『にんぎょひめ (せかいめいさくアニメえほん) 』(河出書房新社) 幼い頃に慣れ親しんだ絵本や児童書が、イメージと異なる新しい絵柄の表紙で書店に並んでいるのを見て、違和感を覚えた――。そんな経験をしたことはないだろうか。特に最近は“萌え絵”と呼ばれるタッチのイラストが使われた作品が増えたことから、「児童書の表紙にふさわしくない」「感受性や想像力が養われなくなりそう」などと、ネット上で物議を醸しているようだ。そこで今回、児童文学評論家の赤木かん子氏に、絵本や児童書の“萌え絵化”の是非について見解を伺った。本に美しさを求めるのは日本の国民性 日本のアニメやゲームなどに使用されることが多い“萌え絵”。その詳細な定義は定まっていないが、「特徴的な大きな目」「等身が低い」「髪色がカラフル」「アニメ調の雰囲気」といったタッチの人物画を指すケースが多い。見る者に“萌え”を感じさせるとしてその名がついた

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中学三年の夏休みは、任意のテーマで論文を書くことが課題だった。 私がテーマとしたのは「太宰治と井原西鶴」。 もうすぐ6月19日の桜桃忌(太宰の誕生日であり、また、玉川上水からその遺体が見つかった日)を迎える。 今年は太宰生誕100周年。 かつての論文を再録して、幼い中学生の私が愛した太宰に捧げる。 今日はまず、要旨集に収録してある要旨を。 — 「聖諦へ〜太宰治と井原西鶴〜」 一般的に、太宰治という人は、破滅へ向かってまっしぐら、下降指向の人生を歩んだ人だと受け取られているようである。 しかし、それに疑問を持った私は、太宰の二人のライバルである井原西鶴と、イエス・キリストから見た、上昇指向の太宰治を検証してみようと思った。ただ、イエスはあまりにも重い存在なので、文学上のライバルである西鶴に重点をおくことにする。紙数も力量も足りないからである。 太宰は、もともと誠実、正義

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