久しぶりの県境シリーズ。
写真は新潟県村上市と山形県鶴岡市の間に建つ石碑です。
街中の小さな丁字路に建っているので、気をつけないと通り過ぎてしまいます。
ちなみにそこそこ有名なのか、記念スタンプなども用意されていました。
正確に言うと届いたのは昨日ですが、美しい模様が入った包丁が届きました。
実は今使っている包丁は千駄木に引っ越ししたときに買った物なので、10年以上同じ物を使っていることになります。もちろんきちんと研ぎながら使っているのですが、さすがにかなり傷んできているので、そろそろ新調しないとな・・・・・・と思っていたところ、新潟県燕市のふるさと納税の返礼品に包丁がたくさんあるのを見つけたので、先日の二十世紀梨と同時に申し込んでおいたのでした。
この美しい包丁は片岡製作所の粲 響十*1というシリーズ。意外と値が張る包丁です。明日から自炊の時に活躍してもらおうと思いますが、包丁が新しくなると料理も楽しくなりますね。
シルバーラインの終点にそびえ立つのが、本日最後の目的地奥只見ダム。豪雪地帯だけあって、まだ残雪があることに驚きました。
本当は田子倉ダムに続いて本日2枚目のダムカード*1ゲットとなるはずでしたが、残念ながら時間切れ。一応、奥只見電力館*2までは登ったのですが、扉は固く閉ざされていました。
奥只見ダムに通じるシルバーライン*1は計19本のトンネルにより全長 22.6km のうち 18.1km がトンネルとなっています。これは黒部ダムの関電トンネルなどと同じく、こちらは奥只見ダム建設のために作られた工事用道路だったので仕方ありません。ちなみにシルバーラインという名前の由来は、途中の銀山平の方で江戸時代に銀を産出していたからとのこと。
自転車、二輪車、歩行者は通行が規制されているので、無料ですが、自動車専用です。入り口に料金ゲートのようなものがあったのですが、これは開通当初は有料道路だったことの名残りのようです。友人は「2輪禁止なのは、入ればわかるよ」と言っていましたが、道幅が狭い上に、あちこちから水が湧きだしているので、自転車なんかで入ったら滑るわ、上から水が振ってくるわで大変なことになるということが良くわかりました。
† 近くにはマニア垂涎の国道 352 号線も
奥只見ダムの方に行く別ルートとしては国道 352 号線がありますが、こちらも国道マニア垂涎ルート(普通の人には難ルート?)で、現在は解除されているものの、昔は国道のくせに一方通行(午前と午後で抜けられる方向が決まっている)という、トンデモルートだったとのこと。
友人がマニアの聖地があると行って、国道291号線の中山トンネルの前に車を止めました。
我々と同じ目的と思われる先客が車を止めて、何かを探しながら周りをウロウロしていましたが、友人はそれを脇目にニヤニヤしながら「確かこっちに古いトンネルがあってですね・・・」と言いながら、脇道の坂を登っていきます。それについていくと、中山隧道という歩行者専用だったのかと思われる程の幅しかない手堀のトンネルが現れました。
軽自動車でも通るのが難しいくらいですが、これが中越地震で大きな被害をうけた旧山古志村と旧広神村をつなぐ生命線だったとのこと。ちなみに友人は中越地震が起こる数週間前に訪れたことがあるのだとか。
昭和初期、住民がツルハシで掘った、日本一長い手掘りの隧道(ずいどう=トンネル)。
現在も残るツルハシの痕跡など先人達の偉大なエネルギーと苦闘の歴史を伝えてくれる貴重な土木遺産です。
トンネル内部はひんやりしていて寒いくらい。運悪く三脚を持っていなかったので、フラッシュと高感度を使って手持ち撮影に挑戦してみました。ISO 12800 ですが、そこはフルサイズなので、マイクロフォーサーズの ISO 3200 並みにはなるんですね。。。
† 参考
さらに R252 を西進していくと湖とその畔に道の駅があったので、ここでちょっと一休み。
新潟といえばコシヒカリということで、お店で新潟産コシヒカリモナカを見つけたので、おやつに思わず買ってしまいました。米粒は控えめなので、割ってみてもパット見ではわからないほどですが、食べているとかすかにつぶつぶ感があります。種別がアイスクリームなので脂肪分が多いはずですが*1、コシヒカリの効果なのかさっぱりとした後口でした。
[道の駅いりひろせと鏡ヶ池 の続きを読む]今日の旅のメイン、福島と新潟の県境、六十里越にやっと到着です。さすがに豪雪地帯だけあって、この時期でも峠付近はまだ残雪がありますね。峠付近にある六十里越峠開通記念碑の揮毫は田中角栄。
この峠の六十里越というちょっと不思議な名前の由来は、かつてこの峠が大変な難所だったということから付けられているとのこと。ちなみに近くにはまだ開通していない、ココ以上の難所、その名も八十里越*1というのもあるようです。
当時の六十里越の道のりは非常に険しく、田子倉から入広瀬村(現魚沼市)大白川新田までで六里(約24㎞)程の距離でしたが、峠は難所が多く峠越えに苦労したため、道のりが実際の距離より遠く感じたことから六十里越と呼ばれていたといいます。
冬の関越道は始めてですが、とにかく雪がすごいですね。関越トンネルの新潟側では道路脇の案内標識が隠れてしまうくらいです。後半にかけて天候に恵まれたので、渋滞という渋滞に巻き込まれることもなく、すんなり都内へ戻ってくることができました。
結局、今回の旅行では3日間で東京~埼玉~群馬~栃木~福島~宮城~岩手~秋田~新潟~群馬~埼玉~東京と9県、計 1300km を移動するというなかなかハードな週末になりました。
今日中に都内に帰らなければならないので、酒田から南下して新潟から関越道経由で帰ります。ルートは決まってもさすがにランチ抜きというわけにはいかないので、ランチは新潟のB級グルメを食べることに。ということで、車内でタブレットを使って調べたところ、「イタリアン」という食べ物があるらしいということが分かったので、長岡のフレンドというお店に立ち寄ってみました。
結論から言うと、あまりにB級すぎてびっくりしました。写真を見てもらえば分かりますが、焼きそばにミートソースのようなものがかけてあるという、県外の人から見れば「これの一体何処がイタリアンなんだ?」というのが正直な所です。僕はコンポというセットを頼んでみたのですが、セットになるのがギョーザだったりと、ツッコミ所が多すぎる感じになっています。
ただ地元の人にはかなり受け入れられているようで、ドライブスルーも店内もお客さんで賑わっていました。
ちなみにこのお店は日本で最初にドライブスルーが設置された場所らしいです。