14MAR.
平日飲み過ぎ終電の日に巡る思い出の品
…魔したお宅の元同僚旦那さんも同じ会社の人で、私の友人とは同期。私の1つ先輩。結果的に長居して終電まで飲んだという。いろいろ話したけど、途中友人のおとぼけで、4人で涙出るまで笑ったりして楽しい夜でした。そこのお宅には1歳半の女の子がいて、めっちゃ可愛かったなー。この年頃って仕草やちょこっと出てくる言葉や、目線なんかも、全部可愛い。そしたらね、元同僚が私にこれ見てって赤ちゃんのフリースジャケットを見せてくれたんです。なんとなんと、娘が1歳の頃着ていたものでした。一緒に遊びに行った友人にお下がりであげたもので、友人には2人女の子がいるから2人が着た後に、ここにたどり着いていたみたい。娘含め4人の女の子が着ている服。このフリースはデンマークのMoloってブランドのもので北欧に住んでいる私の妹がたまに娘に買って送ってくれるのです。Moloはデザインがユニークでどの服もめっちゃ可愛い。そして北欧の子ども服って、強い。寒さと硬水のガシガシ洗濯に耐えれるように作られてるのか、娘もスウェーデンやデンマークのブランドの服を小さい頃よく着ていたけど、全然古びてこないんですよね。鮮やかな色でデザインも凝ってて大好きだったフリースがこんな風に着継がれているのを見て嬉しくなっちゃった。もう一つこの日は巡る巡った品がありました。昔同じ部署だった後輩とたまたま最近帰り道が一緒になったんです。いわゆるお育ちの良い子っていう女子で、20代の時から歌舞伎大好きで、目の付け所がお育ちの良い子特有の、若いのに少し年配女性っぽさを感じる物言いの子。いつも私のセンスを丁寧に褒めてくれるようなタイプ。その日も私がつけていたヴァンクリのピアスを褒めてくれました。ちゃんとそのピアスが夫からの35歳のバースデープレゼントだったことも覚えていてくれて、あらためそのピアス素敵ですよねーって。で一通りのピアス談義をしてたんです。最近ジュエリーの価格が本当に上がってるって話や(ちなみにヴァンクリのピアスは買ってもらった時に比べ8年で1.7倍の値段になってる)、タサキのピアスが可愛いって話や、そして私が昔1つ無くしたティファニーのピアスの話になりました。リボンモチーフの18金のピアスで、当時彼女に、ウメさんがリボンって、意外な感じだけど素敵ーと言われたのを覚えています。そして、いいなー、そのピアス、真似しちゃってもいいですか?って言って、同じのを彼女も確か買ったのです。そしたらなんと、彼女もあのピアス、片方無くなっちゃたんですってーー。ティファニーのキャッチは取れやすいよねーなんて話してて、、、いや、でも待って。ってことは、、、、それぞれが1つになった同じピアスを持ってるってこと?2人で目を合わせて数秒、、、、すると後輩が若干恐る恐る、あのーーピアスを買い取らせて頂けますか?って。笑いいよーーー。そして昨日、片方になってしまったピアスをちゃんとティファニーの箱に入れて後輩にお譲りしました。かなりディスカウント価格で。私はピアスの穴が3つあるのでたまにつけてはいたけれど、でも2つ一緒に付けれる方がずっといい。そしてこの甘いリボンのデザインは私より彼女に良く似合う。後輩は、ティファニーブルーの箱を受け取りながら、まるでクリスマスが来たみたいと喜んでくれました。大切な品って、大切な気持ちと一緒に巡ることによってどんどんいい気をまとうようになるんじゃないかなー。って思わせてくれた良い1日でした。火曜日の深酒終電はマズかったって思うけど。。。。。笑オマケそもそもピアス一つだけでも買えるのかな?ってティファニーに問い合わせてみたら、現在販売中の商品であれば、一つだけになったピアスを持って店舗に行けば、状況見て売ってもらえるんですって。半分の値段で。冬に無くしたまた別のティファニーピアスの一つ、買いに行こうかなー。。。。
5ヶ月と24日間
引越しの日から、5日間、何もない(ゴミだらけの)部屋で過ごした私たち。『引越しの日』たまに熱を出した時にこういう悪夢を見ませんか?「ヤバい!時間なのに何も終わってない!」私はよく見ます。『突然の引越し宣言』レンタル倉庫を契約して、荷物の搬出日…ameblo.jp最初の3日は髪の毛をブロンドにするのに費やし、『ブロンド』レンタル倉庫への引っ越しがあった日、私たちは疲れ切っていました。24時間ぶっ通しで荷造りをしたのだから当然です『引越しの日』たまに熱を出した時にこういう悪夢を…ameblo.jpその後は、ひたすらNが荷造りを終えるのを待っていました。私の荷造りなんてとっくに終わっています。私の荷物は、大きいスーツケース 1個手荷物サイズのバッグ 1個だけです。一方でNは、大量の荷物を国外に持ち出そうと苦戦していました。大きいスーツケース 1個大きい登山バッグwith寝袋 1個機内持ち込み用の小さいスーツケース 1個服が詰まったリュック 2個この中には夏用の服も、冬用の服も、仕事用(?)の服も、何個ものニット帽に、水着に、下着はCalvin Kleinのボクサーが30着くらいお高いトレーナー(スニーカー)も革靴も何足もありパソコン、iPad、ヘッドホンに小型の🎹キーボード(!?)もありました。Nintendo Switchも、コントローラー🎮も。それ以外にも入りきらない服や洗ってない服、洗面用具や生鮮食品が大量にあり、それらは大型のランドリー袋に入れてありました。それらの荷物を2日かけて準備して、やっと!ついに!!ついに!!!待ちに待った時が来たんです。Nが、次の予定を決めました。大きな街のホテルを予約したんです。もう言ってもいいですよね。マンチェスターです。ここからは車で高速で1時間くらいかかります。Nがホテルまでのタクシーも手配して、なるべく人目につかないように、夜の8時ごろ、私たちは大量の荷物とともに、私が、5ヶ月と24日間の軟禁生活を過ごしたNのアパートを後にしました。…久しぶりに外に出た時は、不思議な感覚でした。なんというか、「え、出てもいいの?」「私、外にいていいの?」と不安になるような。でも外の空気を堪能する間もなくタクシーに押し込まれたんですけどね。結局、最後まで私は、Nの住む街を自分の足で歩くことはありませんでした。出発したのが夜だったので、車窓からの景色もよく見えませんでした。石畳の道路やレンガ造りの建物、きっと綺麗だったろうに…。夢見ていたイギリスでの生活、半年前の夏、期待に満ちてタクシーを降りた時、まさかこんな未来が待ち構えているとは予想だにしていませんでした。『初めて会った日』イギリスに到着し、空港からタクシーでまっすぐNの家へ向かいました。車の中ではずっと電話をしながら、『もうすぐ会えるね』と言ってドキドキしながら車窓からの風景を…ameblo.jpあの日から5ヶ月と24日、177日間、たったの一度外に出ることすらも許されず、狭いアパートの一室の中で、軟禁状態で暮らしました。見知らぬ異国の地でひとり、誰の目にも触れぬまま、毎日おかしなルールに拘束され、反抗すれば暴力を振るわれ、拷問のような生活を続けさせられて、何かのきっかけで悲運が起こってそのまま人知れず行方不明になっていた可能性だってあったかもしれません。5ヶ月と24日間もの長い間どうして逃げられなかったのか。でも、よく耐えた。よく生きのびたよ。Nも一緒だけれども、あの家から脱出できた。自分で自分を褒めてあげたいです。
TOKYO③
私も妹も知らなかったこと
お葬式の打ち合わせを、葬儀屋さんの司会の方としてたんですが、この司会さんがもう有能で、母が亡くなった時もこの人に頼みたい!と思ったほどでした。私も数多くの葬儀に出席してるわけではないので、この人が特別凄いのかは実際わからないし、プロなら普通の能力なのかもしれないけど。まず、声が素晴らしかった惚れそうだった。アナウンサー並み!!こういう司会をする人っていうのは、基本そういう学校を卒業されてるのでしょうか?亡くなった父の性格や経歴、父とのエピソードを事前にお話して、それを故人紹介の時に素晴らしい文章にまとめてくれたんです。私が日本に到着する前に、質問票を妹が埋めてくれていたんですけど、同じ姉妹でも見てるところって違うんだな〜と感じました。父はとても多趣味な人物像に仕上がってた私から見た父は、趣味は競馬、定年後は歩こう会へ参加、書道。位しか無かったのですが、妹目線だと、映画鑑賞、音楽鑑賞、野球観戦も入っていたようです。まあそれなりに楽しんではいたし、甲子園にも何回か連れて行ってもらった事もあるけど。めちゃくちゃ野球ファン!ってほどでもなかったような長島茂雄が巨人軍の監督になって、阪神ファンから巨人ファンに鞍替えしたとか初耳でしたわ。人柄については温厚、自分より他人。(母を)束縛しない。歩こう会へ行くときは自分でおにぎり握っていった事もあるとか←知らんかったそして、母が司会の女性に言った言葉に胸を打たれる私、妹も知らなかった事実。Pixieがカナダ人と結婚したいと連れてきた時、私は猛反対したんです。でも、主人が「人生1回きりなんやから、好きなようにさせたったらええやろ」と言ったんです。その主人の言葉を聞いて、あ〜そうやな〜と私も思えたんです。ってお父さん、無口やったし、進学、受験、就職、留学、一人暮らし、結婚話した時も、ホンマに何も干渉されなくて来たけど、お母さんにはそういう事言ってたんや!と初めて知った〜父とはあんまり深い話はしたこと無くて、会話こんなんやった私が学生の時の会話将来ハーフの双子欲しいわほんなら外人と結婚するんか?いや、しない。どういう事やな笑高校、〇〇行くわそうか、お父さんと同じやな。専門学校行くわ看護師なるのか?頑張りや1ヶ月アメリカ行くわえっ!気をつけてな就職東京でするわえっ!寂しなるなぁ、遊びに行くわカナダ行くわどのくらい?1年。また急やな〜。分かったほんま全て決定したことの事後報告やったけど、反対もせず好きにさせてもらったな〜。と改めて思う。そして、父の一言が無かったら、母と私は今でも反発しあっていたかもしれん。ホンマに勘当寸前で、カナダに戻ったこともあるからね。しかし、妹も知らんかったし、母も今までそんなん言ったこと無かったら、知らない父の一面を見れて良かったと思う。おわり