今日は所用で実家に帰省しているのですが、東北道で馬運車の集団に遭遇。
日本馬匹輸送の馬運車の側面には有名馬の名前ばかりが書いてあるので、これは何なのかと思ったら歴代ダービー馬にするというルールだったようです。
【出動!特命記者】至れり尽くせり!競走馬の移動に密着 (6/6ページ) - 予想王TV@SANSPO.COM
日本馬匹の馬運車には歴代のダービー馬の名前がついているが、近年は馬運車の数が日本ダービーの回数(81)では間に合わず、美浦トレセンに所属していた年度代表馬級の名馬の名前がついた車もある。
大内宿のほかにもう一つ重伝建があるということで、やってきたのがこの前沢曲家集落。
日が長い時期なので日没はしていませんが、到着したのは公開時間ぎりぎりになってしまいました。
特徴的なのはどこも家がL字型になっていること、そして家がちゃんと人の住居として使われていることでしょうか。
前沢集落(まえざわしゅうらく) | 南会津の観光スポット、イベント、宿泊施設など旅行案内 | おいでよ!南会津
曲家(まがりや)とは、その文字の通り、L字に曲がった住まいのことです。手前の突出部には、生活(農耕や運搬)に欠かせない大切な牛や馬を、そして奥の建物は人の生活空間として、牛・馬と人とが同じ家の中に暮らしていました。農業の機械化とともに牛・馬は人々の生活から離れていきましたが、集落23戸のうち半数ちかくが曲家を維持して生活しています。(L字型の曲家ではない作りを直家(じかや)と呼びます。)
大内宿の次は塔の岪(へつり)へ。
「へつり」というのは聞いたことがない言葉だったので、しらべてみると断崖を表す方言みたいです。塔の形をした断崖ということなのでしょうが、、少なくとも僕の出身地の宮城では使われない言葉ですね。
大川羽鳥県立公園、大川ラインの一番の景勝地。
なんと、百万年の歳月をかけて、浸食と風化を繰り返し見事な景観を創りました。
初夏、藤の花と白い岩肌の織りなす眺めは、まさに一幅の名画となっております。
既に藤のシーズンは終わってしまっていたのが残念でした。遠くからみるとこの断崖を巡るような通路が見えるのですが、実際には途中の通路が崩落していて歩くことができるのは舞台岩周辺だけです。
せっかく大内宿に来たので、名物の高遠そばを食べることに。
東北だとそばはやはり山形か会津に限ります。
高遠そばというのは、大根の絞り汁を蕎麦つゆに使うちょっと変わったそばのことで、帰ってきてから調べてみるとこれは信州の高遠に由来した蕎麦のようです*1。大根の辛みがあるので、わさびを入れなくてもさっぱりと食べることができます。
実家でよく食べていたちょっと甘い蕪の漬物がとても懐かしかったです。
[大内宿で高遠そばを食べる の続きを読む]今日のメインターゲット大内宿を散策します。
ここは言わずと知れた重伝建。町家の重伝建はいろいろ見ましたが、農村的な場所でこれだけ古い建物が残っているのはすごいですね。ただ、建物はほとんどがお店になってしまっていて実際に中に入ってみられる建物がほとんどないのはちょっと残念ですかね。
このトンネル、出口付近で急に曲がるのでおかしいなと思ったら出口が写真のようになっていました。
ふさがっている方の入り口は石楠花トンネル。友人が予習しといてねとくれた URL によると、国道289号 甲子道路にはほとんど使われずに放棄されたトンネルや橋があったらしく、この石楠花トンネルもその一つ。Wikipediaには下記のように記されています。
両端区間は福島県が施工し、下郷町側国道121号より5.3kmは1997年7月から2001年3月までに順次供用開始しており、西郷村側5.8kmは1995年6月16日に供用開始した。しかし、2002年7月に台風6号による豪雨のため石楠花トンネル付近地下で地すべりが発生したため、片見トンネルから石楠花トンネルまでの2トンネル2橋梁を破棄し、災害復旧工事として既存のきびたきトンネル途中から分岐し石楠花トンネルの坑口まで旧ルートの南側の山中を貫く新しいきびたきトンネルが建設され、2006年4月3日より供用開始した。
その後も内部で隆起が起こったりとなかなか大変な場所ではあるようです。
旧トンネルの中に入ってみるようなチャレンジャーなことはさすがにできなかったのですが、中はこんな感じみたいですね。
シルバーラインの終点にそびえ立つのが、本日最後の目的地奥只見ダム。豪雪地帯だけあって、まだ残雪があることに驚きました。
本当は田子倉ダムに続いて本日2枚目のダムカード*1ゲットとなるはずでしたが、残念ながら時間切れ。一応、奥只見電力館*2までは登ったのですが、扉は固く閉ざされていました。
今日の旅のメイン、福島と新潟の県境、六十里越にやっと到着です。さすがに豪雪地帯だけあって、この時期でも峠付近はまだ残雪がありますね。峠付近にある六十里越峠開通記念碑の揮毫は田中角栄。
この峠の六十里越というちょっと不思議な名前の由来は、かつてこの峠が大変な難所だったということから付けられているとのこと。ちなみに近くにはまだ開通していない、ココ以上の難所、その名も八十里越*1というのもあるようです。
当時の六十里越の道のりは非常に険しく、田子倉から入広瀬村(現魚沼市)大白川新田までで六里(約24㎞)程の距離でしたが、峠は難所が多く峠越えに苦労したため、道のりが実際の距離より遠く感じたことから六十里越と呼ばれていたといいます。
並行する単線の只見線を眺めながら、
「さすがにこの辺は電化されてないね」
「この辺はまだタブレットじゃなかったっけ?」
「去年くらいに廃止されてニュースになってたはず」*1*2
とマニアックな話をしながら R252 を西進していました。
† 第1のニアミス
我々的にはこれで平常運転ですが、友人がケータイで Twitter を眺めながら「フォロワーさんが只見線で逆方向から向かってきてるw」などと言うので、これには車内で大盛り上がり。
おそらく田子倉駅周辺になるだろうということだったのですが、それよりも手前で沿線にカメラを構えた人が沢山いることに気づいた*3ので、線路の方に目を向けていると、その方が乗った電車が眼下を駆け抜けて行きました。望遠レンズを持っていたので、タイミングが良ければその勇姿を写真に納めたかったですね。この只見線沿いは谷の感じも綺麗でしたし。
† 第2のニアミス
その後、先日廃止されたばかりの田子倉駅*4に到着。田子倉駅はシェッドに覆われたような地下駅ですが、立ち入り禁止のロープが張られていて中に入ることはできませんでした。周りに何もないので、これは廃止されるのも仕方ないですね。ここもマニアの聖地なのか、我々以外にもカメラで写真を撮っている方を発見。妙に近親間が湧きましたが、後に実はこの方も友人のフォロワーさんだったことが判明。予想以上に私の友人のフォロワーさんは濃い人が多くてびっくりしました。