昔、Voiceに、オリンピックに経済効果なんかないし、無理して誘致すべきでない、というコラムを書いた。
オリンピックには経済効果なんかありません。(2007/05)
2007年の話で、ここで話題にしているのは、2016年リオデジャネイロオリンピックが選ばれたときの話。ぼくが言ったとおりアメリカ大陸になったでしょー。
で、その中で話題にしている研究というのは、以下のものだ。
Jeffrey G. Owen (2005) "Estimating the Cost and Benefit of Hosting Olympic Games: What Can Beijing Expect from Its 2008 Games?"The Industrial Geographer, Volume 3, Issue 1, p. 1-18
こうやっても君たちは読まないだろうから、ざっと訳してあげました。
ポイントとしては、
ちなみに、ここで話題になっている北京オリンピックのその後はどうなったかというと……
あと、文中で強調されている公害や環境対策は……ないよりはましだったかもしれないが、どうだろう。その他地下鉄とかできたりして、多少よかった面はあるかも。でもたぶん、全体としては決していいことにはなっていない。ロンドンも、最初がひどかったのでだんだん後から評価はあがって、メダルが結構きたことでイギリス人たちは「ま、いっか」的に認めているとのことだけれど、きちんと見ると、たぶん負担が突出してるんじゃないか。
で、東京オリンピックが何かマシなことになるかというと、たぶんならない。ものすごい投資をするようだが、その大半はほとんど一過性で何の役にもたたないものになり、終われば忘れ去られる。都民はおそらく、使われない遊休設備のO&M費を負担させられる。失業があるので、何もしないよりはマシという俗流ケインズ的公共投資にはなるだろう。でもいまの調子で景気が上向けば、オリンピック準備たけなわな頃には、たぶん完全雇用に近づいていて、いまアナウンスされている「経済効果」のほとんどは、他のプロジェクトの効果をこっちに移しただけとなる。ホテル代はやたらに上がるだろう。
そんなところ。
さてぼくの立場はぜんぜん2007年から変わっていなくて、オリンピックなんかやんないでほしいと思っている。でも、どうしてもやるんなら、それが役にたつとか施設整備とか景気刺激とかインフラとか、そういうインチキなお題目でそれを正当化しようとしないでほしい。これは高価なお遊びの無駄遣いでしかない。それを経済大国として負担できますというポトラッチとしてやるというのであれば、御大尽遊びと割り切ってやるのであれば、それはそれで結構。オリンピック自体が好きで、それを喜んで負担しましょうというなら、そういう趣味もあるでしょー。でも、それ以上のものだとは思わないでほしいな。
なお、当然ながらいまの段階では、施設はめどがついていても、それをどう使うのか、どんな仕切りにするのか、会期後はどんな使い方をするのか、その他何も決まっていない状況。したがって、今後何か実に見事な計画がまとめられて、あっと驚くようなすごい効果が出る可能性は、ゼロではない。バルセロナくらいに成功することも、考えられなくはない。が、標準的なパターンを見ると、それはとてもむずかしいことなのだ、という認識は必要。それに、それなら大阪とか、あるいは仙台や福島にやらせたほうが成長余地とかいろんな意味で……が、それは言っても仕方ないか。
またこれは、経済効果の話。国民の士気があがってアーリア人の誇りに目覚めるとか、八紘一宇の理想を広めるとか、そんな方面でよいことがあると主張したいなら、それはまた別の世界の話。そのためにこれから数十年にわたりかなり多額のお金を負担する価値があるのだと胸を張れるなら、そういう立場もあるんでしょう。ロサンゼルスでライオネル・リッチー独演会が展開されたのはアメリカの国威発揚に貢献したと思う人もいるんだろうし。でもそれは、経済効果とは別の話だ。

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