かつての日本では、徳川綱吉が発令した生類憐れみの令から、明治の時代まで4本足の動物を食べるのを、悪しき習慣としていた。ところが明治時代の文明開化とともに、東京では牛鍋屋さんが大流行しており、それまでは病人が滋養を摂るための薬的存在が、大衆の食べものとなったようだ。 明治32年に、白ご飯へ牛鍋の煮たものを乗っけた「牛丼」を、大阪の商人が考え付き吉野家さんとして、東京日本橋にあった魚河岸の人たち向けに開店させたのが始まり。従って現在進行形でお客に出されている、牛肉とくし切りの玉ネギの丼ではなくて、牛鍋であるので「すき焼き丼」に近い状態だったと聞く。 ▲牛なべ それに追随して、松屋の牛めし(1966…