Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


Hatena Blog Tags
はてなブログ トップ
西郷隆盛
このタグでブログを書く
言葉の解説
ネットで話題
関連ブログ

西郷隆盛

(社会)
【さいごうたかもり】

1827年〜1877年。
薩摩藩の下級武士の家に生まれたが、藩主・島津斉彬に認められ、江戸に出て御庭番(スパイ)として仕えた。薩摩藩の代表になってから、坂本竜馬の仲立ちで、対立していた長州藩の木戸孝允と薩長同盟を結び、倒幕運動の中心人物になった。
薩長の新政府軍は、武力によって旧幕府軍を破ろうとしていたが、江戸城を攻める時には、新政府の代表として幕府側の勝海舟と話し合い、江戸の町を戦火から守った。
明治新政府の主要陣の一人となってからは、廃藩置県などの改革を進め、陸軍大将・近衛局元帥*1を務め、朝鮮出兵を巡っての征韓論で、大久保利通らと意見が対立して政府を去る。
故郷の鹿児島に戻った隆盛は、士族の教育・軍事訓練・開拓を進める機関として、学校を設立。しかし、生徒・教官たちが新政府に対して反乱・内戦を起こした。これは西南戦争といわれるもので、7ヶ月にも及ぶ戦いと成った。西郷は大将として戦ったが破れ、城山で自殺した。「大西郷」。

*1:近衛師団は日本近代史において複数の重大なテロの主犯である。

このタグの解説についてこの解説文は、すでに終了したサービス「はてなキーワード」内で有志のユーザーが作成・編集した内容に基づいています。その正確性や網羅性をはてなが保証するものではありません。問題のある記述を発見した場合には、お問い合わせフォームよりご連絡ください。

関連ブログ

ラグビーリーグワン(2025-26)はじまる

ついに、わしのシーズンがはじまる。 これとともに、小生、衰えつつある心身に活力がでてくるかんじ。 なんらかの物質が出て、脳が賦活されるのだろう。 小生、職場・集会・宴会などでも、気楽な「男所帯」が好きなのは、高校・大学のラグビー部生活というのが影響しているかもしれない。 話が大きく飛ぶが、「男所帯」が大好きだった歴史上の人物といえば、西郷隆盛(せごどん)をあげることができるでしょう。

ネットで話題

もっと見る

関連ブログ

鹿児島城跡(鶴丸城)観光ガイド|御城印・アクセス方法から御楼門・黎明館・西南戦争の史跡まで見どころ徹底紹介

戦火をくぐり抜けた薩摩の名城「鹿児島城」の見どころを徹底紹介 鹿児島城跡 御楼門|140年ぶりに蘇った鶴丸城の正門 西南戦争の痕跡|弾痕が語る明治維新の終焉 石垣と堀|往時の姿を残す鶴丸城の防御構造 黎明館|薩摩の歴史と文化を学ぶミュージアム 桶の間二つ家と御池|薩摩の民家建築と庭園の名残 御楼門と石垣のライトアップ|光に浮かぶ鶴丸城の幻想的な夜 鹿児島城の歴史|薩摩の歩みを見つめてきた城 天守閣を持たない屋形づくり|薩摩が貫いた「人こそ城」の信念 鹿児島城の御城印と日本100名城スタンプ 鹿児島城への行き方|市電・バス・車でのアクセス 戦火を越えて今に息づく薩摩の誇り 戦火をくぐり抜けた薩摩…

カネも名誉もいらない人 西郷隆盛

『命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るもの也。この始末に困る人ならでは、艱難(かんなん)をともにして国家の大業はなしえられぬなり。 西郷隆盛『西郷隆盛——孤高の英雄全軌跡』(新人物往来社)』 理想に燃えて、戦ったのですが、結局、西郷隆盛は何度も島流しになりました。 奄美大島の龍郷町は、彼が穏やかに暮らした土地として知られています。 また、そこに西郷隆盛の像があり、高知の坂本竜馬の像と向き合っているという話しを聞いたことがあります。今頃、二人はどのような会話をしているのでしょうね。 西郷南洲流謫跡【県指定文化財】西郷隆盛、3度目の潜居地。龍郷集落の白間地区にある。西郷が愛加那…

西郷隆盛の命日前日、侍軍団と歩いた8km!『西郷どんの遠行』参加レポート

9月24日――西郷隆盛が西南戦争で自決した命日。その前日の秋分の日、鹿児島に行き、侍軍団と一緒に西郷隆盛ゆかりの地を巡る、およそ8kmの歴史ウォーク「西郷どんの遠行」に参加しました。 (西郷隆盛の命日の前日に開催)2025年(令和7年)9月23日(火:祝)おっさんは鹿児島にいました。この日、西郷隆盛ゆかりの地を巡る9kmの歴史ウォーク「西郷どんの遠行(せごどんのえんこ)」に参加したのです。 このイベントは毎年、秋分の日に開催される鹿児島市の恒例行事。西郷隆盛の誕生地、または西郷屋敷跡を出発し、終焉の地、さらに墓がある南洲神社までの、およそ8キロを歩きながら、彼の生涯と偉業に思いを馳せるという催…

軍服姿の西郷隆盛が見える西郷星が現れた!?

西南戦争終結間際、9月下旬から10月にかけて江戸の空に、突如、赤く光る星が現れます。そしてその星の中に軍服姿の西郷が見えたという噂が広がります。その星は「西郷星」と呼ばれました。 (出典:新聞集成明治編年史 第三卷:国立国会図書館デジタルアーカイブ https://dl.ndl.go.jp/pid/1920337/1/232) (西南戦争で敗れた年に赤い星が出現!その中には!!)1877年(明治10年)2月、政争に破れ鹿児島に帰っていた西郷隆盛は、新政府に対し兵を挙げました。西南戦争です。西南戦争は9月24日に西郷が自決するまで、九州各地で激しい戦いが繰り広げられました。 ちょうど、この年は火…

9月24日 西南戦争で西郷隆盛自決!終焉の地を訪問し撮影した2種類の動画を紹介、さらに当時の新聞記事も

9月24日、西南戦争を戦っていた西郷隆盛が自決しました。その自決の地に行きました。 (出典:新聞集成明治編年史 第三卷:国立国会図書館デジタルアーカイブス https://dl.ndl.go.jp/pid/1920337/1/177) (西南戦争)西南戦争は、1877年(明治10年)に薩摩藩の西郷隆盛を中心にした士族による大規模な反乱です。 「乱」ではなく「戦争」と表現していることが、その規模の大きさを物語っているように、この戦いは、日本史上最大規模でかつ最後の武士の反乱で、現在の熊本県・宮崎県・大分県・鹿児島県において戦闘が繰り広げられました。 おっさんは1990年(平成2年)から4年間、仕…

【歴史の闇に葬られた真実】「江戸城無血開城」の舞台裏。

歴史の闇に葬られた真実 歴史の闇に葬られた真実 江戸城無血開城 歴史は勝者によってつくられる 勝者=善と単純に結びつけてしまう思考の危険性 江戸の町に吹き荒れるゲリラの嵐 江戸城無血開城 歴史は勝者によってつくられる 我々がよく知る歴史の記述は、必ずしも客観的な事実の記録ではなく、勝者の視点や都合の良いように解釈・再構成されることが多い。 歴史は、過去の出来事を単に記録するだけでなく、その出来事をどのように解釈し、どのように伝えるかによって、人々の認識や価値観を形成する力を持つ。 そのため、勝者が自らの正当性や優位性を強調するために、歴史を都合よく書き換えることがあるのだ。 たとえば戦争や革命…

【歴史の闇に葬られた真実】倒幕が目的ではなかった「薩長同盟」。

歴史の闇に葬られた真実 歴史の闇に葬られた真実 薩長同盟 歴史は勝者によってつくられる 勝者=善と単純に結びつけてしまう思考の危険性 同盟の目的は長州藩の中央政界復権 薩長同盟 歴史は勝者によってつくられる 我々がよく知る歴史の記述は、必ずしも客観的な事実の記録ではなく、勝者の視点や都合の良いように解釈・再構成されることが多い。 歴史は、過去の出来事を単に記録するだけでなく、その出来事をどのように解釈し、どのように伝えるかによって、人々の認識や価値観を形成する力を持つ。 そのため、勝者が自らの正当性や優位性を強調するために、歴史を都合よく書き換えることがあるのだ。 たとえば戦争や革命などの歴史…


[8]ページ先頭

©2009-2025 Movatter.jp