ぽる@医者漫画(水土曜更新) @bot41040588 呼吸器内科の医師。 基本は日常ツイート+仕事メインでの漫画やイラスト、患者さんについてはフェイクあり時間差投稿。毎週水曜日▶︎頑張れ研修医くん、土曜日▶︎日常漫画あげてます。/イラストのお仕事はDMにお願いします。 instagram.com/polu41040?igsh… ぽる@医者漫画(水土曜更新) @bot41040588 90代後半の高齢女性が感染症で入院した。 状態は悪く、いつ亡くなってもおかしくないという話をキーパーソンの長女さんにしたら 「良かった、これ以上長生きされたら私の方が先に逝くかもしれなかった。最期を見届けられそうで良かった」 と言っていた。そんな受け止め方もあるんだな。 2025-10-10 17:23:17

「僕には『本当の友達』と呼べる人は、いるのだろうか?」 いま58歳。24歳で朝日新聞に入り、34年間、記者などとして働いてきた。 定年まであと7年。会社にいると同僚や上司と話すことも多く、孤独を感じることは少ない。職場では定期的に集まる韓流好きの会もある。昔の勤務地の仲間との同窓会も時々ある。いずれもとても心安らぐ場なのだが、退職後もこれらが続くのか不安もある。定年になって会社を離れたら、地域に「友達」と呼べる人はいない……。 学生時代は、そこそこ友達はいた方だと思う。部活やゼミの友達が中心だった。就職して40代ぐらいまでは、こうした学生時代の友人や会社の同僚、取材先で仲良くなった人たちとも、よく遊んだ。山登りをしたりテニスをしたり、飲みに行ったり。「友達」という存在について、深く考えることもなかった。 しかし、50代になってからだろうか。それまで毎回声がかかっていた学生時代のグループから

追記 黒字って表現がおかしかったね 純利益という意味での2000万です ----- 自分は45歳独身男性。 父親から2年前に会社を継いで社長になった。 会社は従業員40人の小さい会社。年間2000万円ぐらいの黒字は出ている。 でもビジネスモデル的に10年後以降は怪しい。 株主構成は100%父親が所持のまま。 言ってみれば自分は雇われ社長。 子供もいないし、経営のストレスはそれなりに高いので 正直、さっさと仕事辞めて郊外に家建てて何もせずに暮らしたい。 でも個人資産は3000万ほどしか貯まっていない。 まっとうに考えれば最低でも事業の雲行きが怪しくなるまでは仕事頑張って稼いだら?となると思う。 でも10年後って、自分は55歳か… その時点で自由になれたとして、何のための人生なんだか… 会社の資産価値は高いし、父親の個人資産もかなり積み上がっている。 会社の株価は3億ぐらいになってるから、これ

67年前の1958年に東京 墨田区の都立病院で別の赤ちゃんと取り違えられた男性の生みの親に関する調査について、東京都が男性と同じ時期に墨田区で生まれた人の現住所を数十人分特定したことがわかりました。都は近く、調査への協力を求める文書を発送することにしています。 1958年に都が運営していた「墨田産院」で生まれた直後、別の赤ちゃんと取り違えられ、血のつながっていない両親に育てられた江蔵智さん(67)が生みの親の調査を求めた裁判の判決で、東京地方裁判所はことし4月、都に対して調査を命じました。 これを受けて都は、墨田区から戸籍情報を提供してもらい、江蔵さんが生まれた1958年4月の1か月間に区に出生届が出された男性113人と、その両親の現住所を調べる作業を進めていました。 都の担当者は18日午後、江蔵さんと面会し、この中で全体の3分の1程度に当たる数十組の親子の現住所をこれまでに特定できたと報

きたざわ/リンゴ農家の経営改善/SUNABACO受講中 @appleniceguy1 夫の残した遺産1億円を「減らさないために生きてる」年金暮らしの未亡人、苦労して建てた豪華な一軒家で寂しそうに暮らす夫婦、年収2000万の人と自分を比べて自身の給与を嘆く年収1000万のサラリーマン…そんな例を証券営業時代にいくつも見てきた。金は基本あればあるほど良いが、どこかで x.com/BlackSheep8270… 2025-08-13 10:47:46 フランケン @BlackSheep8270 僕はセミナーなどで過去の戦略について ・生活に必要な金額決める ・労働効率を改善する ・少ない日数でその額を稼ぐ の3本柱で 『労働を削減して手取りを増やさない』 を実現するのを初期ステップと勧める。 すこぶるウケが悪い。 金持ちになれないからだ。 2025-08-13 09:27:11 きたざわ/リンゴ

富士丸先生(打上屋) @hujimarusensei1 若手の千尋、よく聞いて。壁に耳あり障子に目ありとはよく言ったもの。夏休みとはいえ、言動には十分に気をつけるんだよ。私はね、学校から500キロ離れた観光地で『先生!』と声をかけられたことがあるよ。一気に血の気が引くからね。 pic.x.com/fZt9DBaW9n 2025-07-31 18:38:25

十分な資産は、必ずしも人を幸福にするとは限りません。むしろ、その資産の使い道や承継者をめぐり、新たな悩みや孤独感を生むことさえあります。本稿では、内藤英子さん(仮名)の相談事例とともに、老後における「お金の本当の使い道」について、ファイナンシャルトレーナーFP事務所の森逸行氏が解説します。 年金に頼らず「夫婦で100歳まで生きる」ための貯蓄額 総資産3億円…お金を使わず増え続けるだけの日々「通帳残高は増える一方。でも、連絡してくるのは金融機関くらい……」 68歳の内藤英子さん(仮名)は、そう呟きながら、少し寂しそうに笑いました。都内の分譲マンションにひとり暮らし。亡き夫が購入した物件でローンはなく、家賃もかかりません。加えて英子さんは、金融機関を定年まで勤め上げた堅実なキャリアの持ち主。年金収入は企業年金含め月25万円、不労所得が月50万円ほどあり、現役時代よりも可処分所得は多いというのが

・参政党さや氏、東京で2位当選の衝撃 20日投開票の参院選で躍進した参政党候補の中で、ひときわ注目を集めたのが、東京選挙区で当選したさや氏だ。選挙前、ほぼ無名に近かった新人のさや氏が約66万8000票余りを獲得し、同選挙区2位に付けたのは、壮挙と言ってよい。 一方同氏を巡っては、選挙期間中さまざまな発言が物議を醸したのは既報のとおりである。 2013年4月、日本文化チャンネル桜スタジオにて、左から筆者、神谷宗幣氏、さや氏・「チャンネル桜の歌姫」という横顔 そんなさや氏と私はかつて長く同僚であった。彼女に初めて出会ったのは今から約15年前の2010年。以来、私は足掛け5年にわたって、保守業界でさや氏と「同じ釜の飯を食う」ことになったのである(*ちなみにさや氏は、保守業界では一貫してローマ字小文字の”saya”と名乗っていた)。 この原稿は単に、参議院議員といういち公人の人物評ではない。私とさ

人気エントリで寄付の話題があった。 自分はなぜ寄付をするのかその気持ちがわからない。 こういうことを話題に出すと心が寂しい人だと思われそうなので口に出せない。 なにか「あなたは恵まれています。だから寄付をお願いします」と、勝手に決めつけられているような感じがする。 責められている感覚がある。 寄付はたぶん趣味の一つなのだろうと捉えている。 「寄付をできるだけ恵まれている」ということなのか。 いや、なんでよ。 寄付するほど恵まれていることになってんじゃないですか? 払えば払うほど責められることになりますよね? 1円たりとも寄付しない。

半年くらい前、岡田斗司夫の女性遍歴が話題をまき、かつて似たような事態を引き起こした人物として、脚本家のジェームス三木の名が引き合いに出された。大河ドラマ『独眼竜政宗』(1987)、『八代将軍吉宗』(1995)などの脚本を手がけてヒットさせた巨匠であり、インタビューなどで軽妙な(恥知らずな?)恋愛論をとうとうと述べる三木の一大スキャンダル…。 1980年代、ジェームス三木はヒットメーカーとして絶頂にいた。まず、脚本を手がけた朝の連続テレビ小説『澪つくし』(1985)が大ヒット。つづいて『独眼竜政宗』は39.7パーセントという大河ドラマ史上1位の平均視聴率をあげる。もとより売れっ子作家だった三木だが、朝ドラと大河ドラマのたてつづけの成功により、業界内だけでなく一般の知名度も上昇。この時期から講演やテレビ出演の依頼が多数舞い込むようになったという。しかし、わが世の春を謳歌する彼に、思わぬ地獄が待

「結婚、する?」 数ヶ月前、まだ付き合ってもいない歳上の男に 私は逆プロポーズをした。彼との歳の差は、17歳。 あまりにも唐突な申し出だ。 その答えは 「ずるい!!僕から言おうと思ってたのに!!」 ーーー 彼とは、5年前に舞台の共演者として知り合った。 しかしコロナ禍のため 5年前:顔合わせのみで中止 4年前:稽古期間途中で中止 3年前:本番2日前で中止 もちろん飲み会等も一度もなかったので ほとんど喋ることもなく “顔は見たことがある”くらいの印象だった。 ーーー 親しくなったのは2年前、2023年の秋。 ようやく上演できた カクシンハン「シン・タイタスREBORN」にて 私はラヴィニアという主演の娘役 彼はバシエイナスという私の夫役で共演したことがきっかけだった。 シン・タイタスは座組全体で仲が良く、 コロナ禍が落ち着いてきた頃ということもあり 全員が、やっと人と話が出来る喜びに満ちて

1995年、アメリカのマイクロソフトは「Windows95」を発売した。このソフトの大ヒットの影で、人生を大きく変えられた人たちがいる。読売新聞の人物企画「あれから」をまとめた書籍『「まさか」の人生』(新潮新書)より、日本語ワープロソフト「一太郎」の開発者、浮川初子さんのケースを紹介する――。(第1回) 日本語ワープロソフト「一太郎」大ヒットのその後 赤いパッケージに毛筆の書体で書かれた商品名。日本語ワープロソフト「一太郎」が、発売されたのは1985年8月28日だった。 34歳の時にこのソフトを開発した女性プログラマー浮川初子さんには、痛快な思い出がある。 1万円札を同封した現金書留の山、山、山――。ネット通販がなかった時代、ソフトの購入代金が郵送で届き、金庫に入りきらないほどになった。 一太郎は、日本語の文章をパソコンで書くという行為を当たり前にした国産ソフトだ。パソコンの職場や家庭への

ニッケル坊や @Nickel_Bouya28 ドバイの大富豪も日本の大富豪も、結局は札束で若い女を集めてやることはヤギとセックスさせたり薬物に溺れてキメセクしたりするだけになるの、ほんと夢がないなと思ってしまう 2025-05-16 22:00:29

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