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祖父祖母増田に関するzeromoon0のブックマーク (25)

  • 祖父がいやだ

    初めて書く。知り合いに言えないのでここで言わせてほしい。 祖父がいやだ。祖母も嫌いだけど祖父の方が実害があるのでいやだ。もう一緒に住みたくない。 元々怒ると怒鳴ったり周りの物に当たったりする人だった。小さい頃はそれが怖くて、隣の部屋で怒ってるのが聞こえると机の下に隠れて早く終われって祈ってた。 でもその頃はまだよかった。そこまで怒るのなんて年に数回だったし、怒っていない時は優しかったし良いおじいちゃんだと思ってた。 ここ数年癇癪が当にひどい。自分がこうだと言ったらもう他の人の意見は聞かないし、周りがどんなに優しく反論してもなだめようとしても何故かそれを自分を馬鹿にしていると言って怒る。火に油ってこういうこと言うんだなって思った。 怒る理由も理不尽だし意味不明だし明らかにおかしいのに全然ゆずらない。歳のせいって言われたら仕方ないかなと思う。そういう世代だし。でも怖い。反論しても聞いてもらえ

    祖父がいやだ
    • うちのばあちゃんは認知症だ

      最近は何かを言った次の瞬間に何を言ったのか忘れている。 フィクションなんかでよくある「ご飯はまだ?」「ばあちゃんさっき一緒にべたでしょ」なんてやりとりももちろんする。 うちは二世代家族で昔は両親も祖父母も外に働きに出ていた。 両親の仕事は深夜に終わることが多かったので仕事帰りの祖父母が交代で保育園へ迎えに来てくれたのを覚えている。 平日の晩ごはんを作るのはばあちゃんの担当で、道すがらにあるスーパーに寄ってから家に帰ることもあった。 暑い日なんかはファミリーパックのアイスを買って、ばあちゃんに急げ急げと急かされながらスーパーの駐車場を2人で走ったりもした。 畳の匂いのする居間でテレビを見ていると台所からトントンと包丁で何かを切る音が聞こえてきて 揚げ上がった唐揚げの匂いにつられて近づくと内緒だよと、ひとかけらだけつまようじにさしてべさせてくれたっけ。 小学生くらいになると料理を手伝いたい

      うちのばあちゃんは認知症だ
      • ばーちゃんと電話したら寂しくなってきたので、こっそりと書きます。 よ..

        ばーちゃんと電話したら寂しくなってきたので、こっそりと書きます。 よんどころない事情で小さい頃からじーちゃんとばーちゃんと暮らしてたんだけど、当たり前のように貧乏だった。田舎のじーちゃんばーちゃんだから、買ってくれる服やおもちゃのセンスも微妙に変で。 私はたまにわがままを言ったけど、幼いなりに家庭の事情もうっすらわかってたから、あんまり無茶は言わないようにしていたような覚えがある。それでもじーちゃんばーちゃんは困ってたかもしれないけど。 とある年の12月、私が通ってる保育園でクリスマスパーティーをする予定で、その年はみんなパーティーはおめかししてきてねってことになってた。 ばーちゃんはお迎えで先生におめかしの話をされた後、帰り道で「お金もないし、あんたはすぐ服汚すからどうしようかね」と言った。そこで私はかわいい服は買ってもらえないんだと察して拗ねて、それでも帰ってからばーちゃんと2人で手

        ばーちゃんと電話したら寂しくなってきたので、こっそりと書きます。 よ..
        • 落ちこぼれの姉

          わたしはお姉ちゃんである。ただ妹よりも2年早く生まれただけのお姉ちゃんだ。明日死ぬかもしれないから好きなことして楽しく生きていようなんて自分勝手になんとなく残りの人生を生きてる、はっきり言って落ちこぼれのお姉ちゃんである。 妹は真面目に勉強をして試験を通り国が定めた資格を持ってたぶんわたしの10倍くらいの給料を貰って毎日仕事をがんばっている。我ながらよくできた妹だ。子供の時から可愛がってきたせいで若干気の強い子にはなってしまったけど、社会でそれを出したりはしない。いわゆる世渡り上手だ。(誤解のないように書いておくがわたしこと姉と妹は仲が良い。わたしはシスコンだと自負している) かくいうわたしは特になりたいものもなかったしやりたいこともなかったしなんとなく親に言われて行った学校を途中で辞め数年会社員をしていたが、なんとなくこんな毎日を続けてて楽しいのだろうかと思って会社をやめた。 しばらく休

          落ちこぼれの姉
          zeromoon0
          zeromoon02020/06/05非公開
          事情はよくわかんないけど妹はこれ読んだらめちゃくちゃ怒ると思う。
          • おじいさん

            太平洋戦争で満州に行ってたという私のおじいさん。 今はもう死んでしまったんだけど、戦争についてどう思っているのか、戦時下に何を思っていたのか、その時のことを今どう思うのか、知りたかった。 小渕さんから賞状をもらって部屋に飾ってあった。 拳銃を持った兵隊さんの絵が飾ってあった。(おじいさんは強い兵隊だと思っていたら、少し前におじいさんの弟におじいさんは満州で馬の世話をしていたと聞いてすこしがっかりした) 結局聞けなかった。というか死んでからそれが気になった。 もし、もう少しうまくやってたら今の日はだいぶ違ったんだろうなあと思う。 もっとましになってたかもしれないし、もっとひどくなってたかもしれない。 今、新型コロナの非常事態において、自分は凄く無力だ。 非常事態と言われる状況下に置かれて、少しわかった気がする。 僕は今は非常事態だとは思っていないが、日の非常事態というのはこういうものだ、

            おじいさん
            • おばあちゃんが死にそう 【追記】亡くなりました

              少し気持ちが落ち着いたから今書く。亡くなった後だと書けないだろうから。 おばあちゃんが大好きだった。長男教のジジイと違って自分に優しかった。両親共働きで寂しいときに遊んでくれたのはおばあちゃんだけだった。お手玉したり神経衰弱したりしてた。料理も作ってくれた。 おばあちゃんは常に癇癪起こしてるジジイの横にいて諌めてたりしてた。おばあちゃんはジジイより先に老人ホームに入ったんだけど、ジジイはしょっちゅう会いに行ってた。その時にジジイがおばあちゃん好きだったってようやくわかった。 おばあちゃんて幸せだったのかな。田舎の農家に嫁がされていびられるは夫は癇癪持ちでフォローしなくちゃいけないわ、孫は一人も結婚しないままだわ…「孫が結婚するまで死ねない」って言っててすごく長生きしたのに当にすみません。兄弟全員モテないんです。 老人ホームに週一で面会行って親戚の人含めたら週三で面会行っててすごく元気だっ

              おばあちゃんが死にそう 【追記】亡くなりました
              • 雲の家

                母方の祖父母の家に行くときは必ず雨が降っているか曇っていて、あそこで晴れ間を見たことが当に一度もない 祖父母は優しかったし家の構造も好きだったんだけど、絶対に天気が悪いのがやはりちょっと嫌だった 別に一年中天気が悪い土地だってことはない でも俺が行くと絶対に天気が悪くなる 奇跡的に続いてるジンクスみたいなもので、せっかくだから途切れないでほしいと思ってる間に祖父母が死んで家は売られ、もう行くことはなくなってしまった 俺にとってあの家は常に曇った家だったし、あの町は常に曇った町だった 晴れているときの写真は見たことがあるけど、ちょっと信じがたい感じがした

                雲の家
                • 祖母が死ぬ想像をしただけで泣いてしまう

                  私の父方の祖母は御年80で、とにかく元気だ。 叔母一家(父の妹の一家)と同居している二世帯住宅で、掃除洗濯料理の全ての家事をこなし、面積の広い家庭菜園の管理をし、二日に一度は市民プールで泳ぎ、夏になったら近所の夏祭りに出店し、習い事をしていて友人も多い。 昔は小学校教師で、その縁で祖父と知り合ったらしい。今でも当時の教え子の方からの年賀状が届く。 スマホやLINEの使い方は少し不慣れだけれど、勤勉で好奇心旺盛で、若者の趣味に何の偏見も持たずむしろ興味を抱いている。 年末の紅白歌合戦では米津玄師のパフォーマンスを絶賛していた。 私が帰省して祖母の家に顔を出そうとすると、いいと言ってるのに毎回必ず車で送り迎えをしてくれる。 「少し痩せたんじゃない?ちゃんとべなきゃだめよ」と成人済みの孫にお小遣いを握らせてくる。 「あなたが元気ならそれでいいの。東京で上手くいかなくたって、元気でいてくれれば何

                  祖母が死ぬ想像をしただけで泣いてしまう
                  • うちの祖母がのモットーが「いつもニコニコ元気よく」だった。子どもを相..

                    うちの祖母がのモットーが「いつもニコニコ元気よく」だった。子どもを相手にする仕事だったので、子どもたちにそう言うのはまぁ良いとして、別に楽しい日々を送っているわけでない孫に笑顔を強いるなよと私は腹を立てていた。(当時私は大学生ぐらいだったと思う。) が、愛想が良くて調子良くおしゃべりする婆さんだったので友達はやたらと多く、誕生日やら何やら山のようにプレゼントが届き、何かといえば旅行事会などの誘いを受けて遊びに行っていた。 こっちは祖母のもらったプレゼント(人の好みに合わないと放置して家族に押し付ける)の始末に苦労し、やたらとかかってくる電話の対応にもうんざりしていたけど、愛想の良いおしゃべり婆さんは世渡り上手だったらしい。 まだ祖母は生きているが認知症が悪化して筋の通った話はできず、足腰もきかないので車椅子に乗って特養で暮らしている。そんな状態でも特養の中では手のかからない婆さんらし

                    うちの祖母がのモットーが「いつもニコニコ元気よく」だった。子どもを相..
                    zeromoon0
                    zeromoon02020/03/11非公開
                    この増田から元増田を想像できるだろうかシリーズ
                    • 大相撲が大好きだった

                      今も大相撲を見ることあるけど、仕事の関係上休みの日にしか見れない。だからいつの間にか新しい力士が頭角をあらわしたりしている。 子どもの頃、祖母の家に預けられていた私は、曽祖母と大相撲や甲子園を見ることが日課になっていた。 今日はGWの振り替えでお休み。当に久しぶりに3時過ぎから見ている。 曽祖母は1908年生まれで2007年まで生きた。最後までボケず、俳句をたしなみ、足腰は不自由だったが聡明な女性だったと思う。北海道の開拓の第二世代として大正~戦前戦後、平成まで生きた。すごい時代を生きたもんだ。 最晩年、病院で曽祖母の手を握った感触は今でも忘れない。私も、時代は変われどあのように生きたいと思える人間だった。 中入りとか土俵入りをじっくり見ながら、また当時の力士が親方になったことを改めて感じながら、昔の、あの、祖母の家での日々を思い出した。 しっかし相撲ってのは非常にゆっくりとしたもんだ

                      大相撲が大好きだった
                      • 節分と婆ちゃん

                        節分は年の数だけ銀杏をべる。 子供の頃、婆ちゃん子だった。 両親は仕事をしていたので、学校の帰りによく婆ちゃんの家に寄っていた。 大好きだった婆ちゃんとべた思い出の味。 婆ちゃんの家では豆じゃなくて銀杏が定番。 爺ちゃんの方角に向かって銀杏を投げてた。 そして明日は婆ちゃんの命日。 婆ちゃん、今年も銀杏べたよ。

                        節分と婆ちゃん
                        • 婆ちゃんに戦争の話聞いてきた

                          今年87歳になった婆ちゃんに、 正月、田舎帰った時に戦争の話を聞いてきた。 当時「この世界の片隅に」のすずと、 同じような年齢で戦争を経験した婆ちゃんに当のところは、 どうだったのかなと聞いてみたいと思ったのがきっかけだった。 婆ちゃんは7人兄弟の三女。 婆ちゃんのお母さんは、早く亡くなっていて 物心ついたころには、後としてきたお母さんに育てられたそうだ。 婆ちゃんが子供のころは婆ちゃんのお父さんは事業に成功していたらしく 家にはお手伝いさんが何人もいたらしいのだが、戦争前に事業に失敗。 家は途端に貧しくなったらしい。 たまたま勉強が優秀だった婆ちゃんは、 小学校の先生が何度も何度も婆ちゃんの家に来て 婆ちゃんを女学校に入れて欲しいと、お父さんを説得したそうだ。 当時はまだまだ少なかった奨学金の話を持ってきてくれたり、 授業料免除の手続きなどをするなど、当に熱心に動いてくれたらし

                          婆ちゃんに戦争の話聞いてきた
                          • 認知症であろう祖母の買い物依存をなんとかしたい

                            ググっても、具体策があまり出てこないから知恵を貸してほしい。経験談でもいい。とにかく情報が欲しい。 うちの祖母は間もなく90歳を迎えようとしている。 祖父は何年か前に他界しているが、祖父の死後、祖母の祖父に対する積年の恨みが言葉になって出てくるようになった。 曰く、若い頃は暴力を振るわれた。農家で産後一日で祖父と同じだけ働かされたり、曾祖母からいじわるも沢山されてきた。それなのに生活費以外は貰えなかった。などなど。兎に角、お金にまつわる話が多い。 私の記憶では、祖母は買い物が好きだけれど、祖父の顔色を見て遠出はあまりできていなかった。 だから、祖父の死後は習い事をしたり、友達とカラオケに行ったり、買い物に行ったり(どれも親族の送り迎えや付き添いがあるけれど)と、割と独り身生活をエンジョイしている様子。 そんな中、最近目に余ることが増えた。 通販での買い物が多すぎる。 これまでは月に1,2回

                            認知症であろう祖母の買い物依存をなんとかしたい
                            • 祖母が亡くなって一年経った。

                              去年の今頃祖母が亡くなった。友人達と都内の居酒屋チェーンで行けもしない旅行の計画話をのんべりしていると母から「祖母が病院に運ばれた。すぐ帰ってきてほしい。」との連絡があった。 電話があった時点でもうだいぶ飲んでいたし、店から運ばれた病院まで結構な距離があったのでちょっと気の抜けた返事をしたら、めったに声を荒げない母親から恐ろしい勢いで怒られたので、当にただ事ではないなのだと分かった。 酔いもどこかへ行ってしまった。私の腎臓はこんな時だけまともに働く。 祖母は痴呆がかなり進んでおり、「痴呆症」で検索すると出てくる症状の7.8割をクリアしていた。そして同棲している我々家族はみな疲弊していた。 病院へ向かうタクシーの中で「これはもう前と同じ祖母に会うことはできないのかもな」と痴呆の初期症状が出てきた時と同じことを考えていた。薄情な孫だった。 祖母と私はどうにも性分が似ているようで、祖母来の

                              祖母が亡くなって一年経った。
                              • 沖縄のことを書いておきたいと思った

                                朝から首里城が燃えてるのをニュースで見て陰な気持ちになった。沖縄の方や血縁の方、首里城を訪れたことのある方はなおさらだろうと思う。 私もルーツを沖縄に持つ一人として、ほんの少し心が痛い。といっても、沖縄を訪れたことはないし、今となっては戸籍に証拠も残ってない。このまま消えてしまう私のルーツ、個人的な沖縄との関わりを書き残しておこうと思う。 私の母方の祖母は沖縄出身。母は昭和一桁生まれ、戸籍は大阪市内。小学四年生で父親が亡くなり、母ひとり子ひとりで苦労したらしい……と、母からは聞いていた。祖母が亡くなったのは私が三歳の頃。当時は沖縄はアメリカ占領下にあり、土復帰が成されてから実の弟さんが訪ねて来られた。たしか夜だったと思うが、フェリーを見送りに行ったのか迎えに行ったのか、夜の港へ行った記憶はある。後に聞いた母の話を繋ぎ合わせると、ようやく連絡がとれたものの、祖母がすでに亡くなっていたので

                                沖縄のことを書いておきたいと思った
                                • 五月蠅い

                                  祖父の葬式とか〇回忌とか墓参りの際にはいつも象徴的な虫が出現する。季節外れの虫とか、どこから出てきたのかわからないでっかいカマキリとか、「あの虫さ~」ってみんなが覚えてて話題する系の虫。 葬儀の時にずっとハエが飛んでて、祖母に「あのハエ邪魔だったねー」と話したら、お通夜の時からずっといたと。母やら叔母やらもハエのこと認識してて、「もしかしたらおじいちゃんがハエになって遊びにきたのかもね~」って話してた。で、母がはっと気づいて、そういえばおじいちゃんの口癖「うるさい!」だったって思い出して、ハエって漢字で書くと…。 そんな話をしていて、何回忌かでまた親戚が集まって、その時もなんか虫が出て、「おじいちゃん来てるねー」って話してたんですけど、祖母がそれ見てやだ気持ち悪いって踏みつぶしちゃって、一同えーーーーーーーーーー!!!!いやあの話…おじいちゃ…! 祖母は祖父が脳梗塞でぶっ倒れてから10年近

                                  五月蠅い
                                  • 祖母の昔話をきいててつらい。

                                    男尊女卑が今よりもさらにある時代。 学力がありかわいかった 若い頃の祖母の写真をみた。 ああ、もっと優しくて 常識もある人と結婚できてたはずの方なのに、 どうしてタバコを好み閉鎖的な考え方で 子どもにもどなりちらして 人格否定をする男と結婚してしまったのか そして離婚する体力もないまま 祖父のほうがタバコのせいで 要介護になって 祖母もボケていく。 なんだったんだろう。 そう自分は思った。

                                    祖母の昔話をきいててつらい。
                                    • 自分が在日三世だと最近知った

                                      あまりにもショックで動揺を隠せないから書く 在日三世 正確にはクオーター 祖母が入院する事になり荷物の整理をしていた時に発覚した 祖母は母方 前、祖母が酒に酔った時に「おじいちゃんは韓国人」に話していたことがある その時は子供だったから「何言ってんだこの人」と思ってスルーしていた 今回、入院の荷物を整理するにあたり、母親はひたすらに祖母の荷物をを見ようとする私を拒んでいた 祖母と母は不仲な為仕方ないのかと思ってたけど、たまたま荷物を見てしまったら納得した 家系図が出てきたのだ それもハングルと漢字混じりの しっかりと祖父の名前も刻まれていた 他にも韓国人の写真やら北の国の将軍様が描かれたお札も出てきた もしかして、私のルーツは北朝鮮なの?? 入院先の祖母にこの事を聞いた 「その写真は韓国人の親戚」とだけしか語らなかった しつこく聞こうとしたけど聞ける雰囲気じゃないし、母親が来た為聞くのを辞

                                      自分が在日三世だと最近知った
                                      • ドラえもんからの卒業

                                        夢の中にドラえもんが出てきた。どんな表情だったかは思い出せない。ただ、子供のころから馴染んだおばあちゃんのような声で、「君ももう僕から卒業しないと」と、彼は言い、僕から去っていった。 起きたら泣いていた。どうしようもなく悲しかった。 僕は30になる。毎週末ドラえもんの、昔の映画を見る。同じ話を繰り返し見て、週が明ける。 小学生のころ、週末はよくドラえもんの映画を見た。僕と姉と両親と、母方の祖母とで。見ている最中父はよく居眠りしたし、母は家事のため離席した。姉は中学に上がると部活で家を空けた。そのうちテレビを眺めているのは僕と祖母二人だけになった。幼かった僕は祖母に抱かれながら、飽きもせずドラえもんたちの冒険に心を弾ませていた。 同じ話を繰り返し見る僕に、父も母も呆れていたように思う。それでも僕はドラえもんに釘付けだった。そんな僕に祖母は何も言わず、ただにこにこと笑って頭を撫でた。 ドラえも

                                        ドラえもんからの卒業
                                        • 50年以上添い遂げた夫婦の末路

                                          諸事情で故郷から離れてしまった 祖父が後年は里に帰りたいっていうから ケアの入ったマンション型老人ホームに祖母と一緒に暮らすことを提案したら 祖母が祖父と二人きりで暮らすのは嫌なんだって 自分の夫なのに 共白髪になるまで添い遂げてるのに嫌なんだって衝撃だった 昔の人だから見合いで結婚してて恋愛感情じゃないんだろうね まさに生活の糧としての結婚 ずっと一人なのと パートナーと割り切って結婚するのと どっちが幸せなのか考えてしまうね

                                          50年以上添い遂げた夫婦の末路

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