Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


Close To The Wall

劉慈欣『三体』三部作

積んで数年読んで数週、ようやく読み終えた……。

『三体』

世界的に話題となった現代中国SFの三部作、第一部。文化大革命で父を惨殺された葉文潔と、ナノマテリアルの研究者汪淼の網膜に映る謎のカウントダウン、そして太陽が三つあるために幾度も滅びる世界を体験する奇妙なVRゲームといった諸要素がある一点に収束していく。文庫も出たけれど私は単行本で数年前に揃えていて、そろそろ読むかと読みはじめた。実は内容をほとんど知らずファーストコンタクトものということすらおぼろげだったので、なるほどこうなるのかとなかなか面白かった。でもここまでの分量を費やして序章なのかよ、という感じもある。

リーダビリティが高いとはいいつつサクサク飛ぶように読める感じではなくぎっしり書き込むタイプでまあまあ時間が掛かる本だけれど、文革という歴史、基礎科学の重要性と人間が巻き起こす生物の絶滅、大風呂敷を広げたSF設定、そして終盤のサスペンスと色々詰め込まれていて濃密だ。素粒子物理というか何たらで余剰次元がどうこうとは聞いたことがあるけれど、「陽子の二次元展開」って無茶なアイデアが出て来て、訳者の言うベイリーばりの展開とはこれのことかと。ナノマテリアルのスライス作戦も陰惨だけどまたすごいアイデアだった。某怪奇ファイルのドラマ思い出した。

侵略異星人から虫けらと呼ばれていたところに、イナゴ被害を目の当たりにしながら未だに人類は虫に勝てていない、と抵抗を志すところは良かった。しかし同時に人間が多数の生物種を絶滅させていることにも触れていて、『沈黙の春』もそういう意味があるとは思う。本作で書名がでてくる本が、カーソン『沈黙の春』とシンガー『動物の解放』、自然破壊への警鐘と動物の権利についての本だというのがなかなか示唆的で、まあ両方私は読んでいないけれどどちらも今年新版、新訳が刊行されている現役の本でもある。

「円」がここから切り出された短篇だとは聞いていて、短篇版は読んだけど本篇でどういう使われ方をするのかと思ったら語り手を変えたとかいうレベルではなく基幹アイデアを転用して短篇用に書き直した、といえる感じでかなり違っているのでどっちかを読んでいてももうひとつを読む価値がある。

これ自体で単行本で400ページ超、文庫で600ページ超という大作だけれど、第二部は五割増し、第三部は倍、と2000ページ近い分量がある。疲れるぜ。

『三体Ⅱ 黒暗森林』

異星人との接触と侵略のための宇宙艦隊の襲来が400年後と判明し、しかし智子によって素粒子レベルの科学研究をブロックされてどう三体人に対応するか、というシリーズ第二部。三体人との頭脳戦の様相を呈していて面白いけどその決着が今作で付くのは驚いた。

侵略者と地球の対決を本格的に展開するために、智子によっても個人の内心の計画は盗み見ることはできないという設定で、地球で四人の「面壁者」という理由の説明なく資源を活用して三体人対策を行える人間を選び、この四人の行動の謎を焦点にすることで話を個人レベルに落とし込んでいる。三体人の特性として内心と発言の差異がない、他人に対して隠しごとが存在しないということが明らかにされ、生物としての特性から生まれた文化の違いがギャップとして生きてくる。ここら辺はかなり漫画的でもあるしなるほどエンターテイメントとして上手いところだと思った。

殲滅された宇宙艦隊の生き残りが本題となる理論のモデルケースとして描かれていたり、「呪文」が何だったのかが明かされ暗黒森林理論の意味が分かるあたりで既に水滴が太陽を封鎖している、という流れもなるほどなとなった。呪文の下手人は三体人かと一瞬思ったけど違うんだよな。冷たい方程式というSFテーマがあるけど、暗黒森林理論はそれの宇宙全体への拡大版のように思える。ここら辺も伝統的なSFらしいところだ。猜疑連鎖と技術爆発と限られた資源という宇宙社会の公理によって、誰もが声を潜めている宇宙。

しかし、特に展開として気になったのは200年後の人類が何故これほど楽観的な浮かれポンチになっているのかが説得的に描かれているとは思えないところだ。科学研究を封じられているという超科学的な仕打ちを受けているのにここまで上から目線になれるというのは一体。

あと、それを問題視するかどうかはともかく男性原理的な話だと思う。文潔という魔女は置いておくとして、ルオ・ジーが理想の女性を得たり山杉とハインズの関係、東方と章北海の関係あたり、女性に理解できない深淵を思考する男性、みたいな構図が感じられる。それとともに、冬眠によって未来人と同時代に生きる西暦人が始終メインとなっていて、艦隊壊滅後の反応などでも未来人が子供、という発想が根強くて、とにかく過去から来た西暦人が強いのは長幼の序にしても極端に思える。逆に日本SFは若者が強いのかも知れない。

銀河英雄伝説』のヤン・ウェンリーの言葉を引用して「かかっているものは、たかだか国家の存亡だ。個人の自由と権利にくらべれば、たいした価値のあるものじゃない」というくだりを引用したり(上巻186P)、全体主義への批判というのは全体のテーマにもなっている。

ただ生きているだけでは、生存は保証されない。発展こそ、生存を確実にする最上の道だ。長い旅路のあいだに独自の科学技術を発達させ、艦隊の規模も大きくする必要がある。中世と大峡谷時代という歴史は、全体主義的な体制が人類発展の最大の障害であることをつとに証明している。星艦地球は、活気のある新しい思想と創造力を求めている。それは、人間の個性と自由をじゅうぶんに尊重する社会をつくることでしか実現しない (下巻243P)

全体主義的な体制は科学の発展に対してもっとも大きな壁となることを繰り返し指摘する作品が中国から出て来るというのは面白い。

陸秋槎の解説は興味深く、暗黒森林理論とはつまり「密告」で、第一部冒頭で文化大革命が描かれたのはそれがもっとも密告を奨励する時代だったからだ、というのは鋭い指摘だと思った。ただ、恋愛や女性キャラの描写への批判は理系男性作家に対する紋切り型にすぎないと切って捨てるところは気になった。前述したようにそれを強く批判するかは別として私も全体を通して男性視点を強く感じたし、解説者がその批判は紋切り型だというのなら批判に対する反論を知りたいのに紋切り型だ以上の言及がないので困った。第三部、天明のくだりとかオタク男子のロマンすぎる、とは思うし。文庫版でこの文言がトーンダウンしているのは如何なものか。

ルオジーと史強によるバディ感は楽しいし、選抜された人間四人と異星人の協力を得た人間との知恵比べ合戦という仕掛け、異星人の送り込んだ水滴という異質な物体の巻き起こす事態、宇宙艦隊の流浪などなど、確かに三部作では一番エンタメとしての魅力が高い巻になっていると思う。

『三体Ⅲ 死神永生』

三部作完結篇。前巻で大森望が第三部はワイドスクリーンバロックだと言っていてこの人はそれ好きだなあと思ったけど確かにという感じのドでかい風呂敷を広げる大作で、三体人との戦いを前哨戦としつつ終盤に向け加速度的にスケールが拡大していく。

二部はわりと男性原理的な作品と思ったと書いたけど、第三部は雲天明まわりがあまりにもナード男性のロマンって感じがすごかった。さして親しくない思い人に末期に転がり込んだ金を使って匿名で星をプレゼントというのもすごいしそれに女性側が嫌な気持ちにならないのが一番のファンタジーだ。この唐突なプレゼントを程心がきちんと尊重して大事にしてくれるというのがね。それが幻想だからこそ二人の運命は作中のようになった、ということではあるかも知れない。程心に艾AAという作中のほとんどの時間を共にする女性のパートナーがいるけれど、どうもちょっと便利な存在止まりだった。

第三部を百合と見る人もいて確かにAAはどこまでも一緒に行動をして人生を共にする覚悟があるんだけど、関係の描写がそのわりにはドライに感じるし話の都合上置かれた人に思える。同性愛描写に取られると検閲的にまずいのかも知れないけど、二部のルオジーと史強ほどの個性がない。

階梯計画で三体人に脳だけを送り込まれた雲天明と地球の程心の距離をロマンスとして据えつつ、三体人たちの間で知ったことを雲天明が物語の形として伝えたものを解読していく中盤の謎解き、そして未解読の部分が後々の超技術の伏線にもなっていることや、終盤の加速度的な時間経過を経て、宇宙の果てまで時間が進んでいくありさまはなるほどハードSFの極点という感じで、あまりに大きな時間的スケールは読み終わってもなんとも果てしない感覚に襲われるものがあって、宇宙の終わりまで描くSFは時々あるけれど、そういう作品特有の感覚、それがある。

暗黒森林理論という資源が限られるなかで密告を怖れて皆隠れ潜んでいるという状況はフェルミパラドックスの一回答というよりは、科学、知性ひいては人間にとってそれは好ましいものではないというスタンスを前提としたもので、だからこそ宇宙は生まれ直さなければならないわけだ。

第一部は密告で父を殺された娘がより強い宇宙人に人類を密告する話で、第二部は密告された人類がその宇宙人より強い別の宇宙人に密告するぞと脅して相互確証破壊の冷戦状態に移行する話で、第三部は平和主義者に核のボタンが渡ったら難なく侵略されて最後はこんな密告社会なんて消してしまえ、だろうか。

しかし三部の主人公程心はなんか欠如としての女性という感じがある。ルオジーにもウェイドにもなれない、平和主義、受動態としての女性。このシリーズで勇気ある決断をするのってみんな男性じゃないかな。男性に印象的なキャラは多いのに女性だとちょっと、って感じ。

誤警報で脱出騒ぎになった時にロケット噴射で惨たらしく多くの人が死ぬ場面があり、そこで知能の高い子供を選別して自船に乗せるというハードな場面があったのにあの子供たちが後でまったく出てこないのは不思議だった。オーストラリア大移住も大ごとのわりに何だったのかとは。

ここら辺まで書いたあたりで翻訳で原文のミソジニーな表現がかなり和らげられているという話を見たけど、なるほどそうだとすると色々不可解なところも納得できるなと思った。未来人が男女ともに女性化していてというのが批判的に描かれていたところもそうだけど、AAと程心の関係は検閲下で同性関係を描きたいわけではなかったんだろう。そう考えると第三部を百合だと喧伝するのはやはり軽薄にすぎるのではないかと思う。

男女の二元性への疑いもなく、人間とは何か、認識とは何かその他現代SF的なテーマがほとんどなくて、色んな意味で極めて保守的なSFだと思う。元々20年ほど前の作品だというのもあり、中国における表現の自由も勘案しなければならないだろうけれどもその時点からしても古い気がする。

ファーストコンタクトものなのに三体人と直接会わないまま終わるというのも特徴的だ。三体人と出会うことで今ある人間存在を相対化される契機を避けた、のかも知れないし、本作がベースにしている閉ざされた領域の構図には外部と接触することはできない、というスタンスかも知れない。

三体人による科学の封鎖、太陽の封鎖、あるいは暗黒領域その他、本作はずっと閉じ込められることの恐怖を描いていて、それは人間が触れ得る宇宙の普遍性の一端としての科学を殺される、ということをベースにして描かれているように思う。まあでも一番気になるのは冷凍睡眠便利すぎってこと。

プロフィール
id:CloseToTheWallid:CloseToTheWall

東條慎生。季刊「未来」に後藤明生論を連載(2016-2017、全六回)。幻視社のサイトで後藤明生レビュー、向井豊昭アーカイブ、鶴田知也ノートを公開しています。共著に『北の想像力』『アイヌ民族否定論に抗する』『ノーベル文学賞にもっとも近い作家たち』。

検索

引用をストックしました

引用するにはまずログインしてください

引用をストックできませんでした。再度お試しください

限定公開記事のため引用できません。

読者です読者をやめる読者になる読者になる

[8]ページ先頭

©2009-2025 Movatter.jp