堺市や国学院大などは19日、国内最大の前方後円墳で、宮内庁が「仁徳天皇陵」として管理する大山古墳(同市、5世紀)の副葬品として、金メッキのさやに入った鉄製ナイフ「金銅装刀子(とうす)」や甲冑の破片を確認したと発表した。国学院大が入手した新発見の史料で、共同で研究していた。 見つかった刀子は、金メッキの銅板で覆われたヒノキのさやに、鉄製の刃が収められていた。さやには銀製の留め具「鋲」を5カ所で確認。当時の先端技術を用いて作られたとみられる。 刀子は二つに折れており、長さは合計約10・5センチ。持ち手の部分が欠損しており、本来は約15センチと推定される。 大山古墳は全長486メートル。1872年(明治5年)に前方部で石室が見つかり、多数の副葬品が確認された。緊急調査の後に全て埋め戻したと伝わっていたが、調査で絵図の作成を担った古美術収集家の柏木貨一郎が刀子などを保管していたという。

腹よわボーイ @nori7770 ストビューで見てみた 1枚目2013年 2枚目2020年 3枚目2024年 よく見たら2013年の写真、トマソンっぽいドアが見える… pic.x.com/QYlpLKWjzi 2025-03-13 22:40:27 腹よわボーイ @nori7770 なんとこの写真上のお宅にお住まいだった方にご連絡いただきまして、お話を伺うことが出来ました 過去写真を織り交ぜながら少し解説します ここは下関市の岬之町(はなのちょう) その名の通り、かつては関門海峡に突き出した岬状の地形で、古くから魚市場が開かれ多くの船が行き交い賑わったという pic.x.com/R6nHbR3vXb 2025-03-14 19:33:27 腹よわボーイ @nori7770 現在は税関をはじめとする港湾官公署や下関港国際ターミナルが立ち並ぶウォーターフロントに隣接する小さな丘状のエリア ちな

ベネズエラの広大なカナイマ国立公園の中には、岩絵が描かれた遺跡群がある。そこに描かれた星々や木の葉の絵を調査した考古学者たちは、この岩絵遺跡群が未知の古代文化の中心地だったとみている。 岩絵遺跡群があるのは、総面積約3万平方キロメートルにおよぶカナイマ国立公園の中でも特に近づくのが難しい地域。最初に岩絵が見つかったのは2009年だった。以来、米マノア財団からの資金提供の下、首都カラカスにあるシモン・ボリバル大学のホセ・ミゲル・ペレス・ゴメス氏を団長とした調査団は20もの先史時代の岩絵遺跡を発見してきた。2023年11月にはそれまでの成果を学術誌「Rock Art Research: The Journal of the Australian Rock Art Research Association」に発表している。 カナイマ国立公園には密林と草原地帯が広がる。その数百メートル上にはテー
JR東日本は東京・高輪で進めている大規模開発「TAKANAWAGATEWAY CITY(高輪ゲートウェイシティ)」の建設現場で出土した日本初の鉄道開業時の構造物「高輪築堤」を2027年度にも公開する計画だ。24年10月30日に開催した高輪ゲートウェイシティのまちびらき150日前記者発表会では、JR東日本の喜㔟陽一社長が高輪築堤の保存や公開についても言及した。この日は高輪ゲートウェイシティが25年3月27日に一部開業することが発表された。 高輪築堤跡は21年9月17日に国の史跡に指定された。鉄道会社であるJR東日本にとって、高輪築堤跡は日本の鉄道の歴史を現在に伝える宝だ。高輪ゲートウェイシティのシンボルになることは間違いない。JR東日本は高輪築堤跡を一部保存するため、高輪ゲートウェイシティの建物配置計画を土壇場で見直した経緯がある。現在は高輪築堤跡の劣化が進まないよう、いったん地中に埋め

日本列島に広く王権を広げて、やがて飛鳥時代・奈良時代へと発展していく大和王権に私たちは目が行きがちですが、古墳を造り始める3世紀の東日本にも注目するべき遺跡があります。 ■道路工事現場から発見された高尾山古墳が示す古代史解明の可能性 日本列島に国を開いた大和王権の履歴は、『古事記・日本書紀』の主役ですから、わが国の古代史を研究するとき、どうしても近畿地方から西の地域が主体になる傾向にあります。 それは致し方ないことですしその研究は本道ともいえますが、四国や北陸、東海・関東から東日本の研究は、それぞれの地域では進んでいても体系的全国的にはあまり勢いを感じないような気がします。 しかしながら開発が進むと、どこにでも思いもしない大発見があるのが考古学の醍醐味です。最近の調査研究で、静岡県沼津市の道路工事現場から発見された全長約62mの高尾山(たかおさん)古墳に私は注目しています。 慢性的な渋滞解

イタリアの固有種で唯一の大型淡水ガニ「ポタモン・フルビアティレ(Potamon fluviatile)」は、「かつて生息していた古代の群れの生き残り」だ。彼らはローマ帝国の興亡を目にしてきたかもしれない。トラヤヌスの広場で撮影。(PHOTOGRAPH BYEMANUELE BIGGI) 2005年、ローマの中心部にあるフォロ・トライアーノ(トラヤヌスの広場)で発掘を進めていた考古学者らが、古代の下水道を掘り当てた。その内部からは、大理石でできた紀元4世紀のコンスタンティヌスの胸像のほか、イタリアの固有種としては唯一の大型淡水ガニである「ポタモン・フルビアティレ(Potamon fluviatile)」の群れが見つかった。研究者らは、この群れの起源は非常に古く、ローマが単なる渓谷の湿地帯に過ぎなかった時代にまでさかのぼると推測している。 古代ローマ帝国の興亡を目にしてきたかもしれない彼らだ
発見されたワインは同地域で生産されているフィノワインに似た白ワインだった/Daniel Cosano/Juan Manuel Román/Dolores Esquivel/Fernando Lafont/José Rafael Ruiz Arrebola (CNN) スペイン南部で発掘された2000年前のローマ時代の墓から、骨つぼに入った世界最古とみられるワインが見つかった。ワインは依然として液体のままだった。 発表された報告書によれば、この骨つぼは2019年にスペイン・カルモナの住宅を改装した際に見つかっていた。つぼの中身をコルドバ大学の科学者が分析した。 有機化学の教授で報告書の主筆者はCNNの取材に対し、つぼには火葬後の遺体、葬儀のまきから出たとみられる焼けた象牙、約4.5リットルの赤みがかった液体が入っていることが判明したと述べた。 発掘された骨つぼ6個のうちの1つでワインが見つか

中国アジアITライター 山谷 剛史 1976年生まれ、東京都出身。2002年より中国やアジア地域のITトレンドについて執筆。中国IT業界記事、中国流行記事、中国製品レビュー記事を主に執筆。著書に『中国のITは新型コロナウイルスにどのように反撃したのか?』(星海社新書)『中国のインターネット史 ワールドワイドウェブからの独立』(星海社新書)『新しい中国人 ネットで団結する若者たち』(ソフトバンククリエイティブ)など。中国甘粛(カンシュク)省、シルクロードの観光地として知られる敦煌は、仏教壁画が描かれた492の洞窟からなる莫高窟と、砂漠の鳴沙山・月牙泉が有名だ。毎年5月から10月が観光の最盛期で、莫高窟はこの期間ほぼ毎日入場制限がかかるほど人気だ。 莫高窟の文化財の保護と研究のために設立された敦煌研究院では、英国国立図書館とも提携し、これまで30年以上かけてデジタル化が行われ、そのデータ量は

東京都千代田区一番町の英国大使館跡地から弥生時代の集落跡が見つかったことが千代田区への取材で分かった。見つかったのは三菱地所レジデンス(東京都)などが再開発を進めている土地で、縄文時代のものも含めこれまでに竪穴住居跡が28棟確認された。ただ、遺跡として現地に残すことは難しい見込みで、調査後に埋め戻されてマンション建設が始まる予定。現地説明会も開かれない。都心における遺跡活用の難しさを改めて浮き彫りにした。 千代田区などによると、10月下旬までにこの土地で見つかった弥生時代後期前半(1~2世紀)の竪穴住居跡は21棟。縄文時代のものも3棟あり、そのうち1棟には貝が残っていた。時期が不明の竪穴住居跡も4棟あった。弥生土器や縄文土器も出土し、近世の上水木樋(もくひ)や井戸、地下室なども確認された。

MASA(航空宇宙・軍事) @masa_0083 すごい……。ドイツのネルトリンゲンで発掘された3000年前の青銅の剣だそうです。こんなに完全な状態で出土するとは……。twitter.com/historyinmemes…2023-10-15 16:31:20 Historic Vids @historyinmemes 3,000-year-old bronze sword discovered in the southern Bavarian town of Nördlingen in Germany. pic.twitter.com/a6gU6HHonw2023-10-15 03:10:42

ローマ(CNN) 紀元1世紀のローマ皇帝ネロが所有していた私設劇場がイタリアの首都ローマで発掘され、専門家から「類いまれな」発見と呼ぶ声が上がっている。発見場所はバチカン市国からわずか数メートルの場所だった。 ローマ市の特別監督官であるダニエラ・ポッロ氏が発表した。ここはネロが詩や音楽の試演を行っていた場所で、現在のサンピエトロ大聖堂の近くに位置する。 劇場の存在については大プリニウスによって書かれたローマ時代の文献で言及されているが、これまで場所が確認されておらず、歴史家を困惑させていた。 ネロは第5代ローマ皇帝として紀元54年から68年まで統治した人物。指導者としては不人気であり、贅沢三昧(ぜいたくざんまい)と放蕩(ほうとう)で有名になった。 遺跡には大理石の柱や金箔(きんぱく)による装飾、ネロの演劇で使われた衣装や舞台背景の遺物を収めた保管部屋などが残されている。 今回の発掘は、コン

弥生時代の大規模な環ごう集落の跡が残る佐賀県の吉野ヶ里遺跡で、弥生時代後期のものとみられる墓の一部が出土し、専門家は「かなり身分が高い人の墓の可能性が高く、さらに調べれば歴史的に大きな意味を持つ発掘になる可能性がある」と話しています。 吉野ヶ里遺跡では、歴代の王の墓とされる「北墳丘墓」のすぐ西側にあり、貴重な発見があるのではと注目されながら手付かずだった「謎のエリア」と呼ばれる場所で去年から、10年ぶりとなる大規模な発掘調査が行われています。 この調査で先月、4枚の平らな石が並んだ状態で見つかりました。 4枚を合わせると全長は2メートルほどになり、調査を行っている佐賀県によりますと、墓の「ふた」だということです。 弥生時代後期、1世紀から3世紀ごろの有力者の墓のふたとみられ、表面には「×」のように見える線が交差した記号のようなものが無数に刻まれていて、埋葬した際に何かしらの意図を持ってつけ

邪馬台国と卑弥呼の謎を解く「弥生人の大量人骨と脳」が発掘!「鳥取・青谷上寺地遺跡」が示す「大乱」の証拠 鳥取県鳥取市にある弥生時代最大級の集落跡「青谷上寺地遺跡」で、県による本格的な発掘調査が始まった。 この遺跡は山陰自動車道の建設により発見され、第一次調査が1998年から3年3カ月の期間をかけて実施。約5500平方メートルの発掘現場からは、建物や火を使用した跡、大量の土器や木製の容器、鉄製農工具に貝塚などが出土し、約2200年前から約500年間にわたって栄えた大規模集落の存在が明らかになった。歴史研究家が解説する。 「しかもこの遺跡からは日本で初となる、弥生人の脳が3人分発見された。21年には採取されたDNAによって復元された、弥生人の顔が公開されています。さらに集落中心の東側からは、弥生時代後期の人骨が100人分以上発見されており、少なくとも10人には殺傷痕が見つかっている。そのため、

神奈川県のほぼ中央に位置する海老名市に、かつて「逆川(さかさがわ)」と呼ばれる川が存在した。現在は埋め立てられているものの、その川筋を跡としてたどることができる。 一見しただけではよくある水路の跡や暗渠のように見えるかもしれないが、実はこの逆川、奈良時代に築かれた古代の運河なのである。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:海抜0mからの富士登山(デジタルリマスター) > 個人サイト 閑古鳥旅行社Twitter 国分寺を建てるため開削された逆川 私が逆川を知ったきっかけは、海老名駅から東へ続く幹線道路、県道40号

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