私は戦いに勝つため、強くなるために時には強制的な指導も必要だと思っています。昨今、スポーツの体罰問題がニュースになっていますが、愛の鞭もひとまとめに体罰で悪だという風潮がおかしい気もします。一部の極端な暴力的な指導者のせいで、全ての指導者への風当たりが強くなっている気がしますがどう思われますか? 勘違いしとるやつが多いが、スポーツは自分の為に好きでやるもんじゃ。柔道や剣道、ボクシングも武術である前にスポーツで、兵隊が戦闘スキルを学ぶのとは違うんじゃ。 体罰の指導が上達に有効だと思っとるなら、自分が昔そうやって指導されてきたんか、それ以外の指導方法を知らんということじゃないんか。ゲンコツやビンタは選手を萎縮させることはあっても上達させることは無いわ。それどころかむしろ選手が萎縮して、伸びるものも伸びなくなる可能性が高い。選手起用のキャスティングボードを握ったベテランのおっさんが、女子供を暴力
大阪市立桜宮高校(大阪市都島区)の体罰問題をきっかけに、1月下旬に開始した連載「『体罰』を考える」は3月上旬に終了した。だが、いまなお体罰に関するさまざまなご意見が寄せられ、学校教育法で禁じられている体罰だが、実体験に基づいてその効果を知らせるご意見もあった。喫煙した生徒を血まみれになるまで殴った先生と、その“体罰”を問題にするどころか、「よくぞやってくれた」と頭を下げ、教師に感謝した母親…。学校が新入生を迎え、新学期が始まる4月。特別編として、単純に「体罰=悪」と割り切れないという意見をもう少し紹介してみたい。親が「ありがとうございました」 秋田市の方からのメールには、体罰による効果として自身が目撃した事例を記されていた。 「通っていた高校では、日常的に校庭に暴走族が入り込み、頻繁に授業妨害があり、登下校時に喫煙したりするのは当たり前」だったといい、さらには「授業中に、複数の生徒が教師を
岡山県教育委員会の職員が、県立高校の部活動で体罰があったとする匿名の電話を受けた後、電話機に表示された電話番号を基に情報提供者の名前と住所を調べ、学校側に伝えていたことがわかった。 県教委は「個人情報の取り扱いに問題はなかった」としている。 県教委保健体育課によると、県立高校に通う生徒の保護者と名乗る複数の人物が2月下旬から3月上旬にかけて3回、「部活動中に顧問がミスした部員を殴った」「平手打ちをして鼓膜を破った」とする情報を同課に匿名の電話で連絡。同課職員が表示された電話番号をインターネットを使って調べ、名前と住所を把握したうえで、通報内容を同校に伝えるとともに、該当の生徒がいるかを同校に問い合わせたという。 県教委教育政策課は「県個人情報保護条例に基づき、県立学校を含めた県教委内で情報を共有することは問題ないと判断した。生徒の身体に影響を及ぼす事案なのでしっかりと調査したかった」として
タイトルは釣りです。どうぞよろしくお願いします。 https://twitter.com/h_ototake/status/314623735216881665 @h_ototake:生意気な生徒に対して、暴力でしか対抗できない人間は、教師に向いていないと思っています。 体罰は絶対に肯定されてはいけないが、こうした「体罰を行った個人」の人格や教師としての資質を問う論法がメインウェポンになってるうちは問題の根本解決にならん気がする。 例えば、言葉ではどうにもならなくてついうっかり手が出てしまう、ということもあるかもしれない。教師自身のキャパを越えてしまい暴力以外の方法が見えなくなってしまうこともあるかもしれない。別に教師に限った話でもなく、誰でもありうることだろ。これを「ありえない」と本気で言ってる人間はちょっと他人の気持ちを想像する力に欠けていて怖えよ。キャパオーバーした時に真っ先に暴力振
2013-03-04NHKの自殺〜大阪市立桜宮高校 小村基元教諭のインタビュー〜NHK TV 体罰NHKがやらかした。 帰宅して9時のNHKのニュースをタイムシフトで観て驚いた。NHKは、件の小村元教諭の顔出しインタビュー映像を事もあろうにゴールデンタイムに流してしまった。 ここで小村元教諭を出す意味は何なのだ。 全国にこの映像が流れたとき、小村元教諭に対する感情的な人格攻撃と揚げ足取りか、その逆に一人の人間に対する同情論こそ喚起できるかもしれない。だが、それが何なのだ。何の役に立つのだ。 体罰は法律で禁止されている。 体罰はそのリスクに対して教育的な効果がないことは科学的なプロセスで実証されている(他にもっと"楽"で有効な方法があることが明らかになっている)。 そう、体罰の是非、体罰の全面的な根絶に、もはや個人の経験や体験、人格論はまったく見当違いという段階に来ている。その判断は
2013年02月15日00:51 戦前は学校でも軍隊でも体罰が絶対禁止だった 拙著『戦前の少年犯罪』の参考文献にも使った江森一郎『体罰の社会史』なんかを基に、欧米のように殴ったりせず子どもをのびのび育てる日本の江戸時代からの伝統をまとめた「日本の体罰の前史」というページがあるんですが、途中で戦前には体罰がなかったとかあったとかいう妙な話になっています。 我が国の歴史の基本的な処がこうも混乱したままで、正しい日本像が日本人に共有されていない状態では困りますので、整理しておきます。 戦前にも体罰はありましたが、戦前は体罰が絶対悪で、明確に「犯罪」として処理されていたのです。 なんか、戦中は違うと読み取る方が多いみたいなので、念のため書き加えておきますが、戦時中も体罰が絶対悪で、明確に「犯罪」として処理されていたのです。 変わったのは戦後になってからです。 戦前の新聞を読んでいる方なら、教師が生
大阪の市立高校で、バスケット部の男子生徒が顧問教諭から体罰を受けて自殺したことが大きな社会問題になっています。 昨年は滋賀県の市立中学でいじめ自殺が起きましたが、日本では学校での自殺のほとんどが公立中学を舞台としています。ひとは誰もが生きたいという強烈な欲望を持っていますから、自ら死を選ぶのはどこにも逃げ場がない絶望の深さを示しています。 公立中学の生徒がいじめで自殺するのは、義務教育によって退学の自由がなく、また相手の生徒を退学させることもできず、いじめが未来永劫つづくように感じられるからでしょう。高校になるといじめ自殺が起きない理由は、いじめられた生徒が転校や退学するハードルが下がることと、問題のある生徒を停学・退学処分にしやすいことで説明できます。現状をすこしでも改善できる希望があるのなら、誰も死のうとは思いません。 そう考えると、高校の部活動で自殺が起きるのは不可解です。死を考える
高校のバスケットボール教師が生徒を30発、40発殴って、自殺に至らせた事件がありました。ただ、こういう乱暴な教師はいるのだろうな、とそれほど驚きはなかったのですが、それより驚いたのは、マスコミ、世間一般にも体罰を容認する声があるということです。正直、「え?本当に同じ文明人なの?」と愕然とした気持ちになりました。しまいには、子供やその親を「軟弱だ」とか「ケアが足りない」と攻める論調すら出てきています。 そこで、体罰容認論によくある擁護論にまとめて反論してみました。世間の人の言う「ある程度の体罰」でも「子供のためを思った体罰」でも、教育に体罰は認められません。 そもそも、すべての体罰容認論は、次の一言で論破できます。 議論の前提…体罰は暴力です。暴力は違法です。相手が子供なら、なおさら。 体罰は暴力です。暴力は刑法で禁じられています。たとえば、上司が部下相手に「お前のためを思って」暴力をふるっ
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