訓読 >>>
3520
面形(おもかた)の忘れむ時(しだ)は大野(おほの)ろにたなびく雲を見つつ偲(しの)はむ
3521
烏(からす)とふ大軽率鳥(おほをそどり)の真実(まさで)にも来(き)まさぬ君をころくとぞ鳴く
3522
昨夜(きそ)こそは児(こ)ろとさ寝(ね)しか雲の上(うへ)ゆ鳴き行く鶴(たづ)の間遠(まとほ)く思ほゆ
要旨 >>>
〈3520〉あなたの面ざしを忘れそうになったら、広々とした野にたなびいている雲を見つつ、あなたを偲びましょう。
〈3521〉カラスという大慌て者の鳥めが、本当においでになったわけではないあの方なのに、ころく、ころくと鳴く。
〈3522〉昨夜あの子と寝たばかりなのに、雲の上を行く鶴の鳴き声が遠くに聞こえ、もう遠い昔のように思われる。
鑑賞 >>>
3520の「面形」は、顔の形、面ざし。「忘れむ時は」は、忘れそうなときは。「大野」は、普通名詞で、広い野原。「ろ」は、接尾語。防人として旅立つ夫に、その妻が贈った歌とされます。
3521の「烏とふ」の「とふ」は「といふ」の約。「大軽率鳥」の「軽率」は、慌て者の意。「真実にも」は、本当に、確かに。「来まさぬ」は「来ぬ」の敬語。「ころく」は、烏の鳴き声と、恋しい人が来る「子ろ来」を掛けています。男の来訪を待ち侘びている女が、烏の鳴き声に占いを試み、「子ろ来」と聞きなしたものの、男が来ない恨みを烏に八つ当たりする心情を歌っています。女が男を「子ろ」と言うのは適当とは言えないものの、鳥の鳴き声に無理に合わせたと見えます。
3522の「昨夜こそは」は、たった昨夜、ほんの昨夜。「さ寝しか」の「さ」は、接頭語。「しか」は、過去の助動詞「き」の已然形で、上緒「こそ」の係り結び。「雲の上ゆ鳴き行く鶴の」の「ゆ」は、起点・経由点を示す格助詞。~を通って。第3・4句は「間遠く」を導く譬喩式序詞。「間遠く思ほゆ」は、遠い昔のようにに思われる。飽くことのない恋情を表しています。

なびく(靡く)~『万葉語誌』から
ナビクは、外部から働く力の作用によって、その対象が一定の方向に向けられてしまうことをいう。植物などが風や波を受けて揺れ動き倒れ伏すことや、人の心が相手に揺れ動き寄ってしまうことを表す。人の心に関わる後者も、「人の威力や魅力、周囲の状況などに引かれて」(「日国大」)と解釈できる。受動的な状態を表すことばである。単にナビクというほか、勢いを表す接頭語ウチを冠したウチナビクの形で用いられることも多い。また、特に、横にナビクことをタナビクという。タナビクのタナは「棚」と同根。雲や霞、煙などが横方向に長く引き伸びることを表す。『万葉集』では、植物のナビクさまを人事に転換して詠み込む場合が多い。特に、人麻呂は藻がナビクさまを意識的に詠じた歌人である。
※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について
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