 当時、小林成久は石見銀山にあった栃畑地区の「田辺屋敷」に居住していたことが分かる。ただ、内神社の他の棟札銘による…

国名について調べて見た④ 出羽国の考察

これは、私の日本の歴史の勉強のための覚書です。調べたこと、考えたことを書きとめてます。 令制国というものに興味があって、気が向けば調べたりしている。 令制国の国名が、どのように命名されたのか考えている。 私の郷里である秋田県は、令制国としては「羽後国」である。 しかし、これは明治元年に「出羽国」が分割され、制定された。 「出羽国」は、「羽前国」と「羽後国」に分割されたが、京から距離で前と後に分ける前例に則っている。 この時点では、飽海郡、秋田郡、川辺郡、由利郡、仙北郡、雄勝郡、平鹿郡、山本郡が所属していた。 明治4年の廃藩置県により、羽後国は秋田県、岩崎県、本荘県、亀田県、矢島県、松嶺県となる…


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