日本・オーストリアの友好150周年を記念し、ウィーンの美術館「ミュージアム・クオーター」で9月下旬から開かれている美術展「ジャパン・アンリミテッド」について、日本の外務省が先月末、記念事業としての公認を取り消した。展示作品は日本の首相や昭和天皇などを題材にしており、ツイッターなどで「反日」だと批判が出ていた。外務省は美術展開催から1カ月後に公認を撤回しており、美術家からは、展示内容の是非ではなく「国内で騒動になるのを恐れただけだ」と非難する声が上がっている。【ウィーン三木幸治】 「表現の不自由展」出展の2組参加、当初、外務省は「好意的」 美術展は日本やイタリアなどから18組の美術作家が参加し、今月24日まで開催。脅迫などによって一時展示が中止された国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」に出展した作家も2組参加している。 キュレーター(企画者)のマルチェ

原作読んでも、主に男性読者に向けた性的アピールのための巨乳設定にしか見えないけど、「漫画に慣れている人にとっては、これなら特に性的というほどでもない」なのがどうしてもモヤる。せめてそこは認めてーや

14日に閉幕した国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」。脅迫や抗議によって企画展「表現の不自由展・その後」は中止され、最後の数日間だけ再開された。中止を巡って賛成派は「作品は政治的なプロパガンダ」、反対派は「戦後日本最大の検閲」などと非難の応酬が続いた。戦前の表現規制や国威発揚に造詣が深い作家の辻田真佐憲さんは「こうした言葉が来歴から切り離されて利用されている」と指摘し、冷静な議論を促す。一方で、文化庁による愛知県への補助金交付の取りやめについては危機感があるという。【大村健一/統合デジタル取材センター】 表現の不自由展 炎上を防ぐために必要だったことは? ――まず、「表現の不自由展・その後」を巡る一連の出来事についてどのように見ましたか。 不自由展は再開後に行ったのですが、抽選に外れて入れませんでした。見ていないので何とも言えない部分が大きいですが、一部の作品は本来持っていた文脈から

キュレーター「私も、演劇の一登場人物になってしまった」 津田氏は10月6日の冒頭プレゼンテーションで、「情の時代」というコンセプトを改めて説明し、「不自由展」をめぐる事案について、 「通常、こういう国際映画祭はオープニングがあって、会期中は内容が変わることはほとんどない。そのまま(会期の)75日間続くというのが(一般的な)状況ではあるが、このような展示内容(の変更)や参加するアーティストが声明文を出し、その声明文が貼られていって、毎回来るたびに内容が変わっていく。ある種『生きたトリエンナーレ』になっている」 「通常は固定された現代芸術が、あいちトリエンナーレを舞台としたパフォーミングアーツの場所に変わっていっている。この『情の時代』というテーマに応答して、このトリエンナーレという舞台でどのように行動するかがアーティストひとりひとりに問われている、という稀有なトリエンナーレになっている」 な

昭和天皇の写真が燃やされて「日本国民が傷つく」とか思ってる人、実際よくわからんのだけど。 昭和天皇の写真燃やされてウケる〜とか思っちゃいかんのだろうか、そのひとたちにとっては。 少なくとも私は昭和天皇の写真が燃えてるのを間近で見ると興奮すると思うので、「傷ついた日本国民」に勝手にカウントしないでほしい。T田さんとかH田さんとかK村さんのことね。 私のそういう発想が不愉快なら私のことをべつに「非国民」とか呼んでくれてもいいけど、私にとって昭和天皇の写真が燃えるのは、後醍醐天皇の肖像画が燃えるのとあんまり大差ないよ(ウケるのは昭和天皇の写真が燃える方だけど)。 なんにせよ、自分の所属するカルトを飛び越えて主語を大きくするのはよくないよね。ここに存分に罵倒ツリーをぶら下げてもいいから、「昭和天皇の写真燃やされても別に不愉快でなくむしろウケる」と思うやつが標本1個ぶんいることは、その罵倒の中でさら

本日(9月26日)、文化庁の地域文化創生本部より愛知トリエンナーレの補助金全額不交付の件についてヒアリングを実施しました文化庁の説明は 愛知県(申請主体)の事務局が来場者や関係者などへの危険を予知していたにもかかわらず、申請の段階で文化庁に報告しなかったことが不交付決定の理由である 今回の決定は、表現の不自由展の展示物についての問題ではなく、申請における形式上の瑕疵の問題である 官邸や文科省政務三役、国会議員などによる政治的な影響はまったく受けず、文化庁の中でのみ検討し決定した とのこと 問題点としては 既に補助事業としての採択(「内示」相当)をしているにもかかわらず、「危険予知が出来ていなかった」ことだけを理由に補助金不交付の決定をした 開催前に補助金交付決定がなされるべきであったと思われるが、補助金交付申請の標準で審査にかかる30日を超えて、事業開始までに交付決定がされていなかった

私たちは何を学べるのか? 小田原のどか評「表現の不自由展・その後」 「あいちトリエンナーレ2019」の一企画であり、8月3日に展示が中止された「表現の不自由展・その後」。この展示中止をめぐっては、「検閲」「表現の自由」「キュレーション」など様々な角度から議論が巻き起こっている。この企画を、「あいちトリエンナーレ2019」参加作家でもある小田原のどかが「表現の不自由展・その後」の全17の出品作にも目を向けながら分析する。 文=小田原のどか 「失敗」の研究 先月末、筆者は「広島市平和記念資料館」について書いた。展覧会レビューという形式を借り、日本の戦時の「加害」について展示することをめぐって広島と長崎の二つの原爆資料館を架橋し、1996年の長崎で起こった「加害展示論争」に光を当てる内容だ。 このような論考を書いたのは、まだ日本には存在しない国立の戦争博物館というナショナルな記憶の場がつくられる

「『表現の自由』というのは公権力などによって強制的に表現することを奪われない権利です。一方で、ほかの人々から表現を非難されないという自由は含まれませんから、作品の内容や、展示の決定に対して人々が自由に批判することはまさに表現の自由です」と語りました。 ただし、木村さんは、批判をする側にも、一定のマナーがあると力説しました。 「強制力を使ってやめるさせることと、表現者に対して『こういう表現は間違っているんじゃないですか?』と伝え作者が自律的に改善するというのは全く違うものです。彫刻などの作品は鑑賞しないと立体的な評価はできず、報道などで作品内容を知ったとしても鑑賞せずに非難するというのは批判者として誠実ではありません。展示自体が行われていないということは、これまでに行った人を除けば作品を批判することすらできない状態になってしまった。つまり、今回の展示中止は『作品を見てもらう権利』と同時に、『

ニュース 2025年04月17日イベント トークセッション in 瀬戸を開催します 2025年04月10日募集 国際芸術祭「あいち2025」における「学校向け団体鑑賞プログラム」の申し込みについて 2025年03月27日ラーニング・アーカイブ 「ラーニング・ラーニング」vol.01のレポートを公開しました 2025年03月25日 [質問及び回答を追加しました(3/25更新)]国際芸術祭「あいち2025」プロモーション動画制作業務の受託事業者を募集します ニュース一覧

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