「父上様母上様 三日とろろ美味しうございました。干し柿もちも美味しうございました」 こう始まる遺書を残して円谷幸吉選手は自らの命を絶った。 1964(昭和39)年の東京五輪。マラソン(当時は男子のみ)で銅メダルを獲得、日本中を沸かせた男である。 国立競技場に、先頭のアベベに続いて入ってきた円谷選手はトラック内でドイツのヒートリーに抜かれ銅メダルに終わる。最後の最後に抜かれたが、彼は一度も後ろを振り向かなかった。父親から「男は後ろを振り向くな!!」と言われ続けてきたからだという。 東京五輪最終日に展開されたこの劇的なドラマは、中学1年生であった私に鮮明な記憶として残っている。特別に華々しいパフォーマンスをすることもなく淡々と表彰台に登り、少し照れ臭そうに優しく手を挙げて大観衆に応えていた。開催国日本の陸上界唯一のメダルであった。 そして、期待と重圧の中で迎えた4年後のメキシコ五輪、68(昭和

という番組がNHKでやってまして なにせ沖縄勢初優勝、 加えて春夏初連覇の快挙を、 就任3年目の我喜屋監督率いる興南高校が達成し、 しかもそれが運だけではなく走攻守そろったチームの完成度で 圧倒的な差(13-1)をつけた決勝戦でもあったので、 いったいどんな指導、どんな練習でそれを成し遂げたのか? と、興味津々で見てみると監督から出てきたキーワードが、 秘密のキーワード 五感を研ぎ澄ませる 挨拶大事 全力疾走 一人のミスをみんなでカバー って、なんの秘密もありゃしねー(゚Д゚) そんな精神論、優勝高校から聞いてもなーー。 、、とおもいきや、なかなか深いですよこれ。 五感を研ぎ澄ませる 我喜屋監督 2時間半のグラウンドだけでは勝てない。 勝負はその前から始まってる。 満開の花を咲かせるには根っこから育てないといけない。 根っことは練習だけでなく、 寝ることから、起きることから、あるいは散歩す

サッカーのワールドカップ(W杯)南アフリカ大会で活躍した本田圭佑選手が2日、大阪府摂津市の母校などを訪問し、後輩たちにメッセージを送った。事前連絡なしの“電撃訪問”に後輩らは大興奮。来訪を聞きつけた同市の森山一正市長も慌てて駆けつけ、同市初の市民栄誉賞を授与した。 本田選手は、通っていた保育園「鳥飼さつき園」を訪れ、園児らと記念撮影。園児らは「テレビの中のヒーローが突然現れて、呆然(ぼうぜん)としていた」(同園職員)という。 さらに、母校の市立鳥飼北小学校と市立摂津第四中学校も訪問。それぞれ緊急の全校集会が開かれ、大きな歓声で世界と戦った先輩を迎えた。本田選手は「みなさんも夢を持って頑張ってほしい。夢の実現には必ず困難がある。僕も自分の夢を実現するため、これからも困難と戦っていく」とメッセージを送った。 一方、和歌山県の仁坂吉伸知事は2日、W杯・対パラグアイのPK戦で惜しくもシュートを外し
賭博問題をめぐる臨時理事会を終え、記者会見する日本相撲協会の武蔵川理事長(左端)ら=28日午後、東京・両国国技館 「このまま撮り続けると、会見はやめるよ」 28日午後4時、東京・両国国技館の大広間。野球賭博問題に伴う力士らの処分を検討した日本相撲協会臨時理事会による記者会見場には、武蔵川理事長(元横綱、三重ノ海)の怒声が響き渡った。 100人以上の記者が集まった会場は、会見席の理事会メンバーら10人にカメラマンが殺到し、次々にシャッターが切られると、武蔵川理事長が最前列に集まった十数人のカメラマンを移動させる緊迫したムードで始まった。 会見後の約20分間の質疑応答で、記者側の質問が集中したのは、野球賭博にかかわった力士らと反社会的勢力との関係だった。 この点について、理事会側は「力士たちが反社会的勢力と関係している、また、野球賭博を通じて反社会的勢力が力士たちに近づいてきているという事実は
「国技守る」のが責任…名古屋場所、強行開催へ 武蔵川部屋からは雅山、垣添ら野球賭博に関係すると見られる力士の名札が付いた荷物がトラックで運び出された Photo By スポニチ 大相撲の野球賭博問題で揺れる名古屋場所(7月11日初日、愛知県体育館)が強行開催される可能性が高くなった。特別調査委員会は25日、開催の是非と野球賭博関与力士の出場の可否を審議する緊急理事会と評議員会を、28日に東京・両国国技館で開くと発表。調査委の提言を受け、7月4日の理事会を前に、名古屋場所開催の方針を決定することになりそうだ。 野球賭博問題の影響により開催が危ぶまれている名古屋場所について、協会の外部理事も務める村山弘義委員(元東京高検検事長)が一歩踏み込んだ見解を示した。この日、両国国技館で行われた特別調査委員会の会見で「(名古屋場所を)開催できないかもしれない可能性をつくったのは協会の責任」とした上で「責
2月28日に都内で行われた東京マラソンで、iPhoneを使い、走りながらUstreamなどで映像をライブ配信するランナーが登場し、注目を集めた。テレビ中継とは異なる市民ランナー目線の映像のライブ感にTwitterなどで応援が盛り上がり、「まるで一緒に走っているかのようで感動した」といった感想も寄せられた。 英国出身で、日本をテーマにした英語ポッドキャストなどを運用しているジョセフ・テイムさん(@Tamegoeswild)は、3台のiPhoneを装備して出走。1台は頭に取り付けて自らが走る様子や沿道の様子をとらえ、もう1台はGPSで走っている場所をリアルタイムに把握しネット地図に公開、もう1台でTwitterを確認しながら、約5時間で完走した。

僕はこれまで本当に多くの方にお世話になった。地元の方々、応援してくださった皆様、用具の面倒を見てくださる方、日本オリンピック委員会(JOC)の皆さん。すべての人の支えがあって、4大会連続五輪出場、金、銀、銅メダルの獲得があった。 不遜(ふそん)かもしれないが、申し送りをしておきたいことがある。少し、厳しい言い方になる。が、聞いていただければ幸いだ。 日本はまだまだスポーツ後進国というしかない。五輪の期間中、国中が注目しメダルの数を要求される。選手が責任を感じるのは当然だが、ノルマを課せられているような感じにもなる。それまでの4年間のフォローを国やJOCはきちんとしてきたのだろうか。 政府の事業仕分けが行われ、スポーツ予算は削られる方向になった。全体的な削減は仕方がないとしても、仕分けの仕方は適切だろうか。 例えばお隣の韓国はスポーツ先進国になった。国威発揚という特殊な事情があるにせよ、お金
大相撲の安治川(あじがわ)親方(元幕内光法=こうぼう)は2日、前日の理事選で所属する立浪一門の候補に投票せず、当選した貴乃花親方に投票したことを明かし、混乱を招いた責任をとって退職することを表明した。
五輪マラソンの世界最長記録は54年8ヶ月 オリンピックの男子マラソンでもっとも遅かった公式記録は、54年8ヶ月6日5時間32分20秒3。 日本人の金栗四三氏が記録したものです。 なぜそんなあり得ない記録になったのかは後述するとして、一般にスポーツの最低記録や珍記録といったものは恥ずかしいことが多いものですが、この記録が生まれた背景を見ていくと、実に誇らしく、粋な記録だということがわかります。 金栗四三氏が出場したのは明治晩年にあたる1912年のストックホルム・オリンピック。これが日本のオリンピック初参加で、前年の国内予選では30分近くも世界記録を更新するという、名誉と期待を背負ったものでした。 ところが、北欧の大会にもかかわらず異常気象のため40度近い猛暑に襲われ、68人中34人が棄権するというサバイバルレースになってしまい、彼もまた日射病で棄権してしまいます。しかしながら、連絡ミスによっ

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