
朝日新聞のオウム事件特集ページです。オウム真理教が暴走したきっかけはなんだったのか、「三つの転機」から探りました。


オウム真理教に対する捜査は、どのような判断でどう行われたのか。警察庁刑事局長として、捜査全体を掌握できる立場にいた垣見隆氏(82)の証言をもとに、未曽有のテロ事件が起きるまでの警察の動きをたどる。

オウム真理教による凶悪な事件が相次いだ当時、刑事部門トップの警察庁刑事局長だった垣見隆氏(82)が学者や朝日新聞記者らのチームによる聞き取りに応じ、捜査について証言した。警察はオウムに照準を合わせな…


#1 就職も断られ、銀行口座も作れずーー高校にはどうして通えることになったんですか? 高校は弁護士の先生たちが面談に行って、「こういう子なんだけど受け入れてくれないか」って話をしてくれたんですけど、どこからも断られて。最後にダメもとで出した通信制高校から合格通知が来て、高校に行けることになりました(松本麗華さん、以下同) ーー高校生活はどうでした? 緊張しました。“普通”がわからないから、どんな会話をしたらいいんだろうっていつもどきどきしていた。月1回とか2回通って、その後はマックでおしゃべりしたりして。友達は私のことを知らなかったです。今も知らないかもしれない。でも、(月に1回や2回では)私が思っていた親友までは作れないと思って大学に行くことを考えたんです。普通に大学に毎日通うようになったら友達ができるんじゃないかと思って、勉強を始めました。 ーー大学はどうなったんですか? 大学はいくつ

オウム真理教元代表の松本智津夫(麻原彰晃)元死刑囚の次女が、国に元死刑囚の遺骨と遺髪の引き渡しを求めた訴訟で、東京地裁(小池あゆみ裁判長)は13日、「返還を拒める法令上の根拠がない」などとして、国に…


オウム真理教による一連の事件で、13人の元教団幹部の死刑が執行されてから約1カ月。事件を後世に伝えるため、模索を続ける関係者にとって課題の一つは、教団に関する様々な資料をどのように保存、活用するかだ。 「テレビにも新聞にも出ない、起訴されず犯罪として扱われないオウムの悲劇があると伝えたい」 日本脱カルト協会が25日、東京都品川区の立正大で開いたシンポジウムで、元信者の40代男性はこう語り、消息をたった教団内の友人男性の話をした。友人は、薬物を飲んだり、高温の湯につかったりする修行をしていたという。 続いて登壇した、50代女性の元信者も、正体の分からない液体を飲んで呼吸が止まる信者を目にしたことや、教団の医師から「搬送中に信者が亡くなった」と聞いた経験を振り返った。脱会支援を続けてきた滝本太郎弁護士は修行中に死亡した信者のリストを紹介し、「教団による薬物使用の実態はほとんど明らかになっていな

オウム真理教元幹部13人の死刑執行を受け、ジャーナリストや学者らでつくる「オウム事件真相究明の会」が24日、東京都内で執行に抗議する集会を開いた。「松本サリン事件」で被害を受け、妻の澄子さんを後遺症で亡くした河野義行さん(68)が出席。今回執行された13人のうち4人と面会した経験を振り返り、「清らかな好青年だった。人は変わることができる。(執行は)本当に残念」と語った。 松本サリン事件は1994年6月に発生。オウム真理教の信者が、長野県松本市の裁判官官舎に近い住宅街に猛毒のサリンをまき、8人が死亡、約600人の重軽症者が出た。第一通報者だった河野さんは当時、警察に事情聴取され、報道機関に「犯人視」された。 河野さんは「被害者は、加害者を恨みながら心のバランスをとっている。執行されれば恨む対象もなくなってしまい、何の解決にもならない」と指摘した。被害者が抱える経済的な損失を補う制度が必要だと


閉塞(へいそく)の時代に現れたオウム真理教は、戦前のオカルトからファシズムへの流れと重なり合いはしないか。政治学者の片山杜秀・慶応大教授が古今東西の本から読み解きます。 ◇ 石川啄木が「時代閉塞(へいそく)の現状」を書いたのは1910(明治43)年。日露戦争の勝利で維新以来の右肩上がり志向も一段落し、若者は何をしていいか分からない。閉塞感が漂う。そこを啄木は敏感に論じた。 オウム真理教はというと、高度経済成長も一段落した昭和の終わりに、やはり若者の鬱屈(うっくつ)を吸引して成長した。文明は行き詰まっている! 人間自体が変わらねば! 理性ではなく霊性や超能力を問題とした。 実は啄木の活躍期も、千里眼や念写のブームと重なっていた。右翼革命家、北一輝が『国体論及び純正社会主義』(『北一輝思想集成』所収、書肆心水)を著したのは明治39年。そこで北は、天皇の霊性に照らされた日本人が人類から神類にすぐ

プロパガンダに長けたオウム真理教オウム真理教は、写真、書籍、雑誌、音楽、アニメ、テレビ、ラジオ、インターネットなどあらゆるメディアを積極的に活用し、きわめて先進的なプロパガンダを繰り広げていた。そういうと驚かれるかもしれない。 だが、今日政治宣伝を意味するプロパガンダは、かつて布教を意味する言葉だった。この歴史に照らせば、省庁制を取り入れ、宗教国家さえ夢想したオウムほど、プロパガンダという言葉にふさわしい組織もないのである。 オウムの前では、巧みなプロパガンダで注目された過激派組織の「イスラム国」さえ、遅すぎたように思われる。 とはいえ、地下鉄サリン事件などから時間が経ち、オウムについても記憶が徐々に薄らいでいる。ほかの新興宗教、政治団体、テロリストが模倣しないとも限らない。 そこで、麻原らへの死刑執行を機会に、あらためてそのプロパガンダの手法を振り返っておきたい。 「空中浮揚」をうまく活

オウム真理教が起こした松本サリン事件の被害者のひとりで、妻の澄子さんをサリンの後遺症で亡くした河野義行さん(68)=愛知県豊橋市=は26日、死刑執行を受けて、豊橋市役所で記者会見した。当時、警察に事情聴取され、報道機関に「犯人視」された河野さんは「人間は間違うという前提に立てば、冤罪(えんざい)はありうる。冤罪で死刑になっていいのかという考えから、死刑には反対」と述べた。 この日の死刑執行は、講演のために滞在中の高知県で知った。「真相はその人に聞かなければわからない。(死刑執行で)真実はわからないままになったと感じる」と話した。 かつて、元死刑囚4人と東京拘置所で面会し、きまじめな印象を受けた。「ある程度の親しみも湧いたので、(死刑執行は)さみしい、悲しい」。ただ、なかには「地獄で仏になる」と、事件を起こしたことへの反省が感じられない死刑囚もいたという。「彼らに対しては死刑が極刑だとは思わ


オウム真理教元代表の松本智津夫(麻原彰晃)元死刑囚ら7人の死刑執行から、わずか20日。法務省は26日、6人の教団元幹部の死刑を執行した。今後の執行にも影響を与える、13人の「大量執行」の背景には何があったのか。死刑廃止を目指す日本弁護士連合会からは、国際社会との乖離(かいり)を懸念する声が出ている。 「法務官僚は今後、大臣に足を向けて寝られない」法務省のある幹部は26日、こう語った。1カ月以内に13人という、過去に例のない「大量執行」を決断した上川陽子法相は、省内で高く評価されているという。 上川氏は14年10月~15年10月にも法相を務めたが、この間に執行した死刑囚は1人で、「慎重派」と評されていた。今年1月に教団関連の裁判がすべて終了し、執行に向けた手続きを進めようとした法務官僚は説得を重ねてきた。上川氏が涙ぐんだり、周囲に体調不良を訴えたりすることもあり、法務省幹部は「気持ちが揺れ

地下鉄サリン事件は、教団が起こした数々の事件の中でも最大規模で、計15人が殺人罪で起訴され、10人の死刑が確定した。実際にサリンを散布した責任を問われ、26日に死刑が執行された4人は、「高学歴」「理系」という、教団幹部を象徴する存在でもあった。 4人のうち豊田亨死刑囚(50)は東京大大学院、広瀬健一死刑囚(54)は早稲田大大学院、横山真人死刑囚(54)は東海大で物理学を学んだ。それぞれ、松本智津夫(麻原彰晃)元死刑囚の著作などに関心を持って入信。林(現・小池)泰男死刑囚(60)は工学院大で電気工学を勉強した後、3年にわたり、アジアや中南米を旅行。日本社会のあり方に疑問を抱くなか、教団に入った。 4人は教団で「科学技術省」に所属し、「大臣」だった村井秀夫元幹部=故人=に次ぐ「次官」だった。地下鉄事件は、松本元死刑囚の最側近だった村井元幹部が指揮し、4人も散布役に選ばれた。もう1人の散布役は、

法務省は26日、オウム真理教による一連の事件で死刑が確定した、6人の元教団幹部の死刑を執行した。6日には、元教団代表の松本智津夫(麻原彰晃)元死刑囚ら7人の執行がされており、これで一連の事件で死刑が確定した13人の元幹部の執行が終了した。 一連の事件では13人の元教団幹部の死刑が2011年までに確定した。刑事訴訟法は死刑について確定後6カ月以内の執行を定めているが、共犯者の公判が続いている間は執行を避けるのが慣例となっている。教団をめぐっては長年にわたって逃走していた高橋克也受刑者(60)の判決が18年1月に確定し、全ての刑事裁判が終了。法務省は3月、死刑が確定して東京拘置所に収容していた13人のうち7人を移送していた。

オウム真理教の松本智津夫(麻原彰晃)元死刑囚(執行時63)ら7人の刑の執行から、13日で1週間がたつ。関係者への取材で、元幹部たちの執行直前の様子が明らかになった。 坂本堤弁護士一家殺害や松本、地下鉄両サリン事件に関与した中川智正元死刑囚(同55)の親族や知人は8日、広島県の葬祭場で遺体と対面した。出席した俳人の江里(えざと)昭彦さん(68)によると、刑務官が遺族に説明した様子がこの場で明らかにされた。 それによると、執行があった6日朝、中川元死刑囚は両腕をつかまえようとする刑務官を「自分で歩いていく」と制し、抵抗せずに刑場へ向かった。控室では「実家の宗派と異なるので」と仏教の教戒を断り、用意された果物と菓子には手をつけず、お茶を2杯飲んで、こう語ったという。 「支援者や弁護士の方々に感謝いたします」 「自分のことについては誰も恨まず、自分のした結果だと考えている」 「被害者の方々に、心よ

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