恋人である彼女と結婚し、夫婦となった二人の間にはほどなく子どもが生まれ、ふたりは父と母となった。 母となったことで夫とは「家族」という意識が強くなり、妻は夫からの夜の営みの誘いが苦痛になってしまった。 夫は寂しさから風俗で遊ぶようになり、そこで一人の風俗嬢と出会った。 どうにか風俗嬢の注目を集めたくても、ブランドものを買ってプレゼントする金はない。 そこで夫は、髪型やコロンやネイルなど、細やかな仕草や変化を観察し、風俗嬢を誉めるよう心遣いで気をひこうとする。 風俗嬢にとっては数いるカモの一人という認識だったが、不器用にも必死に食らいつく姿が無様で面白く感じ、次第には日々の暮らしや愚痴など打ち明けられる仲になる。 女性と接するにつれ、もしや妻との性生活が疎遠になった原因は、育児や生活のために相手をリスペクトすることが疎かになっていたのではないかと気づく。 不気味に誉めてくる夫に対して、妻は戸

遠いところにある扉を開いて立ち止まった時に 声が聞こえた どんな声だろう、耳を澄ませてみる やはり声が聞こえた 誰の声だろう 思い出してみる でも思い出せない 小さな声を聞いていた 微かに聞こえてくる小さな声だ 小さ過ぎて聞こえにくい でも、どうにかしてその声を聞き取ろうとした それこそが正しいことだと思ったのだ 思いの中の小さな欠片を見つけるために、耳を澄ませた 小さな欠片の中にある、大きなものを見つけたかった それは中々見つからない。小さな欠片を探したけれど、小さな欠片は大きなものの中に隠れてしまっている 小さな夢の中に隠れた大きなもの 遠くから聞こえる声、どこにもいかない影、いつのまにか消えてしまった夢 美しさの中に潜む人はだれか 悲しみの中に沈む美しい欠片を見つけよう そこにある小さな夢を訪ねよう 探しに行こう

誰かがやらかした みんなで 叩こう 暇つぶしにはちょうどいい 標的(ターゲット)があれば 誰かがやらかした みんなで 叩こう 面白ければ何でもいい 標的(ターゲット)があれば 誰かがやらかした みんなで 叩こう いいか悪いか どうでもいい 標的(ターゲット)があれば 誰かがやらかした みんなで 叩こう 自宅 職場 顔写真 標的(ターゲット)があれば 誰かがやらかした みんなで 叩こう 生きようが死のうが 関係ない 標的(ターゲット)があれば 家族がやらかした みんなが 叩いてる 身内も懲らしめよう 標的(ターゲット)は私 誰かやらかさないかな 誰かやらかさないかな ぶっちゃけ 誰でも何でもいい 標的(ターゲット)を探せ 次の獲物(ターゲット)は誰? ***** 自らは傷付かない場所に身を置きながら、 他人を傷付ける風潮を憂いています。 失敗も過ちも、後悔すらも許されない空気を憂いています。

仮に天国があるのだとしたら、あの世があるとしたらこの世は何なのか? もし天国があるとしたら天国があるにも関わらずこの世が必要な論理的な理屈とは何なのだろうか? 仮に天国があり、この世はジェットコースターのような感覚で自由に遊びにきているのだとしたら、 この世はテーマパークのようなものであり、尊厳が失われるかと思うが、どうか? そうではなく天国に至るための前段階としての試験場とこの世を捉えたらどうか? 天国に至る資格のある人間を選定するための環境として捉えてみてはどうか? では人間の尊厳とはどこにあるのか? 何物から、何者から、超越存在から間引かれるような立場で、まるで作物の林檎の選定のような扱いを受ける人類の尊厳とは、どうか? そもそも論、そもそも天国もあの世も無いとしたらどうか? 私たちの宇宙が、目で見える範囲で、目に見えない範囲でしかなく、 虫や鳥や、牛や動物たち、木、細菌、無機物、有

会社からの帰りにふと思い立ち、宝石を買うためにスーパーに寄った。 買い物カゴを手に取り、奥の方に進んでいくと、肉コーナーと鮮魚コーナーの間に宝石コーナーがある。 そこではルビーやエメラルドやメノウなど、だいたいの宝石が売っている。 私はそれらを品定めしながら、帰ったら宝石をどのように調理しようか考えていた。 私は、宝石の中では翡翠が一番好きである。甘いような、少し酸っぱいような味は和食にもよく合うし、冷蔵庫で冷やしたものをそのまま食べても美味しい。 しかし、残念な事に翡翠は既に売り切れていたので、色々悩んだ結果、ガーネットと真珠とサファイアを買うことにした。 ガーネットはザクロ石という別名の通り、少し茶色がかった透き通った赤色で、球状の粒がザクロのように塊になっている。 味は酸っぱくもなく苦味もないので食べやすい。干し柿の甘さに似ている。 真珠はプニプニとした食感に好き嫌いが分かれるが、今

ここ2日ばかりひたすら活字を追いかけてすごした。 活字を見続けるとどんどん思考が狭まられていく。 私の中にあるはずの自分の言葉ってヤツを探し続ける。 それは誰の目から見ても歪で理解不能で人前にさらせないモノのなので、 私の潜在意識は蓋を固く閉じる。 だが、そんな歪な自分を傍において、様々な角度から照明を当てて 感銘したい悪趣味な自分がいる。 過去にSNSというこの時代の発信方を通して様々な人間と関わってきた。 それぞれが光を一切見失いそうな闇を隠し持って当たり前のように生きていた。 何処で何をしているのかも、名前すら知らない相手から、 『 お前も人殺しなのか?』と問われることもあれば 親に捨てられた過去に縛られ、妻子と家族団らんの時間が辛くて耐えられないのだと、 大方、一般の人間には理解できない苦しみを訴えてきている人物もいた。 嘘か真実か知る由もないが、明らかにそういった闇をかかえた人間

私が今ここに存在していると気づいたのはつい先程の事であった 私は己が何者であるかについてはさっぱり分からなかったが自分自身の存在については一切の揺ぎ無く ここにあると断言できた 私はここにいるそれだけは確かなようであった しかし感じるのはそれのみで他の一切は闇に包まれ漠茫としていた 私は何もできず、ただ私という認識の中を漂い続けていた 私がここにいるのを示すのはこの思考と私がここにいるという認識のみであり、 私は次第に心細い気持ちになりつつあった 唯一正しいと感じていた自己の存在もまた曖昧なものと感じ始めている 私は思考の中から一切出ることができず、よって何らかの対象にどのような形でさえも影響を与えられずにいる 私は今、この閉ざされた認識系の中で思考と私と考えているものの本質とが同一であるかについて思考しようとしていた

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