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ポーツマス条約
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ポーツマス条約

(社会)
【ぽーつますじょうやく】
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『静寂(しじま)の声 乃木希典夫妻の生涯 下巻』 by  渡辺淳一

静寂の声 (下)乃木希典夫妻の生涯渡辺淳一文藝春秋1988年4月15日 第1刷 上巻の続き。 megureca.hatenablog.com 目次第四章 悲報第五章 死闘第六章 風雪第七章 春秋 第八章 永別 下巻では、日清戦争後にどんどん悪化していく日露関係の時代から始まる。 賄賂政治を行う曾根民政局長と対立した希典が台湾総督を辞任して、また休職する。そんな中、小村寿太郎が日英同盟を成立させ、日露戦争がさけられない状況になっていく。 明治37年2月10日 日本は、ロシアに宣戦布告。その5日前、2月5日に乃木希典は近衛団長に復職する。5月2日に、明治天皇から指名され、第三軍司司令となる。 そし…

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東九州紀行2024(3日目)

東九州の旅の3日目は日南市を散策することに。 日南線は南郷駅から志布志駅までが豪雨の影響で不通になり、保守作業で昼間の運休も続いていたのですが、この日だけは昼間も運行していたので助かりました。 飫肥城周辺を散策 まずは日南線で飫肥駅へ。 たまたま日南線だけにしか走っていない黄色いキハ40系に乗ることができました。飫肥駅に到着。 ここから飫肥城址周辺までは距離がありましたが、天気が良かったので徒歩で散策してみました。100名城の一つである飫肥城については別の記事で書くとして。 飫肥出身の小村寿太郎の記念館があったので入ってみました。 To Instagram撮影は自由と聞いていたので色々と撮って…

7月31日 樺太全島占領 ~当時の新聞記事と写真で紹介する日露戦争最後の戦い:樺太作戦~

(出典:新聞集成明治編年史 第十二卷:昭和15年出版:デジタル国会図書館 https://dl.ndl.go.jp/pid/1920426/1/259) 7月31日、日露戦争最後の戦いとなる樺太の戦いが終了し、日本軍が樺太全島を占領します。 (ポーツマス条約を有利に進めるために)1904年(明治37年)に起きた日露戦争では、翌年になるとアメリカのルーズベルト大統領を調停人として戦争終結の動きが起きます。 (出典:新聞集成明治編年史 第十二卷:昭和15年出版:デジタル国会図書館 https://dl.ndl.go.jp/pid/1920426/1/226) 1905年(明治38年)6月6日、アメ…

九十九人の残留者

大正九年十月の国勢調査に従えば、当時樺太――むろん南半、日本領――に居住していたロシア人の総数は、ギリギリ三桁に届かない、九十九人だったとか。 明治三十八年のポーツマス条約締結時、つまりこの地が「日本」になった直後では、およそ二百人ほどがあくまで居残ることを選んで引き揚げを拒絶したというのに。指折り数えて十五年、ずいぶん減ったものである。 (Wikipediaより、樺太の残留ロシア人) まあ、あと何年かしたならば、革命で祖国に居場所をなくした、いわゆる「白系ロシア人」らが東の果てのこの地にもはるばる流れ着いてきて、少しは人口恢復に寄与してくれる次第であるが。 とまれかくまれ、「丸太作りの小屋に…

『歴史総合パートナーズ⑯ 北方領土の何が問題?』 by  黒岩幸子

歴史総合パートナーズ⑯ 北方領土の何が問題?黒岩幸子清水書院2022年8月22日 初版第1刷発行 図書館の新刊の棚にあったのだが、どうやら学校の副読本のような感じで使われているものみたい。薄くてすぐに読めそうだったので借りてみた。シリーズになっているようで、本書は、⑯とある。 表紙裏には、本シリーズの説明が。”歴史する?「歴史は暗記もの」、自分とは関係ない過去の話。そう思っていませんか?身の回りの物事や出来事を探っていくと、きっと奥深い歴史が見えてくるでしょう。私たちはその見え方に縛られもしますが、歴史を捉え直すとき、変わりようもないと思った現在の先に、別の道が見えたりもします。私たちは決して…

35.ロシアとの対立がもたらした日英同盟、そして日露戦争へ

三国干渉後に遼東半島を清に返還させたロシアは「東清鉄道」を建設し、南下政策を進めていく。ロシアをけん制したい英国は日本と利害が一致し、同盟を結ぶことになる。次の流れで紹介していく。 ・ロシアの東清鉄道を建設・義和団事件・日英同盟・日露戦争(1904年2月~1905年9月)・日本単独での戦いとなった背景・機を見て行ったポーツマス条約 ■ロシアの東清鉄道を建設日清戦争(1894年7月から1895年4月)、三国干渉(1895年4月)を経て日本に干渉したロシアは清に対して見返りを要求する。1896年、露清密約を結び南下政策を進める。 これによりロシアは清より満州の鉄道敷設権を獲得し、シベリア鉄道と接続…

シベリア鉄道と日露戦争

シベリア鉄道(上記をクリックすると拡大します) 昨年(2016年)12月15日、安倍首相の地元山口県長門市でロシアのプーチン大統領が首脳会談を行い、北方領土問題や経済協力など話し合われましたが北方領土問題については進展がみられず、期待外れに終わりました。 北方領土問題が進展すれば、ロシアといろいろな交流事業が始まると言っていましたが、こちらも消えてしまいました。しかし、幻の交流事業のひとつ「シベリア鉄道の北海道延長」事業に興味を持ったのでシベリア鉄道を建設したロマノフ王朝の時代を調べてみました。 ロシアのロマノフ王朝は1613年にミハイル・ロマノフがツァーリ(皇帝)に就いて始まりましたが、19…


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