职业: 制作人员 音乐人
日本のギタリスト、スタジオミュージシャン。ベーシストの江藤勲らとともに、日本の歌謡曲の黄金時代を、サウンド面で支えた。
ベトナム戦争最中の1969年より、横田、厚木、岩国、稚内、等在日米軍基地の将校クラブ、ティーンズクラブ等で演奏した。当時のゲストボーカルは五輪真弓。
その後東芝レコードプロデューサー渋谷森久の目に留まり、徐々にバンド活動からスタジオミュージシャンの道を歩み始める。郷ひろみの「男の子女の子」や、山口百恵の「プレイバックPART2」など、数多くの楽曲のセッションに参加し、セッションギタリストとしての名声を高める。
1981年フェアライトIIその後フェアライトIIIを導入し、アメリカMCI製2インチ24トラックとサウンドクラフト製コンソールで、ホームレコーディングを都内で始めた。
1982年には「矢島賢&ヴィジョンズ」名義で「リアライズ」発表。
1984年から妻であるキーボーディストの矢島マキ(田代真紀子)[2]と結成した「Light House Project」名義で編曲を主に活動を行っていた(下記参照)。
長渕剛は矢島のことを「ソロギタリストで唯一頭が上がらない人物」と公言している。長渕の「海」は矢島のために書いた曲だと言っている。実際この曲には矢島のギターソロが大々的にフィーチャーされている。
近藤真彦の「ハイティーン・ブギ」でギターを弾いているのは矢島だという。
2015年4月に死去。
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