宮下文書の徐福伝において、私が興味を持ったのは以下の点です。 1.老若男女五百余名で日本に渡来 2.富士山を目指すも、到着したのが紀伊国であり、富士山に到着するまで熊野で三年 を過ごした 3.徐福の次男である福嶋が紀伊国の大山を開発した 4.日本に来航したのが孝霊天皇の時代 5.秦姓又は福を付ける氏族、地名は皆徐福の子孫又は共に一緒に来た 五百余人の子孫のしるしであり、福地姓は神々の末裔であり、秦姓は秦国より 渡来した五百人の末裔 6.徐福の次男の福嶋の子孫が徐福の霊を富士山より熊野山に分け移し、 富士山の徐福の宮を元宮といい熊野山の宮を新宮という まず、宮下文書では徐福は老若男女五百余名でや…