Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


Hatena Blog Tags
はてなブログ トップ
万葉集
このタグでブログを書く
言葉の解説
ネットで話題
関連ブログ

万葉集

(読書)
【まんようしゅう】

日本最古の歌集。
全二十巻,四千五百十六首の歌が収録されている。
成立の過程は不明。七世紀に柿本人麻呂らが集めた歌集を底本に,八世紀に大伴家持が個人的な歌集も加えて取り纏めたことは間違いないと思われるが,最終的にいつ,誰の手によって成立したものかはわからないままである*1

*1:菅原道真が最終的な編者という説もあるらしい

このタグの解説についてこの解説文は、すでに終了したサービス「はてなキーワード」内で有志のユーザーが作成・編集した内容に基づいています。その正確性や網羅性をはてなが保証するものではありません。問題のある記述を発見した場合には、お問い合わせフォームよりご連絡ください。

関連ブログ

紀伊の国の牟婁の江の辺に・・・巻第13-3302

訓読 >>> 紀伊(き)の国の 牟婁(むろ)の江(え)の辺(へ)に 千年(ちとせ)に 障ることなく 万代(よろづよ)に かくしもあらむと 大船(おおふね)の 思ひ頼みて 出立(いでたち)の 清き渚(なぎさ)に 朝なぎに 来寄る深海松(ふかみる) 夕なぎに 来寄る縄海苔(なはのり) 深海松の 深めし児(こ)らを 縄海苔の 引けば絶(た)ゆとや 里人(さとびと)の 行きの集(つど)ひに 泣く子なす 靫(ゆき)取り探(さぐ)り 梓弓(あづさゆみ) 弓腹(ゆばら) 振り起こし しのぎ羽(は)を 二つ手挟(たばさ)み 放ちけむ 人し悔(くや)しも 恋ふらく思へば 要旨 >>> 紀の国の牟婁の入江のあたり…

ネットで話題

もっと見る

関連ブログ

万葉集の世界へ飛び込もう(その3122)―書籍掲載歌を中軸に(Ⅴ)―冬と春の混乱

【冬と春の混乱】 「『万葉集』では、冬と春との混乱が見られるのであって、そこに、万葉びとの生活の反映を探ることが出来る。・・・ われわれの古典的な知識においては、四季の景物はきまっていて、雪は冬、梅は春である。・・・そういう、季節の題目は、『万葉集』の巻の中でも、もっとも新しい巻と思われれる、巻八・巻十ではおよそ定着して来て、春と夏、夏と秋、秋と冬との間には、混乱はまず見られないのだが、不思議に冬と春とには、ことに梅と雪との間には、一見、混乱と思われることがある。 上田氏は、混乱の例として次の六首を挙げておられる。 冬雑歌 一六四〇 春雑歌 一四二六 冬雑歌 一六四四 春雑歌 一四三四 冬雑歌…

神風の伊勢の海の朝なぎに・・・巻第13-3301

訓読 >>> 神風(かむかぜ)の 伊勢の海の 朝なぎに 来寄(きよ)る深海松(ふかみる) 夕なぎに 来寄る俣海松(またみる) 深海松(ふかみる)の 深めし我(わ)れを 俣海松(またみる)の また行き帰り 妻と言はじとかも 思ほせる君 要旨 >>> 神風が吹く伊勢の海の、朝なぎに岸に寄ってくる深海松(ふかみる)、夕なぎに岸に寄ってくる俣海松(またみる)、その深海松のように深く恋い焦がれてきたのに、俣海松のようにまた戻ってきて、私を妻と呼ぼうとは思っていないのですか、あなたは。 鑑賞 >>> 男から絶縁された女が復縁を訴えている歌とされます。「神風の」は「伊勢」の枕詞。「朝なぎ」は、朝、陸風から海…

万葉集の世界へ飛び込もう(その3121)―書籍掲載歌を中軸に(Ⅴ)―御冬

【秋の『御雪』】 「季節の名でありながら、『冬』がみふゆと言われているのも、みゆきの降る季節としての敬意が底にはあったとも言えるだろう。 (巻十七・三九〇一)(歌は省略) つきは原文『都芸』であるから、濁音でつぎと訓めば、冬に続いてということになるが、清濁はじつは表記では確定できない。このみ冬は、冬の真っ盛り、もっとも深い冬、冬の中での冬、といった意味にもとれるけれども、そう解する前に、もう一つ、御冬という感じ方があったことを考えておきたい。」(「万葉びとの一生」 池田弥三郎 著 講談社現代新書より) (注)前稿で、「雪が、古代の信仰の対象であったからであって、神の存在を示し、その意志を告げ知…

あしひきの山菅の根のねもころに・・・巻第12-3053~3056

訓読 >>> 3053あしひきの山菅(やますが)の根のねもころに止(や)まず思はば妹(いも)に逢はむかも 3054相(あひ)思はずあるものをかも菅(すが)の根のねもころごろに我(あ)が思へるらむ 3055山菅(やますげ)の止まずて君を思へかも我(あ)が心どのこの頃は無き 3056妹(いも)が門(かど)行き過ぎかねて草結ぶ風吹き解(と)くなまたかへり見む 要旨 >>> 〈3053〉山菅の長い根のように、ねんごろに心をこめて止むことなく思い続けていたなら、あの子に逢えるだろうかな。 〈3054〉両想いをしているのではないのに、私の方は山菅の根のように、ねんごろに心を込めて思っているのだろうか。 〈…

万葉集の世界へ飛び込もう(その3120)―書籍掲載歌を中軸に(Ⅴ)―み吉野

【吉野の雪】 「(巻十三・三二九三・三二九四)(歌は省略) ・・・地名に「み」という接頭語が付くのは・・・み吉野・み越路・み熊野ぐらいのものだろう。・・・吉野と越路とについて言えば、ともに『み雪』の降るところであることが注意される。そして、雪をことさらにみ雪というのは、単なる接頭語ではなく、また、後代のように深い雪ということでもなく、敬語の接頭語とみるべきであろう。それは雪が、古代の信仰の対象であったからであって、神の存在を示し、その意志を告げ知らせる自然現象であったからだ。・・・その降る場所が、神出現、神降臨の場所として、畏敬すべき場所として認識され、地名でありながら、敬語の接頭語を付けるよ…

春日野に浅茅標結ひ絶えめやと・・・巻第12-3050~3052

訓読 >>> 3050春日野(かすがの)に浅茅(あさぢ)標結(しめゆ)ひ絶(た)えめやと我(あ)が思ふ人はいや遠長(とほなが)に 3051あしひきの山菅(やますげ)の根のねもころに我(あ)れはぞ恋(こ)ふる君が姿に 3052かきつはた佐紀沢(さきさは)に生(お)ふる菅(すが)の根の絶ゆとや君が見えぬこのころ 要旨 >>> 〈3050〉春日野で、浅茅に標を張ってずっと自分のものとするように、仲が絶えるものかと私が思い定めたあの人は、いつまでも変わらずにいてほしい。 〈3051〉山菅の長い根のように、ねんごろに私は恋い焦がれています、あなたのお姿を。 〈3052〉佐紀沼に生えている菅の根が、引けば…

万葉集の世界へ飛び込もう(その3119)―書籍掲載歌を中軸に(Ⅴ)―み雪

【伝承の素材としての雪】 「自然現象を明らかに無視して、つねに雪が降っていると言われているのは、吉野山もそうである。 (巻一・二五。或本の歌<二六>)(歌は省略) 吉野は、山と水とをもって、万葉びとにとっては忘れられないところだが、特に『み』という接頭語が付いていることに注意がひかれる。 みよしのの よしの と言う場合、つまり、吉野の枕詞としての『みよしの』だが、こう言う時には、吉野の中での吉野といった言い方であろう。それがやがて独立して、みよしのという語で吉野を言うようになった。それはちょうど、 み(ま)くまの くまの と、並行して考えることができるわけだ。 (巻九・一七八六)(歌は省略) …

東歌(81)・・・巻第14-3520~3522

訓読 >>> 3520面形(おもかた)の忘れむ時(しだ)は大野(おほの)ろにたなびく雲を見つつ偲(しの)はむ 3521烏(からす)とふ大軽率鳥(おほをそどり)の真実(まさで)にも来(き)まさぬ君をころくとぞ鳴く 3522昨夜(きそ)こそは児(こ)ろとさ寝(ね)しか雲の上(うへ)ゆ鳴き行く鶴(たづ)の間遠(まとほ)く思ほゆ 要旨 >>> 〈3520〉あなたの面ざしを忘れそうになったら、広々とした野にたなびいている雲を見つつ、あなたを偲びましょう。 〈3521〉カラスという大慌て者の鳥めが、本当においでになったわけではないあの方なのに、ころく、ころくと鳴く。 〈3522〉昨夜あの子と寝たばかりなの…

万葉集の世界へ飛び込もう(その3118)―書籍掲載歌を中軸に(Ⅴ)―ゆき

第九章 み雪ふる秋 【み雪と深雪】 「・・・なぜ、特に雪について、敬意を示す接頭語が付いたのか。・・・四季の中で、どうして特に冬だけに御が付いて、御春・御夏・御秋とは言わなかったのか。・・・ みゆきという語には、やがて、深い雪という意味を感じるようになっていった。しかし『万葉集』では、特に深い雪、大雪というように訳さなければならないみゆきはないようである。 みやまの方は、・・・かなり早くから、深山、奥山をこの語に感じるようになっていった。・・・神楽歌の、 みやま(、、、)には 霰降るらし とやま(、、、)なる まさきのかづら 色づきにけり によって、里から見えるとやま(、、、)に対して、里から…


[8]ページ先頭

©2009-2025 Movatter.jp