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ゲームボーイを開発した伝説の技術者・横井軍平「私はなぜ任天堂を辞めたか」

ゲームボーイを開発した伝説の技術者・横井軍平「私はなぜ任天堂を辞めたか」

source : 文藝春秋 1996年11月号

ビジネスメディア働き方企業商品
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 横井軍平氏は、ゲームボーイなどを開発した任天堂の技術者。その海外のゲームファンにも知られている伝説の開発者が、実は任天堂を退社した直後に『文藝春秋』に手記を寄せていた。横井氏は、この記事の掲載の約1年後に交通事故で帰らぬ人となったが、いまもその思想は受け継がれている。

 任天堂アーカイブプロジェクト代表・山崎功氏による解説「横井氏が任天堂に残した、玩具メーカーならではのDNA」も末尾に掲載。

出典:「文藝春秋」1996年11月号

◆ ◆ ◆

任天堂退社前夜の出来事

横井氏の評伝『ゲームの父・横井軍平伝 任天堂のDNAを創造した男』(牧野武文・著)

 さる8月15日、30年以上勤めた任天堂を退社しました。大学を出てからずうっと任天堂で玩具作りにかかわってきたのですが、55歳を区切りに自分のアイデアをもっと自由にいかせる仕事をしようと考えたのです。

 もっとも、新しい門出に、いきなり洪水のような報道が襲ってきました。

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 退社する前日に、『日本経済新聞』が私のことを大々的に報じたのです。

 いわく「ゲームボーイを開発した功労者が退社した。鳴り物入りで宣伝した『バーチャルボーイ』失敗の責任をとったものだ」

 いわく「『NINTENDO64』が予想以上に売れていないため、任天堂の利益が大幅に減っている」

 二つの「事実」を並べて読むと、読者には任天堂が大変な苦境に陥り、まるで内紛でも起こっているかのように思えるでしょう。

 実際には、私は「『バーチャルボーイ』失敗の責任をとって」辞めたわけではありません。

 前々から、55歳になったら、独立したいと考えていました。

 ですから、任天堂を恨んだり、憎んだりといった感情は全くと言っていいほどありません。また『NINTENDO64』は、直接私の担当ではありませんから、私の退社と結び付けるべきことでもありません。利益大幅減といっても、今までの利益が大きすぎただけで、これほど大きく報じるべきことなのか疑問に思います。

 しかし、その一方で、世間の任天堂という企業に対する関心の高さにはびっくりしました。新聞や雑誌が次々に取材に来ましたし、講演の依頼もたくさん頂きました。

 その過程のなかで、世間の人々が任天堂と私のどの部分に興味を持たれているかもわかってきたような気がします。

・一体、任天堂成功の秘密は何なのか?

・これからも、あのサクセスストーリーは続くのか?

・会社が大きくなるといろんな歪みがでてくるのではないか?

 ――たしかに、それはどの企業の経営者も、あるいは、どんな立場のサラリーマンでも興味のあることだと思います。実際、この30年間の任天堂で起きたことは「奇跡」でした。ですから、私がこの30年任天堂で何をし、何を考えてきたか、を素直に話せば、こうした疑問にお答えできるように思います。

 初めに申し上げておきたいのですが、私が辞めた瞬間、「山内社長のワンマン体制に嫌気がさした」ととる人が大勢いました。しかし、私は任天堂がここまで大きくなったのは、実はワンマン体制のおかげだと思っています。

山内社長のワンマン体制が「ゲーム・アンド・ウォッチ」を生んだ

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任天堂を世界的企業に成長させた山内博社長(当時) ©文藝春秋

 ワンマン体制=悪という感覚でとらえる人は多いのですが、商品開発の場合そうともいえません。

 例えば任天堂の転機となった、「ゲーム・アンド・ウォッチ」。これは私が開発したものですが、ワンマン体制だからこそ生まれた商品だといえるのです。

 あれは私が、38歳の時でした。電卓タイプのゲームで、大人向けの手の中に隠れるような薄っぺらいものを作りたいという提案をしたのですが、社長が興味を示して「すぐにやれ」ということで開発がスタートしました。

 しかし社内の声は冷たいものでした。営業も宣伝も半数以上が「そんなもの売れるものか」という否定的な意見なのです。

 つまり、普通の会社組織のように私が「ゲーム・アンド・ウォッチ」を提案し、営業会議で検討して、重役会に諮ってという手続きを経ていたら、必ずどこかで潰されていた商品だったのです。

 ところが社長がやれと言っているものだから、誰も反対できない。

 私は財務面のことはよく知らないのですが、「ゲーム・アンド・ウォッチ」の発売前、任天堂は70億とも80億とも言われる借金があったそうです。それが「ゲーム・アンド・ウォッチ」を売り出して1年後には借金を全部返済し、40億ぐらいの銀行預金ができました。発売前は開発者の私ですら10万個売れたら多少は会社の足しになるかなという程度の考えだったものが、結果的には5000万個近く売れてしまった。

次のページ「世界の任天堂」への最初の一歩とは
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