私は前回、国民主権の理想を叶えるためには、『国民が予算を握ること』である、と整理した。
国の主権を握るという事は、予算管理の権限を握る事である――美しい理想とは言い難いが、生々しい現実であることは間違いない。
だが、同時に思うのだ。
生々しい現実は認めねばならないが、同時に、掲げるべき理念もまた、軽視してはならない、と。
例えば、『予算の決定権』は、どうしても平等とは言い難い。
富裕層ほど、大きな決定権を持つことになるし、それは『負担の累進性』を考えれば、避けることは出来ない問題と言える。
だが、民主主義は『政治参加における国民の平等』を理想としている。
予算の現実と、理想の実現、そのバランスをどうとるのか、後編ではその一案を示していきたいと思う。
さて、国の予算をクラファン式で国民が決めることで、国民主権は実現される。
これはまぁ、『予算の決定権』が国を左右することを考えれば、合理的帰結なのだが……それはそれとして、国民の裁量に委ねるわけにはいかない部分もある。
よって、クラファン型政治システムでは、国の仕事を大きく三つに分けることになる。
一つ目は、『国防』『治安』『インフラ』(現在の住民税のような住民の生活環境維持費用もここに入る)のような『国の根幹』となる『必須サービス』
二つ目は、『医療』『教育』『福祉』といった、国と国民が共同で支える『半選択サービス』
三つめが、『スポーツ振興』『文化振興』のような、国民生活を豊かにする『選択サービス』
この三つだ。
これらはそれぞれ、国民に求める負担の形と、提供されるサービスの形態が違うものになる。
順番に行こう。
まず『必須サービス』、これは『全国民が、その支払いに関わらず平等に受けるサービス』となる。
例えば、国防にしても治安にしても、『この支払いを滞納しているから守らない』というわけにはいかない。それはそのまま、サービス全体の質の低下につながるし、そもそも国とは『そうした仕事を行うため』に発生した集合体だ。
よって、これらは国民側に選択権の無い、『支払い必須』の内容になる。
次に『半選択サービス』だが、これは『国が整備するべき』だが、『どんなサービスを受けるか』は国民が選択する内容になる。
例えば教育、国は『サービスを受ける事が出来る環境』は整備する、だが、『どの程度のサービスを受けるか』は国民の選択となるわけだ。
現代で考えれば、公立なら無料で通えるけど、私立に通うならお金がかかる、というのと近い状態で、国が提供しているサービスに、追加の支払いを行うことで、より良いサービスを自発的に受けることが出来るようになるわけだ。
そして最後が『選択サービス』、国民の生活維持には繋がらないが、豊かな生活を送るためにはあった方が良い、けれど個人の好みが大きいため、そもそも万人向けを想定していないサービスになる。
これについては、完全に国民の支払いによって維持されるので、サービス利用者に招待券や記念品を贈ることで、より魅力的なサービスを提供する必要がある。
この三層のサービス構造を作ることで、国民は『自分の望む方向の政策を充実させることが出来る』、これが『クラファン型政治システム』の肝になるわけだ。
とはいえ、ではこれをそのまま導入……となると、『大量の予算を出せる富裕層』に有利なサービスや制度ばかりが整備される、という事になってしまう。
そこで必要になるのが、『各サービスへの支払い上限』や『他のサービスへの予算分配』といった構造になってくる。
十分なお金を出せる人間がいれば、支援者は一人でも支援が成立する。
これは『クラウドファンディングというシステム』としては正しいのだが、国家運営のシステムとしては大問題となる。
当たり前だ、『国家という組織の運営権』を、どんな形であれ一人の人間が左右してよいはずがない。
そこでまず思いつくのは、『一口当たりの値段設定』と、『一人何口まで購入できるか』という購入制限だ。
つまり、『一口100円』や『一口10円』でサービスに支払う値段を設定しておき、それを『1サービスにつきお一人様10口まで』というように制限する。
こうすることで『お金持ちの大金で、一つのサービスを強制的に成立させてしまう』という事を防ぐわけだ。
だが、余裕がある人ほど社会に対して大きく貢献すべきである、というのもまた事実。
そこで、この『投資枠』を、当人の収入によって変化させる。
例えば、年収1億円のお金持ちならば、『一口10円の選択サービス購入枠』を年に100万個持っているし、年収500万円なら、年に1万個持っている、という感じだ。
これは『追加購入』は出来るが、『必須購入量』を設定し、『年に必ずその分は購入し選択しなければならない』という事になる。
だが、年に100万個も枠を貰っても、『そもそも選択するのが煩わしい』という問題が発生するし、当人の興味がない分野は選択されない、という問題もある。
そこで、選択範囲に『自由使用枠』を作っておく。
つまり、『購入は必須だが、購入を選びきれない分のサービス』を、ここに入れるわけだ。
そして、収入が厳しい人たちは、お金がなくても参加できる『一口0円』枠を設定する。
そうすることで、『一口0円枠』の集まる分野に、その『自由使用枠』から予算が供給される仕組みを作るわけだ。
権利を行使する『枠』は平等、だが『負担できる予算』には個人差が出る。
ならば、『当人が使い切れなかった枠』を、大勢の関心が高い枠で使えば良い、というわけだ。
これか、通常の『クラウドファンディング』との大きな差という事になる。
ここで多くの人が問題として思い浮かべるのが、『外国人の枠』になると思う。
現在でも、外国人は税金を支払っている。
それは選挙権とは無関係の、『公共サービスの利用料』としての納税だ。
だが、この『クラファン型システム』が税金の代わりに機能するなら、彼等もサービスを選択すべきなのではないか、という問題だ。
――が、結論を言おう。
彼等の枠は一つだけ、『自由使用枠』のみだ。
理由は簡単、この仕組みは、『個人のサービスの選択』そのものが、既に『国家主権の最小単位』として機能しているからである。
よって、外国人に『サービスの選択権』を与えるのは、そのまま外国人の政治参加、現代で言う『外国人参政権』その物になる。
よって、外国人にサービスの選択権を与えてはならないわけだ。
これを聞くと『差別だ』と言い出す人もいると思うが、当たり前だが『日本人はその外国人の母国への政治参加権』を保有していない。
よって、日本に来た外国人も、『日本での政治参加権を保有していない』というだけの話である。
これを差別と言うのであれば、まずは『相互の国民の互いの国への政治参加権』を外交的に確保する必要があるが……それは政治判断であって政治システムの話ではないので、私が取り扱う内容から逸脱する。
ともあれ、このシステムは『主権と支払い』が直結しているため、『支払わせる人間』は主権を持つ人間に限定する必要があるわけだ。
というわけで、概要も概要ではあったが、クラファン型政治システムの提案であった。
現代社会は、既に情報化が進んでおり、この程度の整備が技術的に難しい、という水準はとっくの昔に突破している。
問題になるのは『制度システムの整備』だけだ。
例えば今回の話にしたって、年収に対してどれくらいの負担が妥当なのか、一口幾らが妥当なのか、一口に満たない分も考えるべきではないか、容易に選択できるように、スポーツなら『サッカー』『野球』『バスケット』『水泳』のような細かい枠全てを包括する『スポーツ枠』を作り、何口でその全体の枠を購入できるか考えるべきでは等々、整備すべき部分は無数に存在する。
何せ、私は『こんな仕組みなら国民主権は機能する』という提案をしただけで、細かい制度設計を提案したわけではないし、それをする専門性も無いからだ。
だが、段階的に始めることは出来る。
例えば政治家であれば、いきなり予算と紐づけた話にせずとも、『国民がどのサービスを望んでいるか』の選択を集めるアプリを整備する、程度はすぐにできる話だろう。
それを行い、『生の民意』を汲み上げることが出来れば、それに重点を置いた制度を整備することも可能になる。
とかく、現代の政治は『民意を汲み上げる工夫』が欠けているように思うわけだ。
江戸時代でさえ『目安箱』が設置された。
現代ならばスマホやアプリ等、もっとはるかに便利な道具があるというのに、それを活用できていないというのは、それこそ江戸時代の為政者にさえ笑われるに違いない。
民主主義を掲げる国家は、いかにその理想である国民主権を実現するか、それをもっと真剣に考えるべき時代に来ているのではないだろうか。
本記事の前編・中編はこちら↓
国民無視の政治家が生まれる理由は政治システムの欠陥――クラファン型政治の提案(前編)
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