大相撲の元関脇豊ノ島(42)によるYouTubeチャンネル「豊ノ島のお相撲ちゃん」に、NHKの大相撲中継担当アナウンサーとして活躍した刈屋富士雄氏が出演した。 刈屋氏は「思い出の取組3番」の一つに横綱朝青龍が7連覇を達成した2005年九州場所の魁皇戦を挙げ「7連覇を決めたのが九州場所の14日目(魁皇戦)。当時8000人ぐらい入る福岡国際センターで8000人全部が魁皇コール。(朝青龍)本人から聞いたら、魁皇コールを全身に浴びて心が折れたと…」と振り返る。 「(朝青龍は)仕切っている間に『こんなにみんなが魁皇を応援するんだったら俺は負けてやる。千秋楽がもう一番あるから、そこで優勝すればいい』と。そうしたら、魁皇コールがする中で1人だけ〝朝青龍頑張れ!〟と。(朝青龍は)『あれ? 1人応援するやつがいるぞ、俺に』と仕切りながら探すんです。向正面にいた緑のセーターのおじさんが〝頑張れ〟と言っている。

【読売新聞】 ウクライナ出身の安青錦関が米国人芸術家のキース・ヘリング(1958~90年)の作品をあしらった化粧まわしを着け、話題を呼んでいる。世界平和を訴えた作品で、戦禍の母国を思う気持ちが込められている。 ヘリングは1980年代

相撲界の未来を思い、西前頭5枚目の明生(29=立浪)は3年間、関取では珍しい挑戦をしていた。 主に本場所のない偶数月に週5日、月~金曜日に千葉・柏市の星槎(せいさ)国際高に通い先月、晴れて卒業した。授業は午前10時から午前中に2時間、昼休み1時間を挟み、午後に2~3時間。主要5教科を学んだ。 明生 今は中卒で入門する子も少ない。でも、自分みたいに中卒で入っても、こうして高卒資格を取ることができると知ってもらえたら、親御さんの心配も減ると思います。少しでも相撲界に入る子が増えたら。 年々減る入門希望者に歯止めをかけたいと思う一方で、8年以上、関取の座を守り続け、本業は稽古や弟弟子の指導だ。そんな中で片道30分かけ、電車通学した。巡業と重なれば休まざるを得ないことは学校が、稽古を休むことは部屋が、双方の理解があった。「忙しいですけど先生も皆さんいい方で、いい出会い、経験でした。勉強のことは聞か

大相撲で史上最多の優勝45度を誇る元横綱・白鵬の宮城野親方(40)が9日付で日本相撲協会を退職すると2日、同協会が発表した。同日に東京・両国国技館で開かれた臨時理事会で承認された。同親方は退職後は、夢である相撲の世界的な普及のため、日米を拠点とした国際的な相撲競技の組織発足を目指していくことが関係者の話で分かった。 史上最多45度の優勝を記録した大横綱が、角界に別れを告げることになった。21年9月に現役引退した宮城野親方は、元幕内・北青鵬の暴力問題で自らの部屋が閉鎖となり、昨年4月から弟子とともに伊勢ケ浜部屋に移籍していた。だが、1年以上過ぎても部屋が再開できず、協会退職の意向を固めていた。この日、退職届が臨時理事会に提出され、9日付で受理されることになった。 関係者によれば退職を機に、日米を拠点とする国際的な組織の発足計画を持っているという。モンゴルから15歳で来日し、角界の門をたたいた

宮城野親方は、現役時代史上最多となる45回の優勝を果たすなど現役生活およそ20年で数々の記録を打ち立てて、4年前の秋場所後に引退しました。 3年前の7月に宮城野部屋を継承し師匠を務めていましたが、去年2月に弟子の元幕内力士の暴行問題で日本相撲協会から2階級降格と報酬減額の懲戒処分を受けました。 その後、部屋は閉鎖され、宮城野親方は部屋の全員とともに所属する伊勢ヶ濱一門の伊勢ヶ濱部屋に移籍し、部屋付きの親方として指導にあたっていました。 宮城野親方は部屋の閉鎖から1年を過ぎても再興のめどがたっていないことなどから、相撲協会を退職する意向を周囲に漏らしていて、関係者によりますと、夏場所中も協会側と話し合いを行いましたが折り合いはつかず、一門の関係者に退職届を託して自身の去就を一任していました。 日本相撲協会は2日午前から開いた臨時の理事会で、宮城野親方の退職届を受理し、6月9日付けで宮城野親方

大相撲の新横綱・豊昇龍が右ひじなどを痛めて春場所10日目の18日から休場することになりました。新横綱が休場するのは39年前、昭和61年(1986年)の秋場所を途中休場した双羽黒以来です。 ことし1月の初場所後に第74代横綱に昇進した豊昇龍は、新横綱として臨んだ今場所は初日に小結・阿炎に一方的な相撲で力なく敗れました。 その後も平幕相手に3敗を喫して昭和以降の新横綱の場所としては最多に並ぶ3つの金星を許すなど、9日目までに5勝4敗となっていました。 豊昇龍は大阪市内の医療機関で診察を受けた結果、右ひじや首を痛めて2週間の治療が必要と診断され10日目の18日から休場することになりました。 新横綱の休場は39年前、昭和61年(1986年)の秋場所を途中休場した双羽黒以来です。 師匠の立浪親方によりますと、初場所の千秋楽で右ひじを痛めていたということで「今場所に間に合ったと思ったが治りきっていなか

【春場所新番付】炎鵬が幕下復帰、大喜翔は100枚昇格 日本相撲協会は25日、大相撲春場所(3月9日初日、エディオンアリーナ大阪)の新番付を発表した。 同協会が報道用に配布した資料には、1月の初場所で優秀な成績を挙げ、番付を大幅に上げた「幕下以下優秀力士昇進表」がある。7戦全勝もしくは6勝1敗の力士で、番付を一気に100枚近く上げた力士もいる。 幕内上位経験者の炎鵬(30=伊勢ケ浜)は先場所も6勝1敗で、けがから復帰後4場所連続のリストアップ。番付を初場所の西三段目4枚目から34枚上げ、西幕下30枚目まで昇格した。 www.nikkansports.com 負傷したのが首で、正直もう無理じゃないかと思っていた。 過去のtwitterで見られた動画は,2020 年は消えてるんかー m-dojo.hatenadiary.com2022年の動画はまだ見られる。この記事が、炎鵬に触れた最後。 m-

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柳原大将(元琴貫鐵大将) @miyakuradaisuke 「肛門に棒を入れ、熱湯をかけ、プロレス技をかけ、踏切自殺に見せかけて殺害」 これ、相撲界でも当たり前にあった。 俺も力士になって 関取に肛門に綿棒6本以上ぶち込まれて それを兄弟子に笑いながら動画撮られて 浴槽の風呂が熱いって言って 熱湯風呂に廻しつけた 姿のまま投げて ぶち込まれて上がろうとしたら 浴槽の外から蹴られて 上がらせてもらえんとか 松飛台駅で150キロ超えた兄弟子力士に鉄金具付き雪駄で 駅のトイレ血まみれになる程ボコボコに 殴られたり ずっと関取にマッサージさせられて寝させてもらえない中かわいがりされて死にかけて心臓手術したりしたけど あれは死んでないだけだったんやなぁ。 もし俺もあの時に死んでたらこれだけの事になってたのかな…。 2024-12-11 09:40:08 柳原大将(元琴貫鐵大将) @miyakurad

鳥羽高校出身の宇良】#照ノ富士 ー #宇良 名古屋場所七日目 宇良の今場所取組動画はこちらhttps://t.co/wBoI8tO5Wx pic.twitter.com/3txpz0E7gD—NHK京都 (@nhk_kyoto) July 20, 2024 あと少しで横綱足が💦 pic.twitter.com/nxHdHSzU1x— CAOL. (@CAOL_626) July 20, 2024 ああ、思い起こせば2024年1月…(※すぐ前じゃねぇか)、腕を天下無双・日の下開山の横綱に極められて、宇良が一敗地にまみれた初場所!! 初場所照ノ富士そこで筆者は、史上最強の鉄人ルー・テーズの言葉をひいた! 故ルー・テーズはいう! 「フッカーは、シュートとは違う。グッドレスラーはシュートと言ってもいいが、それは関節をいつでも、どこでも極められる『フッカー』には及ばぬのだ!!」 m-dojo.h

角界“追放”の元力士が出場、米国流SUMOに現地メディアも驚き エジプト出身の大砂嵐ら、試合前に舌戦も 2024年4月13日、米ニューヨークで開催された「ワールド・チャンピオンシップ・スモー(WCS)」で、トロフィーを掲げる大砂嵐とソスラン・ガグロエフら Photo: Roy Rochlin / Getty Images 米ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで相撲の世界大会とされるスポーツイベントが開かれ、米紙「ニューヨーク・タイムズ」によると、観客はプロレスさながらのリングネームや相手選手への挑発も含む“米国流”の相撲を興味津々で楽しんだという。 同大会には、大相撲の元幕内で引退勧告の処分を受けたエジプト出身の大砂嵐や、大麻所持事件で日本相撲協会を解雇された元若ノ鵬とみられる選手も出場。それぞれ現地メディアの取材に応じている。 「礼儀正しい日本の相撲」と大違い 複数の現地メディ

2024年4月11日、元横綱の曙太郎さんが、4月に心不全で亡くなったことが分かりました。 告別式は家族のみの密葬で行われるというこです。54歳でした。 曙太郎さんは7年前に北九州市で倒れて以来、闘病生活を続けていました。曙さんは、東京近郊の病院に入院していたということです。アメリカ・ハワイ出身の曙さんは1993年に第64代横綱になり、人気を博しました。 ■元横綱 来歴 曙さんはアメリカ・ハワイ出身。 昭和63年3月場所で初土俵を踏み、203センチを超える長身から繰り出す突きと押しで人気を博しました。 平成2年9月場所で新入幕を果たし、平成4年7月場所で新大関 に。そして、平成5年3月場所で外国人として大相撲史上初の第64代横綱となりました。 若貴兄弟とライバル関係を築き、1990年代の空前の相撲ブームをけん引しました。 生涯戦歴は654勝232敗181休(78場所)。 その後、平成13年

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