読んだ。本が本でなくなる日 -TechCrunch この記事に限った話ではないが、電子書籍が普及してからというもの「本は死んだ!」みたいな話をたびたび目にする。俺から言わせてもらえば「今更?」って感じだ。本が息をしなくなってから相当経っているだろ。 文庫本電子書籍は携帯性に優れているが、本を手軽に持ち歩けるようになったと言えばまず文庫本だ。そして文庫本もまた本の価値を下げてしまった。 それまで本というものは重厚で高価であり、気軽に持ち歩くものではなかった。そのため本を読むということは部屋で机に向かって行うものだった。そのため読書はそれ自体が主であり、何かのついでや暇つぶしで行うものではなかったのだ。 しかしそれが16世紀に変わってしまった。アルドゥス・マヌティウスの手によって*1。印刷業を営んでいた彼は商売の上手いヴェネツィア人らしく、「持ち歩ける本」という全く新しい商品を生みだした

私もこのことについては昔から気になってました。 軟膏や粉薬じゃ意味がないことわざなのに、かなり古い文献にも似たような記述がある。 考えられるのは黒田如水の先祖が商っていたというメグスリノキなんですが、これは洗顔液で点眼薬ではない。 幕末のポンペ先生が1867年に弟子に伝えて大当たりしたという「精奇水」か?でもこれも軟膏らしい。 後の参天製薬になる田口參天堂が最初の点眼薬を売り出したのは、1899年の事なんです。 通常のQAは結局よくわからないので、このことわざ自体が新しいものなんじゃないかという結論でした。 しかし、ここでこだわりの人のサイトを発見できました。ことわざ研究者(ことわざ学会代表理事)北村孝一氏の「ことわざ酒房」です。 氏は例のトリビア番組で当時は「軟膏の塗り薬」で、二階から目薬は「無理な相談です」「ことわざの意味も出来ないこと、してみても無駄なこと」だという説を聞き、釈然とし

陸軍内部でも存在が秘匿された諜報(ちょうほう)員養成機関・陸軍中野学校の1期生に関する陸軍大臣への「卒業報告書」が見つかった。 終戦直前、関係資料は焼却されたとされ、創設時の教育内容が公文書で確認されたのは初めて。爆破実習や写真技術をはじめ、忍術もカリキュラムに含まれていたことが明らかになった。 アジア歴史資料センターが公開した防衛省防衛研究所の資料の中から、山本武利・早稲田大名誉教授(情報史)が見つけた。 中野学校は、「後方勤務要員養成所」として設立されたと考えられてきたが、更に前身として「防諜(ぼうちょう)研究所」が1938年4月に、東京・九段に設立されていたことが報告書で判明。翌年、中野に校舎を移して養成所に、40年に中野学校に改編。45年の廃止までに約2300人が卒業したとされる。
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