小学生のころ、給食の時間にごはんを少し残したら隣の席の友達に言われた。 米一粒一粒に神様がいるんだって。残したらその神様が泣くんだよ、と。 当時は妙に納得して、慌てて茶碗に残った米粒を箸で集めて口に入れた。 神様を食べるってどういうことなんだろうと思いながらも、悪いことをした気分が薄れていった。 何ヶ月か後、同じ友達がとうもろこしを残していた。 粒が器の底に散らばっていた。 指で指して「神様が泣くんじゃないの」と言ってみたら声を立てて笑われた。 とうもろこしには神はいないんだって。 その瞬間、米ととうもろこしの間に線が引かれた気がした。 今でも白いごはんを食べるときあの言葉を思い出す。 神が宿るほどの手間と祈りが、あの小さな粒には詰まっている気がする。 でもとうもろこしはどうだろう。 粒がぎっしり並んでいるのにそこには静けさしかない。 同じ粒なのに、どちらも食べ物なのに、神は選ぶのかと思う

マジでもう最悪の体験したから聞いてくれ。人生初デリヘル使ったらまさかのツイフェミ女に当たって地獄を見た。 これだから女は…ってなるのも無理ないだろ。 俺みたいな弱者男性がようやく勇気出してデリヘル呼んだんだぞ? それなのにさ、来たのがツイフェミオーラ出まくりの女でドン引きしたわ。 マジ金返せレベル。最初からそういうの書いとけよ。「フェミニスト風俗嬢」みたいなジャンルでもあるのかよw ていうかさ、ネットでちゃんと調べて、口コミとか評判良さそうな店選んだんだぞ?料金だって結構したし。弱者男性の俺としては一大決心だったわけ。 一人暮らしの寂しさに耐えかねて、ようやく電話する勇気出したのに。 電話の時点では普通だったんだよ。店員も丁寧だったし、希望も聞いてくれたし。 「初めてなんで優しい子がいいです」って言ったら「わかりました」って感じでさ。 それなのに来たのは明らかに俺に不快感持ってる女。玄関

きつすぎる 私はアラサーバツイチで、理由は割愛するけど20歳の時から3年ほどフリーターをしながら風俗で働いていた(一応言っておくとホストとか推し活に使う為では無いよ) もちろんその時に客の事を好きになった事は無いし、そういった体験談読んでもプロ意識低すぎるなと嫌悪感すら抱く程だった 客に恋をした事はないけど、指名客と接してて楽しかったし、人として好きな人ばかりだった わりと楽しく仕事をさせて貰えてたと思う あと単純に風俗に凄く向いていたとも思う 元夫と出会って、付き合う前に風俗辞めてお付き合いが始まってから彼の地元に引っ越して同棲結婚して、完全に昼職一本に 数年経って去年離婚して仕事も辞めて地元に戻って来た離婚の原因が元夫の借金だったから、やっぱりお金は必要だなと思いすっからかんになった貯金を安定させる為半年間全力で貯めてから新しい仕事に就きたいと思って風俗に復帰した とは言え年齢的に地

遊んでいたソシャゲのサービスが終了することになった。世間的には、円満なサービス終了である。 ずっと作品の中心として紡がれていたメインストーリーが終わり、それをもって作品として完結する。 それから数日後にでオンライン版のサービスが終了し、今後はオフライン版としてサービスを行う。 大団円だ。 ソーシャルゲームという、どこで終わるかわからない綱渡りを常に強いられるゲームにとって、当初から予定していたシナリオを完結させて終わることができるというのは、この上ない最高の終わり方だと思う。 そのうえ、全くなくなるのではなく、オフライン版として遊びたい人はまだ遊び続けることができる。 私も、今までに志半ばで終わってしまうゲームをいくつか経てきたので、これは本当に最高の幸せな終わり方だとわかる。 なのに、どうしてか、涙が止まらない。 それは、このゲームが、昨年亡くなった私の伴侶が、私と共にメチャクチャハマっ

大学生の時、サークルの部室の前で同じサークルのメンバーたちとダベっていると、 小学校5~6年ぐらいの少女が寄ってきて、 「肩車して」 と言ってきた。 大学の構内なのだが、出入り自由なので「大学と関係ない小学生が入り込んでいるのかな」と意識の片隅で思った。 肩車なんて、子供の時以来やったことがなかったから、転んだりしないかちょっと不安だったが、なんとなく雰囲気に押されて「うん」と答えてしまった。 ぼくの動悸が速くなった。 今にして思えば、この時点で、すでにその少女に完全に飲まれていた。 その少女の容姿、声のトーン、表情、服装、匂い、全体が醸し出すある種の雰囲気に。 その少女は、まるでぼくが「うん」と答えることが分かっていたかのように、あっというまにぼくの身体によじ登り、肩車の位置にするりと納まった。 僕の動悸がさらに速くなった。身体がかっと熱くなり、自分の顔が赤くなっているのが分かった。 そ

ひたすらタイトル通りの出来事なのですが、自分のなかでは黒船来航くらいの衝撃だったので記録しようと思います。 長文になりますので、あまりにも暇な方のみお読みになることをお勧めします。 私はアラサーの会社員で、「くしゃみに興奮する」という性的嗜好を持っています。 自己紹介もそこそこに性癖の話で恐縮です。 くしゃみをさせる対象は人間の女性キャラクターがベストですが、 男性はもちろん、人間ではない(動物などがデフォルメされた)キャラクターでも問題なく楽しめます。小説など、文章にあらわれるくしゃみの描写にも非常に興奮します。 ただし、現実世界のくしゃみにはあまり惹かれません。 早朝の電車内で、ノーマスクの中年男性がかます爆裂ハクションには殺意に近いものを覚えます。 後で少し書きますが、なりふり構っていられないくらい供給が少ないくせに、注文や条件をつけてしまうわがままな性癖なのです。 くしゃみは一般

6月初旬 喧嘩が増えてた。 私も、仕事が繁忙期なのもありイライラしていて、夫の些細なことが気になる。 ある晩に、夫から「気に入らないなら離婚」と言われる。売り言葉に買い言葉じゃないけど、私もカッとなってたので、「わかった近々離婚届持って帰るわ」と返す。 後悔してるんだけど、この時わたしは「もう夫のこと好きじゃないし、今後また好きになることもない」と言ってしまった。 でも、この時はただの口喧嘩で、お互い本気じゃないと思っていた。 そう思っていたのは私だけだった。 6月中旬 あれから何度か「離婚の話し合いしよう」「離婚届はまだ?」と言われていたが、繁忙期で疲れており、「仕事が落ち着くまで待って」と返していたら、次第に言われなくなった。 6月下旬 繁忙期が終わった。 頃合いを見計らってか、夫から「離婚の話し合いしよう」と言われる。この頃の私は離婚のことをすっかり忘れてたし、思い出しても「ただの口

車で3時間ほどかかる妻の実家に今年のお盆も行ってきた。 まだ小学生の娘は妻の実家が好きで、おじいちゃんとおばあちゃんに(それと猫に)会えるのを毎年楽しみにしているんだ。 お義父さんとお義母さんも娘のことが好きだから歓迎してくれて、娘はいつにも増してはしゃいでた。 それで疲れたのか、夜には晩御飯を食べるとすぐに寝ちゃったんだ。 晩御飯の後、大人だけで少し晩酌しようかって話になって、でもお酒が足りなくなった。 もうちょっと飲みたいよねって話になって、お義母さんが「私が買ってこようか」って言ってくれたんだけど、近くにコンビニがあるし俺が行ってきますって名乗り出た。 それでお願いされて、コンビニまでお酒を買いに行ったんだ。 外に出ると夏の熱気がまだ残っていて、それでも知らない夜の住宅街を歩くというのは不思議と悪い気分じゃなかった。 酔いを醒ますのにもちょうど良かったのかもしれない。 コンビニは空い

そのじいさんが亡くなった。 昨年に父が亡くなり、私の実家は車を処分したので、実家に帰省するときはレンタカーを予約する。この連休もそうした。 安いので、地元の自動車修理工場がフランチャイズでやっているインディーズ系レンタカーにしてみたら、受付してくれた事務の親切な女性は、レンタカー約款を読み上げる間中修理工場から爆音で流れてくる演歌のUSENに向かって突然「ああうるさいっ!」とブチぎれ、「あなたもうるさいと思うでしょう!?」と私に同意を求め、同僚に修理工場につながるドアを閉めさせると、「最後に乗っていたのは平成15年式のbB(みんなの地元のDQNがよく乗ってたやつ)です。令和になってもまだ乗ってました」というある意味SDGsでは? みたいなことを平気で言う私に、令和2年式フィットハイブリッドという、まさに隔世の感というほかない車の操作方法をとても丁寧におしえてくれた。 そんな調子で車を借りて

『ストロングゼロは飲む社会福祉』まことに上手いことを言った人がいるものです。 その言葉を初めてネットで目にした時、私はストロングゼロは卒業し、ペットボトルの焼酎を飲むようになっていましたから、その言葉の意味を理解するどころか、誰よりも体験していたと言えるでしょう。 つまり、毎日毎日飲んだくれていたわけです。一日の半分近くは酔っ払っていたでしょうか。それでも朝から飲むわけじゃありませんから、アル中とまではいかないでしょう。 でね、飲んでいる時に何度か考えたことがあるんです。 お酒が飲めなかったら、自分は一体どうなっていたんだろうって。 飲まない方にどういうことか説明申し上げますと、ストロングゼロやペットボトルの焼酎を飲むような人間はお酒に救われている、酔っ払うことで救われていると考えているのであります。 ですからそのような人間にとって、ストロングゼロは飲める社会福祉というわけです。 その福祉

文通相手を探していたところ、1914年(大正3年)に出版された少女向け雑誌『處女』(処女の旧字)を発見した。 この雑誌は大正時代の少女が読者投稿を行うものであり、文通相手の募集も紙面で行われていたのだ。 しかし文通を出そうにも紙面に住所を書いている少女たちはもうほとんどが死んでいるので、しかたなく1914年『處女』9月号に掲載されていた投書を読んでいたところ、ある女性が「女にもてない夫を持つた私の感想」というものを投稿していた。 最初は単なる愚痴かと思ったが、読み込むうちになんかなんだか気分が落ち込んでしまった。 とりあえず書き起こすことにする。 「女にもてない夫を持った私の感想」投稿者:宇佐美米子 私がこの家に嫁いでからもう今年でちょうど5年になります。夢のように過ぎた5年の間には可成(かなり)色々な事がありましたが、楽しいことも悲しい事もみな断片のことであって、私の心に根深く止まってい

この前GWに久しぶりに実家に帰ったのよ かれこれ5年ぶりくらいかな仕事が忙しくて長期休暇も休日出勤があってなかなか帰れてなかった 実家って帰ってみると意外とやることがなくて暇なんだよな そこで中学時代に好きだった女子の実家でも巡るかと思って自転車で外出したんだ まず近所の田中さん(仮名)の実家に行ってみたら、あの頃のままで感動した 中学時代もよく田中さんの実家を見に来てたんだが、その頃の記憶がよみがえって懐かしい気持ちになった 2階の左側の部屋が田中さんの部屋なんだよなあとか考えながら15分ほど見物して次へ 次は高橋さん(仮名)の実家に行ったら、なんと別の家が建ってて表札も別の名前に変わってた 時の流れって残酷だなあと30年前のことを思い出したりしてた そういえば高橋さんの家には雑種の犬がいたけどさすがに死んじゃったかな? 最後は小林さん(仮名)の実家に行く するとなんと小林さんの部屋に

子どもたちと接する機会があり、一緒に絵を描いていたらその親?に言われた。 子どもたち「絵、うま!どうして?」 「君たちくらいのころから描き続けていたからだよ」 親「え~w最初から上手だったんだw」 「最初はこの子たちより下手でしたよ~」 親「ないないw最初から上手いから描き続けるんだよwいいな~ずるいよねw」 子どもの前で何をいってんだこいつ…と思いながらその場は適当にあしらった。 こいつに初めて描いた絵を見せたいもんだ。 ただのぐちゃぐちゃの線だぞ。 最近はオタク文化が根付いたのか絵描く子多いから今の子の方が上手いだろ。(おそらく) というか「ずるいよねw」ってなんだ…。ずる…? ふと絵描き人生でも振り返るかと思い、吐き出しがてらここに投げることにした。 * 初めて絵を描いたのは覚えていない。物心ついたときから暇だったら絵を描いていた気がする。 幼稚園で一番好きなのは絵を描くとき。 想像

過去にね お腹がすごく痛くなったことがあるんです なんていうか圧迫感っていうか 体を折り曲げるとテニスボールを挟んでいるような違和感があって それでまぁ我慢できなくてかかりつけ医のところに行ったんです そうしたら難しい顔されて あれよあれよという間に大学病院に連れて行かれて腫瘍ができてるから手術するよって それで取ったんです 腫瘍 わたしどうしても腫瘍っていうのが見てみたくて 必死にしつこくお願いして見せてもらったんです 腫瘍はなんというか モッツラレラチーズをカマンベールチーズ色にして赤い血を浴びせたようなそういう見た目でした そんで 中に何が入ってるか調べるっていうんで それも見せて欲しいって言ったんです そうしたらね まあ面倒そうに口元ひん曲げながら銀色のトレーに中身を入れてずいっと差し出してくれてね 中には髪の毛の束と小さな歯か骨のカケラが入っていました わたしが元母親(縁切りして

大手建築会社とかトラップ用内装会社とか器具備品の納入業者とか モンスター養殖会社とかワルモノ派遣会社とか そういうところに、いちいち見積もりとってやるのも 極秘でバレないようにやらなきゃいけないのかと思ったけど 大手コンサルタントが営業かけてきた。 あんなコンサル通してるから、どこかで情報が漏れたり 罠やなんかも汎用品の使い回しで安価になってたりして 結局攻略されちゃうんだろうな。 予算さえあればお任せしたいところではあるんだけど。 古式ゆかしいダンジョンのほうが謎解きとか難しいと感じるのは 自力でチミチミ作ったせいなんだろうな。 新しめのダンジョンって結構テンプレートな攻略法な気がする。 理想のダンジョン作るなら、地道に洞窟探して そこにコツコツ穴を掘ってくしかないのかなぁ。 まずは良い物件探しだよね。

3連休初日のこと。 「あのさ、できたらでいいんだけど」 申し訳なさそうな声で旦那が続ける。 「突然なんだけど、明日◯◯ちゃん(市のご当地キャラ)の中に入れたりする?」 うちの旦那は市役所職員なのだが、どうも祝日にイベント対応する人が調整しきれなかったらしい。 うちのご当地キャラはかわいい。めちゃかわいいのに、あちこちのイベントに貸し出されては、ぼやーっと棒立ちしてるのをよく見かけていた。 中に入るのはプロではなく、イベント担当課の若手職員らしい。しょうがないよねとは思いつつ、◯◯ちゃん大好きな私としては、「◯◯ちゃんは、本当はもっとかわいいのに!」というモヤモヤを感じていた。そこにやってきたこんなチャンス!乗らない訳がない。 「いいよ!やるよ!」食い気味に返事をすると、「え?いいんだ?」と逆に旦那が驚いていた。 イベントは明日である。すぐに「着ぐるみ、動き、かわいい」などのワードを検索しま

【ここから本文】 私は神戸で生まれて育ちました。昔は裏六甲の北区で、今は海側の住宅街に住んでいます。 他の街は分からないけど、神戸は海も山も都会も田舎もあるいいところだと思っています。 子供のころはよく洋裁が得意な祖母が作ってくれたワンピースを着て、祖父に連れられて王子動物園と須磨海浜水族園に連れて行ってもらいました。 この夏は本当に暑くて、灘湾にもくもく立っている入道雲が憎たらしかったです。 神戸都市部の排熱が、全部六甲山から吹く風に淡路島の方まで流されて、雨雲になります。 淡路島の人には少し申し訳ない気がします。ごめんなさい。 こないだ、三宮でコーヒーと紅茶を買って、南京町で老祥記の豚まんを買いました。 育った街だけど、居留地のビルの合間はいつも迷子になります。 山か海が見えると方角がわかるのですが、ビルに囲まれてしまうとたいてい、南北逆になってしまっています。どこにいても山が見えたら

6歳のとき、友達のマホちゃんが誰も履いていないようなフリフリのスカートを履いていた。みんなは可愛いねと言ったけど私は変だと思ったから、変だねと言った。マホちゃんは怒って泣いた。 8歳のとき、父親が知らない女の人といるのを見た。私はそれを浮気だと思ったから、晩御飯のとき二人にそれを伝えたら、数カ月後、両親は離婚した。母親は一言私に、アンタのせいよとだけ言って、それ以来父親の話をしなくなった。 14歳のとき、マホちゃんが好きだと言っていた先輩に告白された。マホちゃんがあなたの事好きらしいので、と断った。それを伝えたら、マホちゃんは怒って泣いた。 16歳のとき、初めてのバイト先で品出しをしていたらパートの人からバックヤードに呼び出された。私の品出しの仕方が間違っていると話し始めた。私は慌てて商品のところに行って、直してから退勤した。それ以来パートの人から無視されるようになった。 18歳のとき、美

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