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Valid XHTML 1.1!Forbidden Fruits連載第?回

マイケル・レーマンの偉大……それと藤幡正樹

(『CUT』1991年12月)

山形浩生



 マイケル・レーマン、マイケル・レーマン! 今回の文は、この名前を 10 回唱えるのが最大の目的です。マイケル・レーマン(これで 3 回目)! 連載開始一周年記念にあたる今号は、同時にマイケル・レーマン監督処女作「ヘザース」ビデオ発売記念号であり、かれの第 3 回監督作品「ハドソン・ホーク」公開記念号でもあるのです。隣の欄でなにを取り上げようとも、ページを隔てたこっち側では圧倒的にマイケル・レーマン支持の嵐。「ハドソン・ホーク」は本国ではボロクソだったそうですが、健全なだけのアメリカ人に、あの発狂したギャグがわかるものですか。「バブルがはじけた90年代、これからは錬金術の時代よ! 世界経済は崩壊し、コングロマリットは空中分解、株屋はまとめて首をくくるわ!」ですもの。サラリーマンのわたし、さる理由から特にこの最後の一節に大喝采でございます。

 「ヘザース」は前に絶賛した通り。一時は主演のウィノーナ・ライダーがえらいのかと思って、彼女が出ている映画をはしごしたけれど、どれも「ヘザース」の前ではふやけてしまう。ファッションから小道具からストーリーから、すべてやりすぎのこの映画、やはりえらいのは監督。マイケル・レーマン!

 マイケル・レーマンに匹敵する収穫が、藤幡正樹作品集「FORBIDDEN FRUITS」(リブロポート)でした。帯の惹句で、浅田彰という人が、この本の作品について「真の意味でのヴァーチャル・リアリティのもたらす純粋な頭脳的官能」と書いています。ヴァーチャル・リアリティ(VR)ってのを知らない人はとりあえず、コンピュータにつながったちっちゃなテレビを左右の目玉の前にぶらさげて、ひもつきの手袋をはめてウロウロするような話だとお考えください。

 わたし、VR というものには非常に興味を持っておりますが、一方で今の VR 研究にはまだあまり期待していません。期待が大きいと、荷が重いですから。会社でも本業の傍ら、VR もどきをこしらえるプロジェクトをやってますが、試作レベルのおもちゃならいざ知らず、実際の仕事に使える商品となると難しいもんです。いまの機械の処理能力だと、莫大な CPU パワーを注ぎこんだあげくに、せいぜいが分厚いビニールシートにくるまれたような状態で「見る」とか「いる」とか「つつく」しかできないのが現状です。

 コンピュータの処理能力の向上で、ここらへんのもどかしさはいずれ改善されるかもしれません。でも、もう一つあります。VR が騒がれるのは、コンピュータ内のデータをいじくることで、究極的にはどんな世界でも、どんな物体でも目の前につくりあげられることになっているからです。自分の願望を即座に目の前に作り出せる、というのが下世話な人々の妄想をかきたてるので、皆さんはしゃぐわけです。でも、目下 VR 関連企業の悩みの一つは、願望どおりのものをデータとして作成するツールがない、ということです。あっても、おそらく大多数の人々は自前の妄想を具体化しようとはしないで、出来合いのデータを買ってすませるでしょう。要するにみんな、ヴァーチャル・デパートでヴァーチャル家具を買い、ヴァーチャル住宅に置くという退屈な世界を向こう側でも好き好んで続けるわけです。

 藤幡正樹は、それ以外の世界を作りだせる数少ない人物です。「FORBIDDENFRUITS」は、多面体のアルゴリズム変形によって得られたコンピュータのメモリ内のかたちを、光硬化樹脂でひきずり出してきた作品集です。そこに登場する変テコで不思議な「かたち」は、これまでどこにもなかったものなのに、妙な秩序を感じさせます。これまでになかった以上、そこには何の意味もくっついていません。美しいと呼んでいいのかもわからない。そのかたちをサンゴの中に置いたりして、自然との類似性を示そうとした写真も登場しますが、成功していません。それはひたすら、これまでどこにもなかった不思議なかたちなのです。

 今のVRは、こちら側の世界のできの悪い再生産へと向かっています。しかも高い金を払って。でも、「FORBIDDENFRUITS」は、それ以外の世界の可能性を実証してしまいます。こちらがコンピュータの中に出向くかわりに、かれは向こう側のまったくちがう世界から証拠品をもぎとってくるのです。その昔、アルゼンチンにボルヘスという作家がいて、片面しかない円盤や、無限のページを持つ本など、有り得ない存在がこの世界に一瞬侵入してくるという小説をたくさん書きました。つまらなくはなかったけれど、しょせんは紙の上での観念のお遊び。でも藤幡正樹の場合、その異世界の円盤や本が本当にこの現実に転がりこんできてしまう。ボルヘスとは感動のレベルが断然ちがいます。マイケル・レーマンの誇張による「やりすぎ」とは別ですが、藤幡正樹も日常的なリアリティの一線をあっさり踏み越えた偉大な「やりすぎ」の人です。

 もう一つ「FORBIDDEN FRUITS」のすごさは、ここに収められた藤幡自身の創作プロセスに関する考察にあります。完全に操作的に記述される創作プロセス。これまでのあらゆる創作活動において完全なブラックボックスでしかなかった部分が、脳とからだと道具とプロセスの関わりとして整理しなおされています。同じ本に文を寄せている文学屋さんと美術屋さんが、夢想だの幻想だの、神の領域だの魔術性だのと、ブラックボックスをさらに真っ黒にするだけのだらしない感想文しか書けていないのにくらべ、藤幡の明晰な分析には工学的なエレガンスと機能性があります。後から来た人間が、それを足掛かりにして次の段階に進むことができる、本当の意味で「役に立つ」思考。それが 2,000 円弱で手に入ってしまうのですから、すごい世の中になったものです。ついでながら、月刊「スーパーアスキー」1991 年 9 月号には、Unixc-shellでのプログラミングレベルにおける藤幡の創作プロセスがもう少し具体的に述べられているので、関心のある方はチェックしておくべきでしょう。

 最後にノルマ処理を。マイケル・レーマン、マイケル・レーマン(これで 11 回)。当初の目的を無事果たしましたので、これから野阿梓「バベルの薫り」にとりかからせていただきとうございます。この方も、別の意味でやりすぎの人なのですが、このご報告はまた次回ということで、とりあえずはごきげんよう。



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