篤蔵は、夢をつかみとるため心機一転上京し、多くの試練に立ち向かっていく。その経験を成長の糧にし、当時の日本人としては珍しかったフランス・パリへの修行に赴き、差別・偏見と闘いながらも世界最高峰のオテル・リッツのシェフとなり、ついには26歳という若さにして宮内省大膳頭・皇室の台所を預かる、言わば「天皇の料理番」となるのである。10 年前には片田舎のやっかい者、ダメ息子だった男がである。
だがそれは、妻を 家族を愛し、師を慕い、仲間を頼り、夢を信じ、そして料理を愛し抜いたからであり、またそんな彼を支えてくれた人たちがいたからこそである。
夢は一晩では叶わない。そして一人でも叶わない。だからこそ尊いものなのではないだろうか。
さて、「天皇の料理番」の“料理”というのは普通のそれとは少し違う。その料理は政治や外交に深く関わるもので、饗応や式典に何を出すかは交渉を左右し、その国の姿勢や国力を示すものともなる。
彼の驚きに満ちた料理とそこに込められた真心は、確実に日本という国のステイタスを高めていった。一方で彼は日々天皇に食事をお作りし、その食事に対する態度を通して見えてくる人柄に愛情と尊敬を感じ、戦後の混乱期にも「この国の為に、自分に出来る事はないか?」と模索し続け、驚くべき奮闘を見せることになる。
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