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ときどきどいつ

ドイツの情報・記事をご紹介♪

いびつなドイツのいびつな家庭

ドイツで最近の話題は、州選挙の際に某政党の候補者だけが何人も亡くなっていた!という恐ろしい陰謀説ですが、騒いでいたのはドイツ以外の国々で、本国では「・・・偶然じゃない?」みたいな空気なんだとか。

 

理性的なドイツ、論理的なドイツ、模範的なドイツ・・・その品行方正な外面が、もしかしたら内部から崩壊しているのかもしれないなぁと思った事件が発生していました。

 

www.focus.de

 

市長をしていたSPD(割と左寄りの主要政党)の女性政治家が刺されて重傷というニュースです。

 

政治活動をし、市長に選ばれるくらい活躍していた女性政治家。表から見たら理想的な、成功している女性。地域をよくしようという奉仕的精神で人からも信頼される政治家・・・。

 

と思いきや、内部が崩壊していたのです。

彼女を瀕死の重体にまで追いやったのは、彼女の娘だったのです。

 

17歳になるその娘は養子だそうですが、十数年は家族として暮らしていたのです。その娘から、13か所も刺されてしまった。

 

前々から、家庭内で問題があったようです。この夏にも一度娘からナイフを突きつけられ警察沙汰になったが、「家庭内の問題」として事件にはならなかった。ですが、今回は本当に刺されてしまったんですね。

 

この娘さんは、同じく養子である15歳の弟をめぐって、養父母と折り合いが良くなかったようです。

 

ただでさえ多感な時期。複雑な家庭環境。そして、母親は政治家で毎日忙しい。同じく養子である弟との間に何か確執があったとしても、親に相談できずにいたのかもしれませんねぇ。だからといって暴力に訴えるのは絶対にダメですが、そこまで追い詰められた子どもがいたという事実も確かに存在するのです。

 

政治活動をし、二人の子どもを養育する。仕事もプライベートもパーフェクト!

一見、そういう意識高い系ドイツ人女性だったのに、実は内部崩壊していたのかもしれない・・・。

家族の問題にきちんと向き合っていなかったのではないだろうかと邪推してしまいます。家庭の問題と向き合わず、放置している人間に、地域の問題が解決できるはずもありません。

 

もちろん、女は家庭にいるべきだ、なんて言いません。ただ、無茶して、家族を犠牲にしてまで、自分の能力以上のことをする必要はないのではないか、と言いたいだけです。

一人の人間が「誰かのために」「私がやらないと」と使命感または自分の理想を追いかけて、無理して自分を犠牲にして一生懸命に動けば動くほど、周りに迷惑が掛かるからです。

 

特に政治の世界は、どこから攻撃されるか分からない。一つでも踏み外せば人の命にかかわることもある、そして根も葉もない噂程度のことで失脚する世界。緊張感を強いられる立場で弱みなど見せられない。高度な駆け引きが必要とされるわけで、ただのサラリーマンとは違います。

 

外側を繕うことで、内側がボロボロでも騙しだまし誤魔化していたのかもしれません。

最初、彼女は知らない男から襲われた、と嘘の供述をしていたそうです。そして、犯人である娘に対して「警察に何もいうな」と口止めしていた。

 

娘の不満、それに向き合わない母親。思い余った娘が暴挙に出ても口をふさごうとする政治家としての養母。

この娘さんがこの先、ちゃんと自分の人生を歩めるのかとても心配です。

 

娘に口止めしたことで「ママは私を守ろうとしたのかしら?それとも自分の政治家としての立場を守りたかったのかしら?」そんな疑問を抱えてしまうでしょう。この養母は決して自分の本心を打ち明けないと分かっているからです。

 

この不満や鬱屈を今のドイツ社会でどう克服していけばいいのか。

多分、ドイツ人は誰も答えられないのではないだろうか。。。

この先も、向き合わず「騙しだまし」で内部崩壊したまま見ないフリ、そしてゆっくりと腐っていくのです。

 

この旦那さん、子どもたちの養父が「犯人は娘だ」と警察に証言したそうです。さぞ苦しかったと思います。これは自分の無能っぷりを公表するのと同義だからです。

 

この女性政治家さんが今、家族のためにできること・・・それは無事に回復することです。早く退院できるといいですね。

犯人の養子の娘は、事件の後、精神療養施設に入れられているそうです。

ドイツでは5人に1人が貧困!

2025年、ドイツで「5人に1人は貧困状態」というデータが公表され、世界中の人が驚いたと思います。ドイツ人自身も驚いたのではないでしょうか。

 

だって、ついこの間までEUの勝ち組とか言われてなかった?

アフガニスタンやシリア、ウクライナからの避難民も受け入れ、社会的にサポートするだけの余裕があったからじゃないんですか?

さすが、社会民主主義のドイツって言われてたじゃん。

 

・・・いや、知ってたけど。それが、多くのドイツの自国民から搾り取った税金で成り立ってること。

その税金を搾り取られている自国民が貧困にあえいでいるわけです。これは、今に始まったことではありません。

私がドイツに初めて行った時、20年くらい前にはすでに貧困がテーマになっていました。ちゃんとご飯を食べられない子どもたちがいる、という話は当時からされていました。

当時はまだドイツ経済が回っていたので、目立たなかっただけでしょう。

taz.de

貧困は自己責任、とみる風潮もありますが、今回ご紹介するのは「貧困は社会システムのせいだ」という主張の本。

これは、資本主義だとか、政治形態とか、そういう学術的なことじゃなくて、貧困状態にある「人」に焦点をあてたアプローチです。

多くは「政治がー」とか「景気がー」と語るけど、誰もその今実際に貧困状態にある「人間」を見ていない、というのです。

この本は、実際に貧困状態に陥った人がどういう経緯でこうなったのか、どういう穴にはまり込んでしまっているのか、その当人に取材をして問題の核、つまり「貧困はシステムだ」ということを明らかにしようとしているようです。

社会の貧困は、すでに社会システムの中に組み込まれている。格差があることを前提にして、あえて格差を作ることで成り立っている、というシステム構造自体の問題なわけです。

 

現在、貧困状態でなかったとしても、明日、来週、来月、来年・・・誰がその状態に陥っても不思議ではないシステム構造だということです。

 

動画番組で、岡田斗司夫さんが「貧困と貧乏は違う」というお話をされていましたが、多分、この著者が言いたいのはまさにこのことなのではないでしょうか。

 

貧困というのは、お金もなく、頼る人もいない社会的欠乏状態。

貧乏は、ただ単にお金がなく、毎日カツカツという状態。

 

お金がなくても、近所の人や家族、親戚、友人といった人間的なつながり、助け合いが確保できていれば、それは貧困ではない。ただの貧乏だ、ということです。

岡田斗司夫さんは、またこんなこともおっしゃっていました。

昭和くらいまでは、日本はみんな貧乏だった。そして、貧困は少なかった。

現代では、貧困が増え、貧乏が減っている、と。

何が変わったのかは明白です。

 

ドイツで起こっていることもまた、人同士のつながり、互助精神が失われたことに起因している、かもしれません。

そうだとするなら、こんな言い方もできるかもしれません。

キリスト教精神が資本主義に負けた、と。

 

誰でも、自分の家族や知り合い、顔の見える相手は助けたいと思うけど、税金吸い取られてどこの誰を助けているのか分からない状態に置かれたら、不満が出てきますよね。

さらに、自分が困っている状況の時に、税金でのうのうと暮らしているどっかの誰かがいるって思ったら怒りすら湧き上がります。

別にお礼が言われたいんじゃない、だけど、自分が社会の役に立ってるって実感がない状態で、税金だけ取られてると、なんか・・・気持ちがしおれちゃう。

だって人間だもの。

 

 

森鴎外、ドイツでブチギレ事件

最近、拡散される動画などで、失礼で無礼で野蛮なガイジンに一発かましてやった系のストーリーなんかがよく目につくのですが・・・。

 

日本の観光地で馬鹿なガイジンが大はしゃぎして、そこにヒーローめいた日本人が登場。流暢な英語、またはフランス語、中国語で優しく諭したり、厳しく一喝・・・

「こ、これが日本のSAMURAI!」と感動する。

という、勧善懲悪エピソードです。

 

いやいや、私が観光地で目にするものはこんな感じじゃないぞ?

むしろ、外国人の方が「これ、失礼に当たらないかな?」とおっかなびっくりして、過剰に頭下げたり、手を合わせたりしている姿の方が目に付く。

さらに、外国語に自信のない日本人が、見て見ぬふりしてスルー・・・もしくは、自ら進んでおふざけ動画を録画していたりする。

というのが、私の知っている日本です。

 

エンタメとして需要があるのだろうけど・・・違和感がすごい。

 

ひと昔前は違った。

ここぞという時に、ビシィィィと毅然として颯爽と登場する展開は、エンタメではなかった!!

 

ドイツで、一人の日本人がガッツンとガイジンどもに一喝するという日本人的にはスカッとする出来事があった。

 

森鴎外です。

森鴎外は、ドイツ留学中に地理学の総会のようなものに招待され、そこでナウマン博士の講演を聞く。

ナウマン博士は、聴衆の興味を引こうとしたのかもしれません。日本下げを仕掛けてきやがったのですね。

ナウマン、ナウマンゾウでお馴染みの学者さんです。

 

www.welt.de

 

「日本と言うのは、物まねばかりで独自性というものがないんですな、ははは」と、ドイツ人だけが喜びそうなことを言った。

だが、さすが森鴎外、この時点では怒りを感じつつも黙っていた。

 

だが、その鴎外も黙っちゃいられんとなるほどのことをこの後ナウマン博士は口にしたのでした。

 

それは、何かと言うと・・・

「仏教では、女性には魂がないとされる」という一言だったようです。

 

記事によると、公演中、ウィキペディア情報によるとその後の晩餐会の席で、鴎外は「そんなわけあるかーい!!」と堂々とツッコミを入れた。

女性でも悟りの境地に至った人物は昔からいる!と反論。

 

そして、他のドイツ人以外の外人から賞賛されるという訳の分からない事態に発展する。

その後もナウマン博士の論文が新聞に掲載されると、森鴎外は反論の論文を書き対抗。

 

ウィキペディアには、双方の主張と反論が詳しく書かれていますので、ご興味のある方はどうぞ。

 

鷗外・ナウマン論争 - Wikipedia

 

現在、改めてこの双方の主張を見てみると、ナウマン博士の主張は、そんなに間違っちゃいないように思えるんですけどね。

ナウマン博士は「日本はもっと独自路線でいいし、西洋化しようとか西洋の物まねなんかしないでいいと思う」みたいな感じなんじゃないかな。

一方森鴎外の方は「西洋のルールを押し付けてるのはお前らの方だろ」と、まぁ、それも確かにそうなんだが。

 

きっと文字では伝わらない侮蔑と軽蔑のニュアンスが、ナウマン博士の口ぶりの中にあったのではないかと私は妄想するのでした。

 

ドイツのネットニュースで森鴎外について出ていたので、ちょっとびっくりしました。

ベルリンのフンボルト大学に森鴎外の記念館があるそうです。

 

ドイツ・・・日本にすり寄りよる記事を出してきてどうした?

こんなの、私の知ってるドイツじゃない(笑)

 

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↑「舞姫」のモデル女性についても色々論争があったようですね。

このブログ主さんの舞姫への愛を感じます。自分の気になること、好きなこと、こだわりを追い求めて研究する姿勢、見習いたいです。

素敵な研究結果を無料で公開してくださってありがとう♡

 

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