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事実
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事実

(一般)
【じじつ】

過去において実際にあったことを叙述したものを指す。事実は叙述によってのみ定型され、叙述されなかった過去のできごとは不定形なまま消えてしまう。客観的な事実というものは存在しえず、そこには必ず主観的な遠近法が用いられる。
──────────
上述を蛇足するに、ただあるひとりが信じていることを口述するだけで事実とされる場合があり、しがって複数の事実が矛盾しあう場合があり、またそれは少なくない。


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意味や価値に囚われずに、ただやっている事実で十分。

人はそもそも意味や価値に支えられないわけですから、何をやるにも意味や価値なんて考える必要はないんです。 意味や価値は無くても全然問題ないんです。ただ、それをやりたいからやればいいし、それに意味や価値は要らないんです。 それを楽しいからやればいいし、さらに言えば、楽しくなくてもそれをやっていていいんです。やってもやらなくてもどちらでもいいんです。そこに意味や価値はないんです。 人は気が付いたらそれをやっているし、それで十分です。 また、人はそれを必要だからやっているし、やっている事自体それで十分なんです。 それをやっていれば段々とそれが面白くなる場合もあるし、そんなに面白くならなくてもそれで問題…

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自分を支える価値や意味なんて無い。ただ在るという事実に立脚している。

人は自分にとって価値ある事、意味ある事を求めてしまいますが、よく考えたら意味なんて必要ないんです。自分にとって意味がなくたって、それはすでに自分の事なんです。 人は不安だから、何かに頼りたいわけです。すがりたいわけです。 基本的に寄る辺ないですから、何かに依存して安心したいわけです。 そこで、自分とは関係の無い事を依存して、それに頼っても、結局はそれは自分の支えにはなってくれないから、自分にとって価値あるものにすがりたいわけです。 自分にとって価値がありさえずれば、また、意味がありさえすれば、安心してそれに頼れるわけです。 ですが、実はそんなものは無いんです。そもそも、人間は寄る辺ない生き物な…

事実も認知も自分の「生きる」を変えられる。

人は事実を変えたいのか、あるいは、認知を変えたいのか。 認知の活動は、まさに自分が生きている事そのものであって、生きている事を豊かにしたかったり幸せを感じたりしたかったら、やはりそれは、自分の認知を確かにする事だと思います。 事実がどうであれ、自分の認知が確かで、それで満足し、幸せに感じられるなら、きっとそれでいいはずです。 死というものを恐れるとしたら、年齢的に死に近づいたとしても不幸にならないという事実は、認知がいかに重要であるかを物語っています。 逆に言えば、認知しだいでは、年齢的に死が遠くにあっても、死に怯えて暮らす事になるわけです。人間は、どのように認知するか、という事が重要であるわ…

身体という事実を習慣化で克服し、夢を実現する。

人間は、他の動物と違って認知の機能が発達していて、この認知によってどう生きるか、という面が大きいわけです。 事実がどうあれ、その事実に対して、人はどのように認識するのか、そして、認知するのか、この事が重要だという事です。 それは、自分の身体の状態は事実であって、どのような身体の状態であれ、自分がどの様に認知するかで、ものの見方は変わるわけです。 人間は主観的な生き物ですから、ある事実に対して主観的にどのように認識し、自らの現実として捉えるか、結局その事が重要であるというか、人間はそれでしかないわけです。 人がある目標を持って、あるいは、ある夢や願望を持って生きようとするとき、それを実現したいと…

人は常に事実の上に立ち、可能性に開かれている。

確かに、今自分はここにいる、あるいは、何かをしている、という厳然たる事実があるとしたら、その事実からどのように今後展開していくのか、という可能性は常にあるわけです。 可能性とは未知数であり、不確実な事であり、常にどうなるか分からない事であるわけです。状況が悪くなる可能性も秘めていますが、同時に、良くなる可能性も秘めています。 どの様にしても確定しないわけですが、それはすなわち、可能性と言えるわけです。 この、開かれた可能性の前に、人は常に立たされているのであって、可能性の前にして、そして、事実の上に立脚しているわけです。 事実と可能性はセットになっているのであり、対を為しているとも言えるわけで…

わたしたちは、今ある事実に立脚している。

事実は大切です。確かに今、自分は自分の足で歩いています。その事は事実であり、とても重要な事です。 確かに今、自分は自分の手で箸を握っていて、それで食事をしています。その事は事実であり、確かな事です。その事は重要な事です。 人は、事実があって、そこに生きているわけです。事実という地平の上に立って、そこに今存在しています。その事がまず、重要なんです。 人は、事実を拠り所にして、そこに立脚して、それから前進していくんです。 その先にはいろんな可能性があり、どこにでも向かっていいわけです。ですが、今自分がこの地面に立ち、そこに立っているという事実があって、それから、未来の時間軸に沿って、どこへ向かって…

囲碁の脳科学、観察事実

今まで聞いたことを含めてメモ。 詰碁が読みの力の源。 プロは500手読む。 プロは半目勝ちが読める。 多面打ちができる。 アマとの指導碁のとき、プロは一目で判断して打って、まず間違えない。 プロとアマ高段の差はパワー、読みの力の差? 頭で考えているのを身につける、自動化する必要がある。 年配でもできる、女性にも向く、国際性がある。 タイトル戦で対局中、甘いものを食べる。脳に糖分が必要か? 囲碁、将棋と扇子は合う。脳、体を冷却する意味があるという仮説。何か持っていた方が落ち着く? ハンカチを噛む棋士も。 手合い後、体重が落ちる。 奥が深い、妙手、複雑。言葉で説明できない暗黙知? AlphaGoは…

事実の真偽を判断する二つの道

ファクトチェックの定義や信頼性が揺れている、とよく聞く。どんなふうに揺れているのかを探ってみた。探る前にひとつの問いを立ててみた。「完全に中立・無謬な情報源は存在しないのか、存在するのか?」という問いだ。これに答えるため、という方向で、揺れのことを考えてみたい。「ファクトチェック」という言葉は一見、単純に「事実確認」と思われがちだが、実際には多くの視点があるように思う。まず、科学的事実、歴史的事実、社会的事実(世論や統計)など、「事実」という言葉自体が多義的である。「何を事実と呼ぶか」の基準が、分野ごとに異なっているということだ。ジャーナリズムの世界では、ファクトチェックは「公開された情報を複…

『権威と権力』なだいなだ著

最近政治問題を扱う動画をよく観ていたからか、気が付いたらお勧めに出てくる動画がそっち系ばかりになってかなり焦りました。 あんなものばかり、しかも過去の履歴からたどっているので自分の思想に合ったものしか出てこないので、それに従って漫然と観ていると自分の脳味噌が腐ってしまいます。 危ない危ない(笑)。 僕に起こるんだから、当然世の多くの人に起こっているんでしょうね。脳みその真ん中が怒りでキュウっと絞られるような感じになってきたらそれは危険信号です。 できれば自分とは全く正反対の政治ポジションの人の動画とか、そんなのを観たら余計に腹が立つと思うならお笑いの動画とかを一旦観られた方がいいと思いますよ。…

宇宙人はいない

現代科学で宇宙人の存在は確認されているが、それは報道されている(認識されている)範疇であり。 多くの研究者が議論するレベルのことである。 つまり、現代人と宇宙人は知的能力に大きく差があり認識に至らない。 そして、地球人が宇宙人と呼んでいるのは、未来の人類であって、宇宙人ではない。 そもそもこの話は人間が地球人であり、宇宙人の一種であるという議論をさておきとしてとらえてほしい。 本当の宇宙人は自我と欲望にまみれた地球人をそもそも相手にしていない。 そしてアメリカのロズウェル事件は事実であり。 ja.wikipedia.org 我々は転生輪廻を繰り返しているだけの存在である。


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