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与謝野鉄幹
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与謝野鉄幹

(読書)
【よさのてっかん】

与謝野寛。詩人・歌人など。
与謝野晶子の夫。

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MOTHERと詩人

『MOTHER-君わらひたまふことなかれ』観劇。ネタバレ?感想。 与謝野晶子、鉄幹夫妻とそこに集う若き文学者達、そしてアナーキスト。喧嘩し、議論し、語り合う。わちゃわちゃとした群像劇の楽しさ。 演劇人の感想は色々上がっているだろうから……詩人として震えた点。 「歌人」ではなく「詩人」と表現されているのが、なんだか嬉しかったのです。短歌も俳句もすべからく、詩。言葉を扱う人はみな、「詩人」である。 現代社会の中で揶揄するように言われるポエム、詩人と言うニュアンスとは違う。しっかり地に足付けて立つ詩人の姿。詩人と名乗る身には、なんだか嬉しくなる描き方でした。 一幕で鮮やかに登場した菅野須賀子、大逆事…

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6ブックマーク緑霞山宿 藤井荘 – 緑霞山宿 藤井荘は避暑地としても知られる信州高山村温泉郷に位置する老舗旅館。森鴎外、与謝野鉄幹・晶子、菊地寛、会津八一など文人墨客がこよなく愛した伝統の宿で、山田温泉は江戸時代に開湯した名湯です。長野の観光の際にはぜひ当旅館へ。幽玄たる渓谷に秋冬春夏の詞を知る。いつかは訪れたい伝統の信州旅館 緑に霞む山の宿。当荘は三方を山に囲まれ、眼下100メートルの松川渓谷に迫り出した山峡の湯宿です。春は山桜と新緑、夏は蝉時雨と深緑、秋は月と紅葉、冬は雪華と山眠るといった深山幽谷の趣きを、部屋から、湯殿から、ラウンジからも手に取るよう...fujiiso.co.jp

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誇り高き「半日花」

稽古場の床の間に向かい、一輪挿しに活けてある芙蓉の花を見ていると、その艶やかさに圧倒されるようです。それでも夢中で稽古を続けているうちに、花は萎れて下を向いていました。 この夏の尋常ではない暑さのせいばかりではなく、夏の時期の茶花には、午前中にしか花を咲かせない「半日花」が多く使われるのです。芙蓉の歌といえば、山川登美子が思いを寄せる与謝野鉄幹に贈ったのが、この一首です。 わが息を芙蓉の風にたとえますな 十三弦をひと息に切る鉄幹に思いを寄せながら、親の勧める縁談を断りきれず、郷里で結婚した登美子でしたが、翌年夫と死別し、再び鉄幹のもとに帰ります。晶子と結婚していた鉄幹との、あやうい関係のなかで…

国内旅行 岡山県へ: 3泊4日 1日目 奥津温泉

岡山県に転勤した 友人Kを訪ねて、3泊4日の 岡山県への旅へ行ってきた。女二人旅。 1日目は、 品川→( 新幹線)→岡山 →(レンタカー)→ 奥津温泉 9時過ぎの新幹線で3時間ちょっと、なかなかの距離の岡山。岡山空港もあるのだけれど、荷物の管理などを考えて、やはり新幹線を選択。 新幹線は、富士山側の窓側を予約。3時間以上と長いので、ゆっくり読書するためにもちょっと贅沢にグリーン車にて。先日のインバウンドのお客様を連れてのツアーでは、まったく拝めなかった富士山だったけれど、この旅はお天気に恵まれて、、、恵まれすぎるくらいあつくて、、、E席から ばっち富士山。 朝ごはんは食べてから出かけたのだけれ…

死を乗り越える与謝野晶子の言葉

人は刹那に生きると共に永遠にも生きる。(与謝野晶子) 一条真也です。言葉は、人生をも変えうる力を持っています。今回の名言は、日本の歌人、作家、思想家である与謝野晶子(1878年~1913年)の言葉です。 「あゝをとうとよ、君を泣く、君死にたまふことなかれ。」これは、与謝野晶子が実弟の出征に際し送った言葉です。戦中にあってこの発言は婦女子としても許されることはなかったはずです。けれども、彼女はあえて、心の中の想いを言葉にしました。 ここで紹介した言葉もなんと力強いものでしょう。人生は時間に縛られることはないのだという彼女の強いメッセージを感じます。彼女の夫は与謝野鉄幹です。子だくさんだったことも…

与謝野晶子記念館

大阪府堺市に住んでいる次男夫婦には、コロナ禍の帰省は見合わせ落ち着いてからにしようと話した。閑になったのでこちらから行っても良い。堺は千利久や与謝野晶子の出身地であり、「さかい利晶の杜」の与謝野晶子記念館へも行ってみたい。 さかい利晶の杜(同HPより) 与謝野晶子の歌は、随分まえにテレビコマーシャルで流されていた柔肌の熱き血潮に触れもみで寂しからずや道を説く君で初めて興味を持った。そもそも短歌にあまり興味がなく、彼女がみだれ髪の作者であることだけは知っていたが、みだれ髪にこの歌があったのだ。 その後「君死にたまふこと勿れ」を知った。あゝをとうとよ君を泣く君死にたまふことなかれ末に生まれし君なれ…

果てなく共に

君こひし寝てもさめてもくろ髪を梳きても筆の柄を眺めても 逢見ねば黄泉(よみぢ)と思ふ遠方へ宝のきみをなどやりにけん たゞ一目君見んことをいのちにて日の行くことを急ぐなりけり 思へどもわが思へどもとこしへに帰りこずやと心乱るゝ 以上はすべて与謝野晶子が遠い異国──フランス、パリ──に遊学中の夫(おっと)鐵幹を慕いて詠みし歌である。 明治末、西暦にして一九一二年ごろの作だろう。 愛しい貴方と、常にくっついていなければ不安で堪らないのだと、歌の本意は、そんなあたりに在るらしい。結婚から既に早や十年以上を経ているにも拘らず、これはなんたる熱愛ぶりか。世間知らずな学生が初恋に悶える心境を三十一文字(みそ…

選挙と歌と ―夫を支える晶子女史―

浦島よ與謝の海辺を見に帰り空しからざる箱開き来よ 哀れ知る故郷人(ふるさとびと)を頼むなり志有る我背子の為め 新しき人の中より選ばれて君いや先きに叫ぶ日の来よ 以上三首は大正四年、衆議院選挙に打って出た與謝野鉄幹尻押しのため、その妻晶子が詠みし詩。 内助の功といっていい。 いったいこの前後というのは日本国民の政治熱が限度を超えて高まりきった時期であり、その雰囲気に誘導もしくは衝き動かされるようにして、與謝野鉄幹以外にも、馬場孤蝶なり小山東助なり小竹竹坡なり、なり――と、所謂「筆の人」「文の人」らが相次いで出馬を表明し、いよいよ世間を盛り上がらせた頃だった。 矢島楫子が「凡ての社会運動同様、政治…


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