ネオテニー社長で、ベンチャーキャピタリストの伊藤穣一がこのほど、クリエイティブ・コモンズ(CC)のワールドワイドのCEOに就任した(関連記事:伊藤穣一氏がCreative CommonsのCEOに)。CCを提唱したローレンス・レッシグ教授が、政治的腐敗の追及に力を移すのに伴い、CEOの職を引き継いだ。 CCは、米国で2001年にスタートした、ネット上の著作物の流通を円滑化しようという試みだ。クリエイターが自身のコンテンツについて、「商用利用OKか」「改変OKか」「そのコンテンツを使った作品も、同じライセンスで公開することを義務付けるか」という3つの条件を組み合わせた6つのライセンスから1つ選び、コンテンツにマークを付けて公開することで、利用者は、クリエイターから個別に許諾を得ることなく、コンテンツを2次利用できる。 2003年からCCの理事を務め、06年からはチェアマンに就任、今年4月にC

三十代になっても、音楽がなによりすき、という人がうらやましくてたまらない。かっこいいなあ、とおもう。わたしは、そういうおとなを目指しながら、いつしか挫折してしまった。日常的に、音楽をあまり聴かなくなった。音楽を聴いて、ふるえるような感動をすることがなくなった。そして、生活の中で、音楽があまり重要ではなくなってしまった。こんな自分がなさけない。十四歳のわたしがそれを知ったら、さぞやがっかりするだろうなあ。いったい、いつからこうなってしまったのだろう。せっかく買ったiPodには、NHK「フランス語講座」のテキストCDしか入っていない。しかし、三十代で、あるていど音楽から遠ざかってしまっている人なら、わかってもらえるのではないか。十代、二十代の頃とおなじように音楽と接することは、もうできないという感覚が。 感受性が鈍ってきているのだという自覚がある。わたしも以前は、もっと繊細でするどい感受性があ
←ダンディな川内康範先生 齢87になって、再びマスコミをにぎわせておられる川内康範先生ですが、愛弟子であったにもかかわらず礼儀を失した森進一を破門したり、押しかけた無礼なテレビクルーに向かってステッキを振り回して一喝するなど、お元気そうでなによりです。ステッキの翌日はマスコミ各社にお菓子をふるまわれるなど、怒っても気配りを忘れないところもさすがといえます。 俺が川内先生に最初にお目にかかったのは1994年8月のことでした。当時仕事をしていた雑誌『クイック・ジャパン』(太田出版)で、俺は「QJ名物老人インタビュー」と呼ばれた連載をしていました。オリバー君を日本に呼んだプロモーター康芳夫氏・「怪獣図鑑」の挿絵画家・石原豪人先生に続いて、川内先生は三人目でしたが、なにしろあの『月光仮面』『レインボーマン』の原作者であり、お元気なうちにぜひお話を伺いたいと思っていたのです。 ←川内インタビューが載
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