前回書いた『土偶を読む』を読んだけど(1)が思いのほか読まれてしまい、著者の竹倉さんからもコメントをいただき、少し気が引けているのだけど、乗りかかってしまったので続きを書くことにする。これはつい最近晶文社というサイのマークの出版社からだされた『土偶を読む』という意欲的な本の読書感想文に似た書評でもある。 竹倉さんもあとがきでこう書いている「今後の考古研究によって私の仮説が追試的に検証され、遠くないうちに「定説」として社会的に承認されることを私は望んでいる。」であれば、ここでの指摘に限らず様々な指摘や反論も本懐だろうと思う。 『土偶を読む』の「はじめに」ではこう述べている「さあ、それでは私が「世紀の発見」に成功した人類学者であるのか、はたまた凡百の「オオカミ少年」に過ぎないのか、ぜひ皆様の目で判断してもらえればと思う。ジャッジを下すのは専門家ではない。今この本を手にしているあなたである」 あ

海部さんらが最近発表した論文、「ホビット」こと、ホモ・フロレシエンシスの脳サイズの正確な測定の話から、アジアの人類、ひいては、日本の旧石器時代の話へとつながって、実はアジアが、日本が、人類進化や拡散を知るための鍵を握っている面があることを知った。特に日本では、蓄積された研究を、海外に開いていく必要があることも。 海部さんは、アジアの原人を1つの突破口にして、人類の進化全体を見たいと願っており、今、日本の旧石器時代のホモ・サピエンスの研究にも力を注いでいる。そのような立場から、見えてくるのはどのような景色なのだろうか。 「原人を研究しながらも、やっぱり僕ら自身のこと、このホモ・サピエンスという種がどういうグループなのかというのは考え続けてきました。さっき原人は多様だって言いました。地域的にもアジアとアフリカでは違う。ホモ・フロレシエンシスみたいなものいる。だけどホモ・サピエンスは多様じゃない

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