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最近読んでたラノベなど2024.12

ピクニックはラノベか?とは思うもののまあここに入れるのがちょうど良かったのでまとめた。

宮澤伊織『裏世界ピクニック9』

巻としては新展開への序章という感じだけど「空鳥」という関係になった二人が対外的に説明するには「付き合っている」としか表現できないという「恋愛」の文脈と、恐怖をもたらす「怪談」の文脈の双方を用いて「人間」とは何かを問う作品の軸を明示していて面白い。

愛おしいという言葉は厭うから派生したという「愛」の語源論を通じて、愛情と恐怖の感情とを重ね合わせるように三つのエピソードが連ねられていると思われる。「獅子の卦」のエピソードは愛おしいと厭わしいとの重なりを二者一体となったシシノケを通じて描き、「カイダンクラフト」はマインクラフトを踏まえて怪談無限生成プログラムを使って認知領域を広げ、恐怖を通じて人間にアクセスしてくる裏世界の言語モデルを作ろうというなかなか尖ったアイデアを示しながら、霞を養子縁組した小桜の話から空魚の嫉妬という愛にも通じる感情を描き、「第四種たちの夏休み」で潤巳るなの空間デザイン、辻の魔術などから認識に影響する文脈の話を語りつつ、愛と恐怖とが人間を文脈に乗せてくる点で同一だ、という空魚の発見に至ることになる。

恋愛というもの、怪談というものを文脈・認識の様相から捉えるのがSFホラーの面目躍如という感じで、タイトルはストルガツキーだけど核心はレム『ソラリス』だな、と思わせるものがある。ここから裏世界攻略篇が盛り上がっていく感じになるんだろうか。愛情と恐怖、それはつまり鳥子の嫉妬として作中何度か怖い顔を披露しているあたりにも反映している。

「イギリスの正式名称は、グレートフリテンおよび北サンマランド連合王国って言うの。もともとケルト系の先住民フリテン人ってのがいて、いつも麻雀をやってたんだけど、メンツが一人抜けてできなくなった。それで生まれたのが三人麻雀(サンマ)ってワケ」76P

この滔々とデタラメが流れる面白さ。

零余子『夏目漱石ファンタジア』1~2

作家の自由を守る武装組織「木曜会」を設立した夏目漱石が暗殺されその脳は樋口一葉の体に移植されていた、という旧題『シン・夏目漱石』としてネットで話題になった「文豪」バトルラノベ。色物と思いきやエンタメとして整っていてネタ的な派手さもあるのが強みか。

森鴎外野口英世によって移植手術を行なわれ、美女樋口一葉の体を得て蘇生した夏目漱石が、自身を襲った暗殺者の正体、そしてブレインイーターという作家の脳味噌を奪う殺人者の謎を追いつつ、講師として女学校に潜入して学問を教える、というまあなかなか素っ頓狂な話ではある。

これどうなるんだろうなと読み始めたら政府と社会主義とがともに作家を抑圧するものとして並列されているのはだいぶアレじゃないかと思ったし「月が綺麗ですね」を多用するところやラノベっぽさを出す時折俗な言葉遣いにうーんと思ったけど、途中からは結構見直した。

漱石の命を奪った小銃擲弾(ライフルグレネード)から始まった話が、本篇ラストで「号砲」で終わる構成美もそうだけど、伏線、構成、キャラ配置などなどかっちりと組まれている感じで、突飛なように見えた設定やらが綺麗に収束していく組み立ての面白さがベースにあるのが強い。

「幻影の盾」について漱石が兄嫁に懸想していたという江藤淳の説は有名だけど、今作では漱石と一葉が幼馴染で許嫁だった(縁談の話は兄だったけれど漱石ともあったという説がある)という設定でヒロインを作り、また則天去私が一葉由来の思想だという独自の設定もそう使うのかと。以下の動画でも触れられてたけど、今作で漱石武装組織を作る個人主義から表現の自由を絶対視する立場で、一葉は医学の力を借りず病死を受け入れる則天去私の思想を持っていたことになっていて、つまりこれで後期漱石の思想的転換が説明できる、というわけですね?
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動画では人文的存在に対して理系的存在がカウンターになってるのが面白いとも言ってて、確かに施術者野口英世は食えないやつだし、今作では協力者だけれど敵対する可能性もある存在として政府側の軍医総監鴎外という緊張関係があったりする。最後の登場人物の医者もそう。

突飛な風に見えるけど、話がかっちりしているところに飛び道具的なネタを持ってきている感じ。芥川龍之介芋粥ならぬタピオカミルクティーを売ってるとか、鈴木三重吉が武闘派というかヤクザみたいに「童話(シノギ)」と言い出すところとか笑ってしまう。正岡子規が野球に誘うサザエさんみたいなセリフも笑ってしまった。また与謝野夫妻がバナナで卑猥なことをした話など、文壇ゴシップの小ネタもそんな話あるんだ、みたいに面白がれるところもある。文豪ネタのコラムが挾まれていて、月が綺麗ネタもちゃんと典拠がないことの解説がある。

さっきの動画で人文と科学の戦いという話があって、今月に二巻が出るのを知ったんだけど二巻では鴎外が鍵になるらしい。この文豪にして軍医総監という文学と医学に亘る知識を持つ鴎外が重要なのは一葉の体で蘇生した漱石という本作の核心に重なるようでもあるし二巻はコナン・ドイルも出てくるらしい。漱石の弟子というか友人だった寺田寅彦も出てくるし、そういえば新一の父星一も冷凍保存技術の提供者として出て来ていた。文豪ネタで作品を作る時、その対立軸として科学が据えられていて、ドイルもそういうミステリ、SFの科学性みたいな要素が重要なのかも知れない。

ラノベがアニメ漫画ゲームのオタク趣味を踏まえて書かれるとすれば、本作はその代わりに文豪ネタを使っている点で確かにラノベではあるのだと思う。まあガンダムネタとかもあるけど。「メシマズの国」とか「実家の太さ」とかのネット語はやっぱり気になったし、政府の抑圧にも社会主義の押しつけにも反対する表現の自由という組み立てが現今のネット的な安易な表現の自由観に思えるし、思想性や政治性を閑却したパッチワーク的なネタ化、というきらいはある。そうかと思えば当時の女学生は在学中に寿退学するものだったのを、きちんと学問を修めさせるというちょいフェミニズム的なテーマもある。

歴史偉人トンチキバトルラノベ第二弾。帯文にドイルが出てくるけれどもこの巻の主役は新旧千円札肖像の野口英世北里柴三郎。師弟関係もあったこの二人、貧民迫害論者と組んだ北里を、樋口一葉や自身の困窮から絶対に許せない野口と対立させる構図がある。

シリーズの題材として紙幣の肖像になった人物が登場するからこそ、医療にもかかれない貧困を対立の軸に置くという社会派的なテーマになっているのかも知れない。そして対貧民政策に感染症対策の意味もあることで、コロナ禍の現在においても非常に身近なものとして読めるところがある。

まあそういう構図は感じられつつも相当にぶっ飛んだトンチキアイデアが多数ぶち込まれた作品になっていて、ドイルと漱石に関係を作るのにどっちも滝落ちに縁があるからという理由には唖然となった。ライヘンバッハの滝に落ちたドイルと、教え子藤村操が華厳滝に投身自殺した話、そう使うか。

ライヘンバッハのホームズと華厳の滝の藤村操――滝壺の底の民から呪われる宿命を 抱えているのは、この世にドイルと漱石だけ。43P

これ読んでて嘘だろ?と思った一文。あと北里柴三郎のキャラ付けが相当に飛んでて、完全に少年漫画のバトルもののノリで変なことを言い出す。

「成婚率一五〇パーセントを誇る、史上最高にして究極の仲人! それがこのワシ、北里 柴三郎よ!」77P

「分かるか? ワシが本気を出せば、誰一人として独身を貫くことは能わぬのよ」82P

夏目漱石の妻がダメなら夏目漱石を妻にすればいいのだ!というTSトンデモ発言も飛び出したりと、まあそんな感じの小説になってる。一巻で文豪ものと思わせつつ、実質的に紙幣に登場した人物を散りばめた歴史偉人バトルラノベとしてまあまあ楽しい。ただ、「ガンギマリ」とかのスラングが出てくるのはちょっと気になる。そんなところを気にするレベルのおかしさじゃなかっただろうと言われれば、まあ、そう。

伏見つかさ『私の初恋は恥ずかしすぎて誰にも言えない』1~3

俺妹の実妹エロマンガ先生の義妹と兄妹ラノベを描いてきた作者の新作は二卵性の双子兄妹を性転換させるというかなり攻めた設定。ファンタジー度を上げてライトなラブコメの作風にしながら近親関係には俺妹以上に踏みこんだ感じがある。一巻段階では主要登場人物はマッドサイエンティストで主犯の姉夕子、主人公千秋と双子の妹の楓、そして「家族同然」に育った主人公に好意を抱いている幼馴染のメイというほぼ四人。つまり家族(同然の人)に対して恋愛感情を抱くことはできるか、ということが初っ端から問われている。

いきなり性転換する系のフィクションには男子に女装させて羞恥の様を楽しむ要素があるのも多いけど、今作だと千秋はバカみたいなポジティブさがあって女子になっても恋愛するぞと言ってて大して苦にしておらず、基本は陰茎が生えて性欲が抑えられなくなる楓が中心的なネタとして展開する。中学まで誰にも恋愛感情を抱かなかった千秋は、性転換して女子になることで人にときめきを感じるようになり、逆に楓は性転換の影響で抑えられない性欲を抱えることになっていて、ひとまずは男女の性別を性欲と恋心に分離して、それを入れ替えることで関係に変化を作っている。

ある意味、双子として分かたれて生まれた二人が相互に性を入れ替えることで恋愛と性愛の統合を果たすと言うことなのかも知れない。プラトン的意味で。そして「恥ずかしすぎて誰にも言えない」というタイトルは、近親恋愛というものをどう肯定するかというテーマにも繋がるものだろう。「世界中の人間におかしいと思われようが、気持ち悪い変態だと蔑まれようが」云々のセリフがストレート。ライトで楽しいドタバタコメディの体裁をとっているけど家族愛、恋愛、性愛の三層がさしあたり提示されていて、俺妹の結末で賛否両論を生んだ作者がこれをどう扱うのか、気になるところ。

俺妹もエロマンガ先生もアニメや漫画で触れたくらいで原作ちゃんと読んでないけど、300ページ未満でサクッと読めてまだ巻数も少ないので追っていけるかな。

双子性転換ラノベブコメ二巻。ほとんど最後以外はこれが最終巻のつもりで書いたというように前巻の秘密もあっさりとバラしてお互いを今でも相手を好きだというところに、メイの主人公には男に戻ってほしいという駆け引きでどれを選ぶかが突きつけられる。概ね前巻で書いた、家族あるいはそれ同然の相手は恋愛対象になるかという問いがある、と言うとおりの最後の引きだった。しかし夕子は楓の応援をしていると思うからその意味があるのか、どうなのか。

男女の双子にそれぞれおかしな現象が起こっての近親TSラブコメ第三巻、姉が成長した姿で参戦してきての海なし県の埼玉から江ノ島へ出ての恋愛対決で落ち着くところに落ち着いた。楽しくはあるし読みやすいけど、どうも手応えが薄いな。アレを生やす薬と消す薬の使い方はそうなるか、と思ったけどこれ増産できるなら色々使い勝手良いけど、そうなるとエロ漫画になってしまう。エロ漫画みたいな設定で一般やるにはもうちょっとなんか必要な気もする。なんかこの巻で終わりでもまとまり良い気がするけどまだ続く、よな。

不破有紀『はじめてのゾンビ生活』

瞳が赤くなり皮膚が腐り無機物でも食べられ知能が上がり生殖能力が失われるという、22世紀頃発生したゾンビ感染症によってゾンビ化していく人類に起こる歴史を50以上の短い断章によって構成した「人間とゾンビの宇宙興亡千年史」を描き出すSFラノベ

各章数ページで展開される掌篇のなかで、初めてゾンビ陽性になって家に帰ったら腐臭や醜形ゆえに上階に追いやった父から仕返しをされる最初のエピソードが示唆的で、ゾンビ化によって虐げられていた人々が次第に数を増やすなか、時代が進んでいくと人数が逆転し、人間がゾンビに虐殺される事件が起きる。

各章必ず西暦と滅亡まで何年かが明記されており、人類史の避け得ないカウントダウンが作品全体のトーンを決定づけているのだけれど、破滅や虐殺といったマクロな事件を直接描くわけではなく、個々の小さな人々の悲喜こもごものエピソードが点描されていって、そこに人間の愚かさや希望が込められている。マクロな視点では破滅に向かいつつある人類も、ミクロな具体的な人生においてはさまざまな物語があり精一杯生きているわけで、個々人がいかに懸命に善く生きていたとしても総体としては破滅に向かいうるというジレンマを描いていて、ここにSF性があるなと思う。

人間、ゾンビ、ロボット、と人間という存在の拡張によって行なわれていく仮想人類史。本文中にイラストが一切ない、ラノベとしては珍しいスタイルで、これが一体どこから出てきたのかが不思議だ。新人賞の拾い上げなんだろうか。

みかみてれん『わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?)6』

要領よく生きていたはずのれな子の妹遥奈が「きょうから不登校になる」と言い出したことをきっかけに、甘織姉妹の掘り下げをしていく百合ラノベ第六弾。これどうやってまとめるんだと思ったら読み終わるまで前後篇の前篇だということに気づいてなかった。

引きこもりから脱するための協力をしてくれた妹への感謝を描きつつ、自分は価値がないから他人に優しくしないとならない、という自己評価の死角がエピソードの基盤になる構図はシリーズ通例で、香穂もハーレムに呼び込むつもりかのような伏線も撒いてたりするし色々と仕込みもある。

おかしい。陽キャの妹の方が人の善意を信じてて、大人しめのわたしが人の悪意に染まっているなんて……。普通、逆じゃないか……? 50P

これはもちろん語り手れな子の思い込みとして描かれているんだけれど、対人関係におけるポジティヴさというのが他人への信頼でネガティヴさとは自分しか信じないこと、という認識がうかがえる。ネガポジアングラーというアニメを見てても、同様の認識がうかがえる場面があった。アニメエロマンガ先生でもちょっと思ったこととして、しばらく前まで「陰キャ」「陽キャ」と二分した上で陰キャを自認するオタクの立場から陽キャを見下したり敵視するような空気が微妙に共有されていた印象があるけれど、昨今ではそれに対して陽キャのスタンスから省みる描写が多くなったような気がする。

プロフィール
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東條慎生。季刊「未来」に後藤明生論を連載(2016-2017、全六回)。幻視社のサイトで後藤明生レビュー、向井豊昭アーカイブ、鶴田知也ノートを公開しています。共著に『北の想像力』『アイヌ民族否定論に抗する』『ノーベル文学賞にもっとも近い作家たち』。

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