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阿弥陀寺
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阿弥陀寺

(地理)
【あみだじ】

和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある寺院。高野山真言宗の寺院で、山号は妙法山。本尊は阿弥陀如来である。那智山の一角をなす妙法山の中腹にある。大宝3年(703年)に蓮寂上人によって創建されたと伝えられている。

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大イチョウ、白鳥とお月さま

快晴、風もなく穏やか。 少し遅くなってしまったけれど、相馬・鹿島のイチョウめぐり。 ● ● 中目山 岩松院 阿弥陀寺は、南相馬市鹿島区に所在する浄土宗の寺院です。 推定樹齢620年の大イチョウ。 阿弥陀寺は、応永13年(1406)の開基と伝えられています。 銅鐘は、江戸時代中期の作。 樹高は約33m。古木ですが、今でも銀杏が実ります。 「一蓮托生」は、「極楽浄土で同じ蓮の花の上に生まれる」という意味。 昔、この大イチョウの木の大きな空洞に、大蛇が住んでいました。その大蛇は、夜になると… 阿弥陀寺には、蛇にまつわる伝説が残されているそうです。 鮮やかな赤色 イチョウに負けないくらい大きい木は、セ…

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東京都昭島市 清涼な雰囲気の「阿弥陀寺」訪問記

東京都昭島市の寺社散策が続きますが、今回は真言宗智山派の「阿弥陀寺」です。 昭島市は都心より約35キロメートル西に位置しますが、前回の福厳寺から奥多摩街道を西へ10分程進むと諏訪松中通りとの交差点沿いに、阿弥陀寺の山門が現れます。 阿弥陀寺(あみだじ) 山号:宮澤山 寺号:阿弥陀寺 宗派:真言宗智山派 本尊:阿弥陀如来坐像 札所:多摩八十八ヶ所霊場第八十番 阿弥陀寺の縁起 阿弥陀寺の創建年代等は不詳ですが、残されていた板碑などから、室町時代前期の創建ではないかと云われています。阿弥陀寺は本来、小町正喜家の屋敷にありましたが、元禄初期に火災にあい、元禄年間(1688~1703)に現在地に移建され…

おでかけ記録(会津① 斎藤一さんの足跡を辿る)

東日本の各都道府県を制覇するぞー!ということで、あちらこちらに旅行している我が家。前回までは山形旅行について綴りましたが、今回からは念願の福島について綴っていきたいと思います! 念願の場所 福島・会津若松へ サイクリングで如来堂へ 中野竹子殉節之地 阿弥陀寺 よもやま話 念願の場所 福島・会津若松へ 中学生くらいの頃、たまたま再放送されていたアニメ『るろうに剣心』に心ときめいた私。特に”斎藤一”さんというキャラクターに魅了され、調べてみると史実に存在した方をモデルに生まれたキャラクターだと知りました。歴史上の斎藤一さんと、『るろうに剣心』の斎藤一さんはもちろん全くの別人ですが、どちらにもとても…

どうも税とか金勘定の文章はわからない

正徳4年3月23日。川村縫殿巾下の屋敷へ、前の主馬殿御園屋敷の仮山の石を近頃引き取る。これは仮山を造る途中の石なので引き取ると。近頃、春の買留は地居り(?)の分は金が出ず、その上一色の指図で手形を残らず借り上げ、御蔵手代本締の請け取りを売人に渡す。阿弥陀寺で諦文・西堂の談義が行われる。日々3000余りが参詣する。今日までの6日で3000両余りが集まり、方丈の手に入る。寝釈迦の像を造る資金であった。近頃聞いた話では瑞祥院様(徳川吉通正室)の御女中に瀬川という者がいた。大工、細工ならびに料理の算勘などを行っていたが、金を残すことはなかった。この度の御屋形作事の用務もこの人が全て承り、指図を造る。

文左衛門はどうも日蓮宗がお好きじゃない

正徳4年3月18日。深田宗伝が尾張を発ち、江戸へ向かう。昨日から南寺町阿弥陀寺で諦文の一七日の談義が行われる。その後、門下の法周寺から四十八夜を頼まれると。この24日頃からは南寺町・誓願寺で主以智律師の説法が行われる。その次は極楽寺で鐘鋳の勧化(勧進)を主以智に頼まれる。5月頃まで談義が行われるとのこと。これらの上人は日蓮宗へのさやあて(争い)の名人(評判)であった。日蓮宗では不満で、何かあったのか東寺町法輪寺で六老僧の肖像を作るためにまもなく二十八品の談義を始めると云々。10日から14日まで橘町高顕寺で三千仏名を唱える法会が行われる。僧や老若男女が集まる。高顕寺は昔は東輪寺、今は万松寺の末寺…

献上の馬と鷹は11日に大坂を出発しています

正徳1年9月15日。成瀬・平田・寺町の3家は用務のため召し上げるとこの日言いつけられる。馬5疋が夕暮れ前に通る。馬上には大泉太兵衛でかなり先に通り、碓氷清左衛門が馬上で馬についてやって来る。小串□馬装束などは華麗であった。丸提灯には尾の字の紋が入り、伝馬町二町あたりの南で提灯を灯した。朝鮮人3人がやって来る。次官は乗物、中官はかけ馬に乗り、何れも笠をかぶっていた。見物の者があふれる。夜になって戸々5軒ごとに両町ではあんどん(行燈)を出す。いずれも台に乗せ、寸法などは皆同じであった。辻々では両側からあげ提灯を4つずつ灯した。押の者はいたが、五十人目付はいなかった。鷹は戌(午後7時)過ぎに12つり…

周防阿弥陀寺 あじさいまつり

16日、日曜とあって車が長蛇の列。徒歩で出直すと駐車場には見慣れた方が整理係やってます。体協の理事で日頃からあじさいのお手入れもされているそうです。あじさいだけではなく、ほかにも沢山咲いていました。 日陰がないので倒れないで! 入山料を納めて山門へ 出迎えあじさい 奥が山門 重要文化財の仁王様 鎌倉時代の製作 途中脇にそれるといくつか橋がかかってます 参詣者を見守るお地蔵さん 途中の水車小屋 参道の木漏れ日 日影が涼しい 本堂裏に咲く睡蓮 半夏生の群生 かわら投げの前に咲くあじさい 思い思いの時を過ごす 水かけ五大尊 帰路の途中、交通安全協会の方に出会い先般のスポフェスのお礼のあいさつをすませ…


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