14MAR.
おかあさん (1952) 新東宝
…木洋子さんの脚本で映画化されました。何十回、観たか判らない。小津監督の『お早う』や『浮草』は確実に60回以上 観ているのだけれど島津保次郎監督『兄とその妹』とこの『おかあさん』も50回は絶対、観てる。だって、そういう性格なの。 映画は女学校を卒業したばかりの福原家の長女・年子 (香川京子)のこんなナレーションではじまります。「私のおかあさんは よそのおかあさんから くらべると 少しちっちゃくて小ぶりなので 長いホウキが大きらいです」物語りの舞台は 戦後間もない東京の下町。年子の父 (三島雅夫)は子供たちが「ポパイの父ちゃん」と呼ぶほど筋肉モリモリ。若いうちから 重いアイロンで鍛えたと自慢するようにかつては腕の良い洗濯屋でしたが戦災で焼け出され 今は守衛の仕事をしながら店の再建を 夢見て頑張ってます。年子の母 (田中絹代)も 夫の夢の実現のためくるくる家事を 切り盛りする一方で露店で飴を売ってます。「おくさん、おひとつどう?」「あら、悪いですね、じゃ、私のマッチもどうぞ」商売モノをやりとり。お顔見えてないけど 露店仲間の奥さんは沢村貞子さん。福原家は ほかに年子の兄・進 (片山明彦)が肺を患って自宅療養中。妹・久子 (榎並啓子)と 従弟の哲ちゃんもいる。哲ちゃんは 母の妹で今は美容師の資格を取るため修行中の則子 (中北千枝子)の一人息子。則子が独り立ちするまで 福原家で預かってます。それから年子は 近所の空き地の掘っ立て小屋で冬は今川焼、夏はアイスキャンディーを売って家計を助けている。そしてそして 年子にはパン屋の息子・信二郎 (岡田英次)というちょいとハンサムな ボーイフレンドがいる。「この本、面白いよ、猿飛佐助」「もっと、ロマンチックなのがいいわ」やがて、いよいよ新しいクリーニング店の メドが立ちお父さんは張り切って 寝るのも惜しんでトントン、カンカン、自宅改造に精を出す。そんなとき 兄の進が亡くなった。「人間は何のために生まれるのでしょう。 そして なぜ死ぬのでしょう。 今までいた人が消えていってしまうなんて・・」そして悪いことが続いた。やっと、クリーニング店開業に漕ぎつけた頃お父さんが病に倒れる。店は 父の弟子の木村さん (加東大介)が手伝いに来ることになった。木村さんは 戦争中シベリアで捕虜になっていたので子供たちは「捕虜のおじさん」と呼んだ。「どうしてこんなになるまで 気がつかなかったのですか」お医者から母・正子は 夫がもう長くはないことを告げられる。辛い胸の内を隠して語り合う夫婦の思い出話。「楽しかったなあ、初めてここで所帯を持った頃は。 町内で一軒きりの 洗濯屋だった。 二人でびしょ濡れになって洗ったなあ。 4年目に電話を買ったときは嬉しかった。 今度、電話が引けましたからって 名刺を一軒一軒配って歩いた おまえのその恰好まで目に見えるようだ」やがて 夏祭りが来てのど自慢や お神輿の喧騒と共に去って行った。そして秋。大黒柱の「ポパイの父ちゃん」が亡くなった。年子のナレーション。「10月の空は青く澄んで、 どーんと、どこかで花火の煙が上がっていそうな日でした。 私はこの日のことを一生忘れることが出来ません。」やがてお母さんは 木村さんの助けを借りてクリーニング店を再開。福原家にも少しづつ 明るい日常が戻って来た。 わんぱく哲ちゃんと久子。けれど、お父さんのお葬式費用も借りたままで家計は苦しい。すると 福原家を思いやって子供の無い叔父夫婦が小学生の久子を貰いたいと言い、久子も行くと言う。「私、やっぱり行くわ。 私が行ったら ひとり分助かるじゃない。 今日、お米屋さん来たけど おかあちゃん、お米の配給取らなかったのよ」こうして久子は自分で描いたおかあさんの絵を持って貰われて行きました。兄や父の死や、久子との別れなど押し寄せる 悲しい出来事も沈み込むような暗さはなく どこかサラッと明るく一家の日常がスケッチ風に 淡々と描かれています。クライマックス(?)は美容師の叔母さんのモデルとして花嫁姿になった年子を見てどこかの誰かに先を越されたかと 慌てふためく信二郎です。そしてラストシーンは胸を打たれます。お布団の上でお相撲を取ってじゃれ合っている おかあさんと哲ちゃん。そこに年子のナレーションが流れて映画は幕を閉じます。「今日もまた 静かな夜は更けていきます。 そして、明日も雀の声で幸せな朝がやって来るのです。 おかあさん、私の大好きなお母さん、幸せですか? 私はそれが心配です。 おかあさん、私の大好きなおかあさん、 いつまでも、いつまでも生きてください」貧しかったけれどあんなにも真面目に明るく生きていた時代。嗚呼、ジャスミンはもう一度、あの時代を生きたい。 1952年・第7回毎日映画コンクール 助演男優賞 加東大介 第3回ブルーリボン賞 監督賞 成瀬巳喜男 助演男優賞 加東大介 この映画を観ると ある本で読んだ加東大介さんのお話を思い出してちょっと ウルッとしちゃうのですが当時、京都で時代劇の仕事が 多かった大介さんはどうしても東京に出て 現代劇をやりたかったけれどそれがなかなか叶わず その日も時代劇を撮っている時奥様から電話で成瀬さんの『おかあさん』に 出演が決まったと言って来た。「加東大介に現代劇がやれるのかな」の 周囲の声に成瀬監督は「だいじょうぶ、やれるよ」と太鼓判を押してくれたと聞き嬉しくて電話口で泣いてしまったそうです。結果、賞も取られて 嬉しかったでしょうね。おしまい
星の旅人たちを観終わって
「Playground 校庭」ベルギーの学校でも日本と同じような虐めがありどう対処しているのか。
配信鑑賞 【君の名前で僕を呼んで】