雑誌『POSSE』http://npoposse.jp/magazine/index.htmlのvol.4に、「サルトル──ストライキは無理くない!」という文章を書きました。これは、サルトルが1952年に発表した論文「共産主義者と平和」を手がかりに1952年のフランスと現代日本の状況を比較し、政治・暴力・大衆の問題について考察した論文です。 サルトルの「共産主義者と平和」という論文は、サルトルがソ連と共産党をアツく擁護し、その「同伴者」となるきっかけとなった論文で、ある意味でとても評判の悪い論文です。ところが、今読んでみると、とても面白いのですね、これが。というわけで、一部を紹介します。 「一人の経営者がタイピストを必要とする。それこそ危機である。三十人の女性が、同じ能力をもち、同じ資格免許状をもって、応募する。経営者は彼女らみなをいっしょに呼び出し、彼女たちが望む報酬を自分に知らせるよう
藤子F不二雄(ふじこ・えふ・ふじお)のSF短編マンガは、繰り返し同じ世界を描いています。それは「人間」がマイノリティーとなる世界です。それは、いわゆる「ディストピアもの」と言ってもいいでしょう。たとえば、「絶滅の島」という作品(1985年)(注1)では、人類が絶滅の危機に瀕した地球が舞台です。地球は毛むくじゃらの巨大な「宇宙怪物」たちに突如攻撃され、圧倒的な軍事力の差に、地球人はほとんど殺戮されてしまったのです。生き残った主人公の少年は言います。「戦争なんてものじゃなかった 一方的に焼き尽くし、破壊しつくし、殺しつくし……。 人間をまるで雑草か何かのように……。」彼を含む27人は、「秘島ツアー」で孤島にやってきていたため殺戮をまぬがれ、生き残ったわずかな人間です。しかし、その人々も宇宙怪物に見つかってしまい、襲撃を受けます。人々は武器をもって抵抗しますが、次々に捕らえられ、残虐な仕方で殺さ
フランスに留学中のサルトル研究者に東の劣化がひどいよと話してみたところ、メールが届いたので転載する。東批判は一通りなされた感があり、また、先日の常野さんの活躍によって東の小物振りが明らかになって、東の言説自体を取り上げることも少なくなってきていると思うけれど、サルトル研究者からみた東及び「ポストモダン」というのはこれで面白いと思う。 最初に断っておきたいが、知っての通り日本語文献が揃えにくい状況にあるので、どっかの本から引用する場合は、邦訳が存在する場合でも原書から俺が直接訳している。そのため、細心の注意は払うが、特にデリダのついては誤訳の可能性を否定しきれない。いずれにせよ、翻訳の責任は完全に俺に帰する。 東の発言について参照したブログの類は、お前から教えてもらったものがほとんど。 以下の通り。 http://d.hatena.ne.jp/toled/20081128 http://wa
1 名前: からし(福岡県) 投稿日:2008/11/03(月) 02:18:16.97 ID:lorfHnC3 ?PLT中国発、世界で最も危険な通学路を歩いて通う小学校。中国四川省の山岳地帯のある村。高く切り立った崖っぷちを、たった数十センチ幅だけ削られて出来た路。これを通学路として、雄大な景色を眺めながら、しかし足元には細心の注意を払いながら毎日小学校に通う児童たちがいた。 なんと頂上付近にある小学校に到着するまで、山のふもとからは歩いて5時間。一番細いところでたった40cmの幅だが、落下防止の柵など もちろん無いその通学路の下は、高所恐怖症の人でなくとも目がくらむという。 そのあまりの危険性に、いささか遅すぎるくらいであるが、いよいよ行政が待ったをかけ、 それゆえにこの学校の存在もこうして世に知れた。このあたりは、さすが秘境だらけの中国と言うより他はない。(以下省
tikani_nemuru_Mさんから、ふたたび反論を いただきましたので、おこたえします。 ●認められた時にだけ自由がありえる - 地下生活者の手遊び まず、はじめに確認して おきたいのは、わたしと tikani_nemuru_M さんの あいだには、「自由」ということばの とらえかたに、おおきな ちがいが ある、という点です。このことは、前回7月8日の記事でも かいたのですが、もう1度 確認しておきます。 わたしの いう「自由」とは、みとめたり 制限したりすることの原理的にできない、意思の自由です。 これにたいして、tikani_nemuru_Mさんは、みとめられる(べき)、あるいは制限されるべき「自由」とは なにか、そして、その根拠となるのは なんなのか、という水準の議論をされています(というふうに、わたしは理解しました)。 このちがいを ふまえたうえで 今回のtikani_nemu

やねごんさんの、「自由」にかんするたいへんわかりやすい記事 http://d.hatena.ne.jp/lever_building/20080706#p1 に かんれんする かしょを『図解雑学サルトル』(ナツメ社) 図解雑学 サルトル (図解雑学シリーズ) 作者: 永野潤出版社/メーカー: ナツメ社発売日: 2003/08メディア: 単行本購入: 6人 クリック: 145回この商品を含むブログ (44件) を見るから いんようしてみる。 ちょしゃの りょうかいのもとに漢字をへらして かきなおした。 ■(90ページ)自由と不安(1) ●がけの上のわたしには、「がけからおちる可能性(かのうせい)」がある サルトルは、にんげんの自由(じゆう)と不安(ふあん)のかんけいについて、つぎのような せつめいをする。 わたしが、たかい断崖絶壁(だんがいぜっぺき)に そった道をひとりで あるいているとしよ


光市事件について、遂にと言うべきか、死刑判決が出た。 この事件について、これまで発言したことはないが、もちろん、折に触れて報道に触れる以上、何も考えないではなかった。いくつかのことを整理して述べてみる。 率直に言って、本村氏の主張については、首肯することはほとんどなかった。ただ、少なくとも、次のようには思う。第一に、その一つ一つのことの中に仮に批判しうる点があるとすれば、具体的にそれを取り出して、検討した上での指摘しなければならない。第二に、仮にそのように批判ができたとして、どうして彼がこのような主張をしなければならなかったかを、踏まえなければならない。つまり、彼は突然にこのような事件の当事者となり、何の準備もないまま、事件に対する態度表明、その理論的正当化、実際の発言と行動、そうしたことをやらねばならない立場におかれた。ゆえに、仮に彼の主張に批判しうることがあるとしても、まずは、過酷な日
こちらでhttp://d.hatena.ne.jp/shinimai/20080319/p1<こういうのがありましたが、前ちょっと考えたネタです。ちなみに私は両親関西人ですが関西弁非ネイティブですので関西弁は正確ではないです。 サル井ヒロシ『実存主義って何やねん?』(京都人文書院)52ページ〜56ページ 実存主義とは何か 作者: J‐P・サルトル,伊吹武彦出版社/メーカー: 人文書院発売日: 1996/02/01メディア: 単行本購入: 3人 クリック: 76回この商品を含むブログ (57件) を見る 実存主義のブルース〜実存主義のブルース〜♪ 聞いてくれ〜 リセの教師をしてて、教え子に相談された時の話やけど。 ある生徒がこんな事情でオレに会いにきたんやけど。オトンはオカンと仲たがいして、対独協力になりかけで、アニキは1940年のドイツ側攻撃で戦死してもうた。そいつは、原始的やけど崇高な気

http://www.egs.edu/ Slavoj Zizek talking about the explicit, truth, rules, politics, Mel Gibson, society, race, racism, antisemitism; lecturing and developing a psychoanalysis of culture and societies. Public open lecture for the students of theEuropean Graduate School EGS, Media and Communication Studies department program, Saas-Fee, Switzerland,Europe, 2006, Slavoj Zizek. Slavoj Zizek, a Slov

http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20070919/p1についての話です。 アルジェリアがフランスの植民地だったころ、アルジェリアの独立という考えは非常に「ラディカル」なものだったわけです。そして、今ある植民地体制は悪いが、「今とは異なる(より良い)植民地体制」を考えようとした「良心的」フランス人もたくさんいた。彼らを、サルトルは「新植民地主義の欺瞞」と批判しました。サルトルは 良い植民者がおり、その他に性悪な植民者がいるというようなことは真実ではない。植民者がいる。それだけのことだ。 と言っています*1。 「植民地のない世界」は、当時としては非常に「非現実的」なものに思えたでしょうが、現在、「植民地のない世界」が非現実的である、などと考える人はほとんどいないのではないでしょう。それと同じように、「学校が存在しない世界」だって非現実的とは決め付けられない。常野さ
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