実は、年末年始繭期強化期間をしていた時に「今年はTRUMP15周年イヤーだし、はじ繭も刀ステみたく映画館でやらないかな。劇場版はじめての繭期、なんつって」とか思ってたんですよ。まさかその通りに実現するなんてね。しかも、東京大阪のみならず、追加で名古屋上映が期間をずらして行うことが決まって、大歓喜でした。……そしてこの書き出しのとおり、当初は劇場版はじ繭に合わせて投稿するつもりでしたが、すっかり時が流れてしまい一年が終わろうとしている笑
しかし、事件が起きた。そう、TVアニメ『デリコズ・ナーサリー』8話である。
このブログは、年末年始繭期強化期間を過ごしてからというものの、どっぷり繭期にハマり、中でも『SPECTER』が大好きで、週3ぐらいで『SPECTER』を見ていた時期があったオタクによる、『SPECTER』初演・再演比較備忘録ブログです。『デリコズ・ナーサリー』でもついに『SPECTER』の話題が上がったことにより、このブログを完成させた次第です。
比較ブログと題していますが、いち『SPECTER』オタクによる『SPECTER』大好きブログで思っていただければと思います。
https://www.west-patch.com/event/specter/
Patch stage vol.6『SPECTER』(2015)
https://www.west-patch.com/event/specter2019/
Patch × TRUMP series 10th ANNIVERSARY『SPECTER』(2019)
作・演出:末満健一
音楽:瓢箪島光一
※もちろんストーリーや、シリーズを通したネタバレ等ありますので、その点に注意してください。
※諸々の深堀については、あくまで私個人の考察・妄想にすぎません。
Patch stage vol.6『SPECTER』(以下、初演)
公演日時:2015年3月18日(水)~22日(日)全9公演
会場:大阪ABCホール(キャパ:約300人)
Patch × TRUMP series 10th ANNIVERSARY『SPECTER』(以下、再演)
公演日時:【大阪】2019年3月29日(金)~3月31日(日)全4公演
【東京】2019年4月19日(金)~4月21日(日)全6公演
会場:【大阪】森ノ宮ピロティホール(キャパ:約1030人)
【東京】本多劇場(キャパ:約386人)
初演時の300もすごいけど、再演が本多劇場って……当時劇場で観劇できた人は初演も再演も、かなり限られていると思うと羨ましい限りです。
初演は箱の狭さもあってマイク無しなので、DVDも音の悪さが際立つという。初演は装置もより簡素で、ネブラ村が「世捨ての村」と言われているのが相応しいぐらいの窮屈感が出ています。衣装も装置も全体的にくすみカラー。
再演は装置は広くなり、枯れ木や枯れ葉も増えた様子で、くすみカラーにプラスして血なまぐささを思わせる「赤」の多用。衣装も全体的に赤基調になっています。*1
まずはすべての配役の比較
初演 | 再演 | |
|---|---|---|
臥萬里 | 中山義紘 | 松井勇歩 |
石舟 | 三好大貴 | 竹下健人 |
竹下健人 | 田中亨 | |
ヒューゴ | 松井勇歩 | 井上拓哉 |
サトクリフ | 納谷健 | |
バルトロメ | 吉本考志 | 藤戸佑飛 |
山田知弘 | 尾形大悟 | |
ノーム | 井上拓哉 | 下川恭平 |
カルロ | 村川勁剛 | |
シャド | 中村圭斗 | 三好大貴 |
トルステン | 岩崎真吾 | 吉本考志 |
ワシリー | 有馬純 | |
ココシュカ | 近藤頌利 | |
早川丈二 | 立花明依 | |
ハリエット | 丹下真寿美 | 齋藤千夏 |
ローザ | 永津真奈 | 松原由希子 |
クラウス | 山浦徹 | 中山義紘 |
初演のクラウスについて、公演当時はノンクレジットで上演とともに解禁。クラウス役は初演・ピースピット版の『TRUMP』でクラウス役だった山浦徹さん。クラナッハの演出のミスリードも相まって、衝撃のノンクレジット演出だったことかと思います。
ノームは設定上では10歳の少年のため、再演では当時14歳の下川恭平さんで年相応な配役に。
また、フィメール版『TRUMP』に出演していた、丹下真寿美さんが初演のハリエット、立花明依さんが再演のロダンという配役。再演のロダンについては、フィメール版『TRUMP』で萬里ポジションの役だった立花さんが演じることはいいなとは思いましたが、男性役である必要はあったかな……とは思いました。さらに、再演のハリエット役の齋藤千夏さんは、『SPECTER』の後に『新約LILUM』にてキャメリア役で出演されています。
そして注目したいのが、劇団Patchのみの変化だとこう……
初演見た後に再演の配役を見て感情がめちゃくちゃになったんですが、再演の配役については、末満さんが決めたのではなく、劇団Patchのメンバーで決めたとのこと*2。当初は初演と同じの予定も、メンバーの変化で総入れ替えとなったと……にしても、なんというか、『TRUMP』とはまた違ったトゥルリバ*3になっていると思いませんか?
ヒューゴ役だった松井さんが、萬里役になってヒューゴに刺されて死ぬし、その場面では萬里がノームを庇って刺されるわけで、ノーム役だった井上さんがヒューゴ役になって萬里を刺すわけで…………もうめちゃくちゃだよ。
あとはもう、中山さんの配役。確かに、Patch内でクラウスをやるなら中山さんが適任とはいえ、萬里→クラウスはなかなかですよ。こじつけようと思えばいくらでもこじつけられますけど、『SPECTER』の萬里は、本名が「ソフィ」で妻の名前が「リリー」なんですから、そんな萬里を演じた中山さんがクラウスって、TRUMPシリーズを網羅しつくしている。しかし、それまでのクラウス役をしてきた方と違うのは、中山さんのクラウスは『SPECTER』のみのため、アレンとの共演はなく、メタ的ではあるものの「アレンのいないクラウスの空虚感」を感じるのも良いんですよね。しかし、クラウスにはアレンがいたわけですから、あくまでも我々には知りえない話という視点が出来上がるのも良い。
後述しますが、石舟も業が深いことするなあと思います。
『TRUMP』におけるトゥルリバのような、関係性の近いキャラクター同士の反転による、「君は僕であり、僕は君だ」の体現ではない。『SPECTER』のトゥルリバは、生死や種族を要にした立場逆転で、因果のようなものを感じます。
3.1.再演でのキャストパレード追加
再演ではキャストパレードが追加されています。上の動画は全景定点ですね、これはありがたい! 初演時はキャストパレードではなく「エリ・エリ・レマ・サバクタニ……」と原初信仰者たちの儀式のような場面から始まります。初演でキャストパレードの演出がない点については、末満さんより以下のように言及されています。
初演の時は単純に、ルーティンのように同じことを繰り返すことが思考停止のように感じられて、恐れがあったんですね。だから、僕の作品ではお約束化していたパフォーマンスを一旦手放すことにしました。でも再演することになって、せっかくなら初演でやらなかったお約束を復活させようと……ただそれだけの理由ですね。*4
再演ではクラウスがノンクレジットではないため、キャストパレードが作りやすいという感じもありますね。個人的には、初演→再演の順に見たので、『SPECTER』にこんな「理想的な悪夢のような音楽」がついて感動しました。
3.2.初演→再演の場面追加・変更点
大きく変化のある場面のみをピックアップします。
① 前日譚・クラン脱走の日
……再演では、導入場面として描かれていますが、初演では、DVD特典収録用に追加された場面です*5。前述のとおり、クラウスがノンクレジットであったためと推察します。
初演の導入場面は、同じくヒューゴら繭期4人組たちによる前日譚から始まりますが、先述の場面よりも、時系列的にはあとの場面。この場面は初演のみとなります。
② 「死者の葬列」
……再演で新たに挿入された場面。「前日譚・クラン脱走の日」からの流れで、ローザの夢の話として描写される場面です。ローザのTRUMPへの執着がはじめから描写され、また『SPECTER』という作品がより「死」に密接していることが印象を強めています。
初演冒頭映像
再演冒頭映像
③萬里と石舟のキャラ変によるギャグシーンのカット
……初演の萬里と石舟は性癖の個性が何故か強調されています。萬里は「俺の奴隷にならないか」に始まり、謎にサディスティック要素があり、石舟は「罵られながら足蹴にされたい」という謎にマゾな要素があるという。ダメですよそこのあなた、SMコンビじゃんなんて言っては。まあそのとおりなんですけど。この辺のキャラ付けは、再演では全く無くなっており、これに関係する台詞や場面はバッサリカットされています。
ここで面白いのは、この辺のキャラ付けが無くなったからといって、再演の萬里と石舟の漫才感は無くなるわけではないというところです。
④クラナッハの回想場面
……初演では、ローザと繭期4人組たちによるネブラ村の真相が語られる場面のあと、すぐにクラナッハの回想場面から始まります。そのため、回想の最後はクラナッハの「わかってないなあ……なんにもわかっていない」で終わります。
再演では、この回想場面はクラナッハの小屋でクラウスと会話をしている途中に挟まります。クラウスの「それで、永遠に枯れない花は?」と問われてから自然と回想に移るので、クラナッハの永遠に枯れない花への執着がより強まっているように感じられます。
この場面、クラナッハの役者が初演と再演で雰囲気が異なるというのもありますが、回想が挟まったことによるクラナッハの違いが好きなので引用します。
まずは初演。
クラウス「それで永遠に枯れない花は?」
クラナッハ「それがさ、まだ完成していないんだ。でもあと少し。あともう少しなんだ!」
クラウス「……」
クラナッハ「馬鹿なやつらのせいで僕の研究は頓挫しかけていた」
次に再演。
クラウス「それで永遠に枯れない花は?」
(回想に転換、中略)
回想の学者「どれだけ美しく咲く花もいずれ枯れる」
クラナッハ「馬鹿なやつらのせいで僕の研究は頓挫しかけていた」
また、クラナッハとクラウスの会話において、クラウスがクランでティーチャーをしていることの問いかけの場面。初演のみ、クラウスの「退屈しのぎです」という台詞があるのも、些細ながら印象が大きく変わった演出の一つです。再演のクラウスは、初演と比較し、あまり喋らない印象があります。
⑤シャドの場面追加と結末の改変
再演のシャドの配役が三好さんになったこともあってか、全体的にシャドの場面や台詞が増え*6、シャドの悲壮感を高めるような作りになっています。また、初演よりも「シャド→ローザ→カルロ」の一方通行恋愛模様も強調されています*7。さらに、再演では(おそらく)ローザはシャドが自分に気のあることを分かってか、あざとくシャドに頼み事をする演出がされています。例えば以下のような違い。
まずは初演。
ローザ「シャド、お前があのヴァンパイアハンターたちを殺してくれるか?」
シャド「……」
ローザ「私のために、殺してくれるか?」
シャド「俺が……あいつらを……?」
ローザ「できないのか?」
シャド「俺に人殺しなんて……」
ローザ「そうか……」
次に再演。
ローザ「シャド、お前があの他所者たちを殺してくれるか?」
シャド「えっ」
ローザ「私のために、殺してくれる?」
シャド「俺が……あいつらを……?」
ローザ「お前は……いつも私の願いを……聞いてくれたでしょう?」
シャド「俺に人殺しなんて……」
ローザ「そう」
そして、シャドの1番の変更点は「シャドの結末が変更された」こと。初演ではネブラ村消失事件とともに死亡したこととなったが、再演では「死亡したものと思われる」とぼかされた上で、生存説が浮上していた……が。今年『デリコズ・ナーサリー』以降、生存が確定され、『マリオネットホテル』パンフレットの年表ページにも、事件後に生き延びたことが明記されている。
⑥萬里がハンターになった理由と最期の台詞
萬里とノーム、ハリエットとの場面で、萬里が自身の過去を語る台詞において、諸々の変更がありますが、1番はハンターになった理由です。
まずは初演。
萬里「リリーが死んだ時、俺は半分死んだんだ。だから俺も、亡霊みたいなもんさ」
ノーム「萬里が亡霊……?」
萬里「俺は彼女の仇を取るために、ヴァンパイアハンターになった……」
ハリエット「その片目が銀色の吸血種を殺すため?」
萬里「……人の世に害をなす吸血種を皆殺しにするためさ。もう二度と、俺の目の前で誰も死なせやしない」
次に再演。
萬里「やつに彼女が殺された時、俺も半分死んだ。だから俺も、亡霊みたいなもんだ」
ノーム「萬里が亡霊……?」
ハリエット「その、仇の吸血種を殺すためにハンターになったんですか?」
萬里「いや……もう二度と俺の目の前で誰も死なせないために」
そして萬里の最期の台詞も変わっています。まずは初演。
萬里「……世話の焼けるクソガキだぜ……」
次に再演。
萬里「……言ったろ……俺の前ではもう誰も死なせないって……」
再演の萬里はよりストレートで、言ってしまえばカッコつけ感が出たと言いますか、ノームに対してのヒーロー感が強く演出された趣きがあります。ただ、個人的な好みは初演の最期の台詞のが私は好みで、これをモロ影響受けてしまった『COCOON 星ひとつ』の萬里(ノーム)くんが「世話の焼けるクソガキだぜ」と言っちゃてるところが愛おしいなと思ったりします。
また、説明的は台詞が減って、自然な会話になったのも再演では多いので、全体的に見やすく聞きやすくなった印象があります。
⑦ラストシーンの会話
ラストシーン、半年後にネブラ村の跡を見にやって来る石舟とノームの会話も一部変わっており、ここが変わることによって、初演・再演の『SPECTER』の作劇の方向性の違いを感じます。
まずは初演。
石舟「死んだ人間の名前です。あなたはそれを背負うと?」
ノーム「亡霊とは、死んでいった者たちが生きていく者に託す想いだ。だから僕は、亡霊だ……」
次に再演。
石舟「死んだ人間の名前です。あなたはそれを背負うと?」
ノーム「そんなんじゃないよ」
石舟「え?」
ノーム「この名前は、僕を守ってくれた人の名前だ。だから僕も、この名前で、誰かを守るんだ」
先述の萬里の最期の台詞との流れで、再演は「萬里からノームへの継承」が強く演出されています。また、再演『SPECTER』の公演当時は、『COCOON 星ひとつ』が公演時期が近かったこともあり、より萬里(ノーム)の「誰かを守ること」の意志も地続きに感じさせています。ノームのこの台詞になったことで、『SPECTER』は明るい未来の展望を感じさせるような後味の良い作品になったなという感じがあります。(……そんなわけねえよって言わないでください……)
初演時の台詞は、抽象度を高めてはいますが、より「亡霊(スペクター)とは何なのか、亡霊(スペクター)とは誰か」というタイトルロールにフォーカスしたようにも感じます。亡霊(スペクター)とは、彷徨う繭期の吸血種たちであり、生きる為に道を踏み外したダンピールたちであり、死者であり、死者の想いを連れて行く生者である……と。
3.3. 初演・再演の脚本演出の違いによる所感
初演は、Dステ『TRUMP』やハロプロ『LILIUM』の流れで、シュールチックなギャグシーンを入れた構成。当時の劇団Patchのメンバーも若手も若手だったこともあり、危なっかしさが味となる趣き。最後のノームの台詞の「だから僕は、亡霊だ」からの、『SPECTER』のメインテーマ「異郷にて森は寂寥」の重々しい曲調の楽曲で幕を閉じることから、よりアンダーグラウンドな印象です。
再演は、クラウスをノンクレジットにする必要もなく、またシャドへのフォーカスを強めたことにより、ネブラ村住人の関係性やキャラ付けも濃くなり、劇団Patchメンバーの技術力ブラッシュアップの後押しもあって、全体的に見やすくなった印象。「萬里からノームへの継承」の色味も増し、ノーム(萬里)の成長譚の趣も増し、鑑賞後の重さも緩和された感覚があります。
TRUMPシリーズは、シリーズが続いたことに加え、『TRUMP』『LILIUM』など、後継シリーズの要素を取り入れた再演で、新たな趣きや可能性を見せたところに面白さがあります。『SPECTER』も同様の面白さが加味されていますが、同劇団内で役者をシャッフルさせたり、劇場の規模も変えたりすることで、色々な面白さを感じ取ることができます。また、再演によって、初演が霞むのではなく、初演にしかない『SPECTER』の作品テーマや解釈、カラーがあるため、初演再演をセット楽しみたい作品だと感じています。
『SPECTER』、最高!
『デリコズ・ナーサリー』は絶賛放映中のため、何かあればまた追記するかもしれません笑
さて、最後に、TRUMPシリーズ公式で正式には出されていない内容についてを展望として残します。
25年3月:展望について追記しました。
*1:画像引用:
https://natalie.mu/stage/pp/trump
*2:
https://natalie.mu/stage/pp/trump
*3:『TRUMP』における役替わり公演の名称で、「TRUTH」「REVERSE」の略称
*4:
https://spice.eplus.jp/articles/295050
*5:つまり本編ではこの場面上演していないので、DVDを買った人のみが見ることができる場面ってことですよね。DVDもエンドロールのあとから始まりようになっています。
*6:新規場面というほどではなく、既存場面の一部にシャドのみの台詞が追加されるといった感じ
*7:なお、カルロ→ハリエットは初演のほうがコミカルテイストもあってわかりやすい。再演のカルロ→ハリエットはカルロの片思いというよりは、台詞にもあるように妹のような存在という感じ
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