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江藤淳
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江藤淳

(読書)
【えとうじゅん】

文芸評論家。

1933年生まれ。東京都出身。本名、江頭淳夫。皇太子妃雅子さまの祖父である元チッソ社長江頭豊氏のおいにあたる。東京都立第一中学校(現・日比谷高校)卒、慶應義塾大学文学部英文学科卒。1956年、「夏目漱石」により評論家デビュー。1962年、プリンストン大留学。
1962年、「小林秀雄」により新潮社文学賞、1970年、「漱石とその時代」により菊池寛賞・野間文芸賞、1975年「海は甦える」にて文芸春秋読者賞を、それぞれ受賞。東京工業大学、慶應義塾大学、大正大学の各大学の教授を歴任。1976年に日本芸術院賞を受賞。

1999年自殺により死去。遺書は名文であった。

心身の不自由が進み、病苦が堪え難し。去る六月十日、脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は、形骸に過ぎず、自ら処決して形骸を断ずる所以なり。乞う、諸君よ、これを諒とせられよ。平成十一年七月二十一日 江藤淳

その他の主な著作

  • 作家は行動する
  • アメリカと私
  • 一族再会
  • 夜の紅茶
  • 成熟と喪失
  • 自由と禁忌
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批評の動力

緻密な論理の筋道を辿りつつ読書することなど、おそらくは、もはや私にはできかねる。 江藤淳および後続する世代の文芸批評家たちからは、かつておおいに勉強させていただいたにもかかわらず、あらかたを古書肆に出してしまった。磯田光一、秋山駿、松原新一、入江隆則、月村敏行といった人たちだ。少し上の世代かとも思うが、篠田一士、川村二郎、佐伯彰一らも同様だ。ただ一人残してあったのが桶谷秀昭だ。 桶谷秀昭の著作には、どうにも手放しがたい匂いがある。うまく云い表せないのだが、批評の動力にかかわる種類の問題だ。 小説家とは異なり、世間的に認知されることも過不足なく評価されることもまず期待できない、批評家という渡世に…

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批評の奥行

文芸批評がたしかに新たな局面に入った、という気がしたものだ。 『殉教の美学』が出現したとき、文学も芸術思想も左翼・右翼というような表面的仕分けで片づくはずのものではないと考えた、鋭敏な学生は少なくなかったろう。たとえば安部公房は左翼的、三島由紀夫は右翼的というようなレッテル貼りをもってしては、なにを理解したことにもならぬと、学生も理解し始めたのだ。学生を盲目的にさせる魅惑的指標が「革命」から「情念」へと移行する時代が、すぐそこまで来ていた。 同世代の文芸批評家としては、飛びぬけて若くして登場していた江藤淳の、後続がようやく出てきたのだと、私は受取った。果せるかな相前後して、桶谷秀昭・秋山駿ほか…

国語教育 漱石のこころ

国語教材の『こころ』は 石原 千秋 (Chiaki Ishihara) - マイポータル - researchmapが有名。 石原氏編の『夏目漱石『こころ』をどう読むか』 https://ci.nii.ac.jp/ncid/BB15643989 という『こころ』論のまとめあり。 日本文学研究法|書籍一覧|京都 下鴨 洛北の出版社「自費出版の北斗書房」 の21章 テクスト論では、小森陽一氏の「「心」における反転する<手記>」(『成城国文学』1号、1985年3月)への疑問を示す。 江藤淳の保守主義者への思想変容過程の考察 | 学術機関リポジトリデータベース にあるように、江藤淳の夏目漱石研究も重要…

貧知の自覚

文芸批評家としての入江隆則に、注意を払っていた時期があった。 第一評論集『幻想のかなたに』に広津柳浪論の力篇が収録されてあったのに驚いた。かような入口から登場する批評家もあるのか、という感じだった。以後の批評文にも教えられた。『新井白石 闘いの肖像』からはありがたい啓蒙をいだだいた。D・H・ロレンスについてもだ。 だが批評文のなかには、これなら江藤淳でいいや、あるいは桶谷秀昭のほうがと感じさせられるものもあって、この世代の批評家のお一人なのだなと記憶した。 ふたたび入江隆則に刮目させられたのは『敗者の戦後』が出たときである。敗戦後の日独比較よりは、第二次大戦敗戦後日本と第一次大戦敗戦後のドイツ…

文章の生死

『なつかしい本の話』/江藤淳/ちくま文庫/2024年刊 最近どうも、ちくま文庫ばかり買っているような気がする。 生きているうちに司馬遷の『史記』を読んでみようかと思い立ったのが数ヶ月前。現代日本語訳としてはちくま文庫版が良さそうだと当たりをつけたものの、通読できるかどうか、あまり自信はない。とりあえず一巻を立ち読みしてから考えようと、大きめの書店の近くを通りがかる度に立ち寄ってちくま文庫コーナーをチェックするようになった。 全八巻となると文庫でもそれなりに場所をとるからか、店頭では『史記』になかなか巡り会えない。ネット書店で取り寄せたほうが早いと歯痒く思いながらも、おかげで洲之内徹のエッセイ集…

本を愛する人のための本

以前、古書店で購入した「チャリング・クロス街84番地」を引っ張り出し、昨日はほぼ1日中この往復書簡集に浸っていた。 「チャリング・クロス街84番地」へレーン・ハンフ(編著) 江藤淳(訳) ニューヨーク在住の女性作家 へレーン・ハンフさんとロンドンの古書専門店員 フランク・ドエルさんとの往復書簡をまとめたもの。 マークス社(フランクさんが働く古書専門店)に届くへレーンさんからの注文は、手紙にげんなまドルを同封するという原始的なスタイルで、これが1949年から20年間続いた。 好みがはっきりしているので、その注文にはいつも妥協がなく、送られてきた本が気に入らなければ容赦なくその旨を伝えた。 もしか…

正統性とは

今想うに、正統性とは? 江藤淳の熱心な読者だったことは、一度もなかった。にもかかわらず、宅内に散らばった雑本を掻き集めると、十冊以上が出てきてしまう。これでもまだ、夏目漱石関連は宅内行方不明のままだ。まとめてどこかに潜んでいるのだろう。 愛読者でもないのに、本が出てくるということは、おりに触れて江藤さんならこの件をどうおっしゃるのだろうという気が、たびたび起きたからだろう。書店店頭にて目次を眺めながら、ちょいと云い分を伺ってみようかという気にも、いく度もなったのだったろう。 読みえた限りでは、いつも堂々の批評だった。堂々に過ぎて拍子抜けするものもあった。また内容を記憶しないものも多い。衝動買い…

憲法と私

『落ち葉の掃き寄せ 一九四六年憲法−その拘束』/江藤淳/文藝春秋/昭和63年刊 中学校の社会科の教科書で現憲法の九条を読んだとき、私は「要するに、誰かを殺すか自分が殺されるかの二択に迫られたときは、自分が死ねってことなんだな」と理解した。それは、前の戦争で他の国の人たちを殺したことの報いってことなんだなと。30年くらい前の話だ。 今はどうなんだろう、どんな風に教えているんだろう。そのうち甥っ子に教科書を見せてもらおうと思いついて、はたと疑問がもたげる。教科書を挟んで私は、甥っ子とどんな話をするつもりなのか。甥っ子から質問されたら、きちんと答えられるか? どうもあまり自信がない。 現憲法はGHQ…

先生たちと、先生と呼んでくれた人たちへ

『閉された言語空間 占領軍の検閲と戦後日本』/江藤淳/文春文庫/1994年刊 母校で週に一コマの非常勤をしていた頃のことで、一つ悔やんでいることがある。ある学期の最後に江藤淳の『閉された言語空間』をテキストに指定したところ、翌週の提出課題で「陰謀論」との感想を書いてきた生徒がいた。私の講義が不十分だった、あるいは不適切だったということだ。他の著作を指定するべきだっただろうかと、今でも時々思い返す。 「ライティング技法ワークショップ」というのが担当した講座名だったが、私にその機会を与えた先生がいて、遡ればその先生に機会を与えたのが江藤淳だった。作文技術を身につけようと欲する学生にとって、江藤淳の…


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