大学院で学ぶ「学習のデザイン」、今回は社会学です。 社会学の草創期である1900年ごろに活躍した、ウェーバー、デュルケーム、マルクス、のヒゲおじさん3人が打ち出した理論を見ていきます。そしてそこから、学校教育と社会の関わりを、自分なりに考えてみます。 前回、社会学は「個人」と「組織・集団」の関係性を見ていく学問だと書きました。 今回もこの構図から整理していきます。 マックス・ウェーバー(1864-1920)ウェーバーは、個人の行為から意味を見出して、制度や組織などの仕組みを明らかにする人です。シルエットは二等辺三角形のとんがりコーンです。 個人 → 集団 個人の行為には、目的・価値・感情・伝統がありますが、ウェーバーはこのなかで目的(目的合理的行為といいます)にフォーカスします。 なんで資本主義社会は成立したのか?ということの論文(通称プロ倫)があります。ウェーバーは、プロテスタントの禁欲

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商品の紹介 わたしたちをとらえて離さない社会。メディア、家族、労働、余暇、ジェンダー、セクシュアリティ、差別、人種等の視点から、身近な、そしてエッジのきいた14のテーマを読み解くことを通して、社会の大きな仕組みにふれる。また、執筆者と研究との出会いを記したコラム「研究のコトハジメ」や、初学者読者応援ページ「コトハジメるコツ!」では、大学での学びのお役立ち情報を掲載し、より深い学びをサポート。 [オンラインで学びのサポート] ●オンラインでふれる社会学 第9章「レインボーにふれる」関連Web集、第11章「ハーフにふれる」拡張版、第15章「100年前の社会学にふれる」に関連した社会学の教科書・入門書紹介、さらに「論文の書き方」指南書リストなど、関連するコンテンツが満載! ●ふれしゃかhook(ワークシート集) さらに広く深く学べる、『ふれる社会学』授業用ワークシート集。事前・事後学習に役立つ課
恋愛に巻き込まれているあなたにも、恋愛に疑問があるあなたにも、恋愛そのものに関心がないあなたにも―― 晩婚と生涯独身者が増加しつつも、多くの人々が生涯にわたり様々な形で関わることになる「恋愛」。 それは現代日本でどのように変化しつつあるのか。歴史的記述や量的・質的調査、そして多様な事例から、結婚や性だけには還元できない親密な関係を読み解く、ポスト恋愛至上主義の時代に迫る必携入門書! 「恋愛社会学の面白さは、私秘的で個人的なものとして経験される喜びや悲しみを、他者と共有可能なものとして発見することができ、語り合えること、そしてそのような心を揺さぶる感情や経験を通して社会がどのように構成されているのかを見通すことができるところにあります。本書を通して、その知的面白さを味わっていただき、恋愛をめぐって生じている様々な社会的問題の解決に協力する一員になっていただければ幸いです。恋愛社会学

大学も学部もたくさんあるけれど、いったいなにをやっているのかわからない! そんな高校生のためにスタートした『高校生のための教養入門』。今回は、計量社会学者の筒井淳也氏にお話をうかがいました。 社会学ってどんな学問? 計量社会学はなにをやっているの? なにが面白いんだろう? 「社会の背景を知らなくても生きていける。でも理解できたら納得して進むことができる」。社会学の魅力に触れていただけたら幸いです。(聞き手・構成/小島瑳莉) 社会学ってなんだろう ―― 社会学ってどんな学問なのでしょうか? どのように答えても他の社会学者から「違う!」と言われてしまうと思いますが(笑)、ぼくの考えをお話しましょう。ぼくは社会学を、長期的な観点から社会の変化を説明したり、空間的に広い視野で社会について説明したりする学問だと考えています。 社会学と呼ばれる学問は、西ヨーロッパで産業革命と市民革命を経て社会が近代化

【紀伊國屋じんぶん大賞2024 第2位!】 フィールドワークが世界の見方を変える―― 舞台は、マニラの貧困地区。突然試合が中止だと告げられるボクサー、自宅が急に目の前で破壊されるスラム街の住人、常に主人の顔色を窺う家事労働者……。何が起こるかわからない明日を待ち、絶えざる今を生きのびるとはどういうことか。かれらが生きる時間のディテールをともに目撃し、ともに書くための理論と思想。 [目次] はしがき 序章 暗がりの部屋 1 暗がりの部屋から 2 エスノグラフィー 3 認識の生産――時間的・対位的・転覆的であること 4 貧困と構造的暴力 5 制約下での社会学的想像力 6 本書の構成 第1章 不確実な減量――待機するボクサー 1 ボクサーにとっての試合決定 2 生理学的身体 3 予定が白紙になる 4 不確実性 5 待機することを止める 第2章 共同生活——ボクシング・キャンプについて 1 ボクシ
このたび、『岩波講座 社会学』が正式に刊行開始となりました。前回の「岩波講座」からほぼ30年経つ。私のほかに、北田暁大、筒井淳也、丸山里美、山根純佳の各氏が全体の監修を務め、テーマごとに編集される全13巻の各巻に、そのテーマに造詣が深い社会学者が編者になります。 前回の「岩波講座」が刊行されたときは、たしか私はまだ院生でした。貪るように読んだことを覚えています。あれから社会も、社会学も、大きく変化しました。 前回は上野千鶴子や吉見俊哉、大澤真幸などが全体の監修者で、巻数も26あったと記憶しています。各巻のタイトルも凝ったものが多かった。執筆者も社会学プロパーだけでなく、竹田青嗣などの周辺領域の方が入っていました。文体や内容も派手で、自由で、雑多で、それほど社会学とは関係のないものもたくさんありました。もちろんそれだけではなく、当時の最先端の社会学的な議論をしている論文もたくさんあって、たと

文化資本(英語: cultural capital、フランス語: le capital culturel)とは、社会学における学術用語(概念)の一つであり、金銭によるもの以外の、学歴や文化的素養といった個人的資産を指す。フランスの社会学者ピエール・ブルデューによって提唱されて以来、現在に至るまで幅広い支持を受けている。社会階層間の流動性を高める上では、単なる経済支援よりも重視しなければならない場合もある。文化資本という言葉が最初に用いられたのは、1973年に発表された『Cultural Reproduction and Social Reproduction』(ジャン=クロード・パスロン(英語版) との共著[1])の中である。この中でブルデューは、1960年代のフランスにおける学童らの成績の違いを説明しようと試みている。以降、この研究はより緻密な検証によって発展を見せることになるが、まず
こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。歳を取ったせいか、こどもががんばってる姿にめっきり弱くなりました。『はじめてのおつかい』はあえて観ないようにしています。号泣してしまいそうなので。 で、油断してたら、まったく予想してなかったところに号泣ポイントが。先月終了した『Dr.Stone』のアニメ、4期の第2クール。最後の数話で描かれた、全人類の命運をたったひとりで背負うことになったスイカの健気な奮闘ぶりに、泣かされました。 主人公の高校生科学者・千空は、科学知識のないこどもでも時間さえかければ確実に復活液を作れる製法を書き残しておきました。それを頼りに、スイカは石化した仲間たちを復活させる復活液を作り始めますが、何度も失敗します。でも決してあきらめず挑戦を繰り返し、ついにやり遂げるのです。 復活した千空のセリフ「たった7年か。早かったな」が衝撃。全人類再石化が進行する土壇場で用意した仕掛けに
- 1 - 大都市と精神生活 ゲオルク・ジンメル 松本康訳 問題の所在 現代の生活の最も奥深い問題は、圧倒的な社会の力、歴史的な遺産、外的な文化、生活技術などに直面している個人が、自分の存在の自律性と個性をなんとか保存しようという 要求から来ています。原始人は自分の肉体的な生存のために自然と闘いましたが、現代で はこの闘いは新しい変貌を遂げました。一八世紀には、人間はあらゆる歴史的な束縛、た とえば、国家、宗教、道徳、経済などの分野にあったいろいろな束縛ですが、そうした束 縛から自分自身を解放することが要求されました。人間の本性はもともと善良でみんな同 、 、 。 、 じなのだから それを妨げないで発達させるべきだ というわけです 一九世紀になると 自由が増えたことに加えて、人間とその仕事の機能的な専門化が要求されました。この専 門化のおかげで、ひとりの個人を他の個人と比較することができ
講談社現代新書の通巻2500番として、本日から発売された、大澤真幸著『社会学史』。その中から今回は、エミール・デュルケームを論じた一部を特別公開します。好景気でもなぜ人は自殺してしまうのか――偉大な知の営みが次々とあなたの頭に染み込んでいく、本物の教養体験を味わいましょう! 豊かになると幸せになる、は本当?デュルケームらしさが一番はっきり出ているのは、『自殺論』(1897年)です。 デュルケームの重要な著作は、1897年に出たこの著作よりも前に、2つ──そのうちの一つが、『社会学的方法の規準』で、もう一つが『社会分業論』──ありますが、それらの紹介は後にまわし、デュルケームがもたらした革新がはっきりと現れている本書から紹介します。 そのモチーフを言っておくと、こうなるでしょう。多くの人が十分に吟味することなく信じている常識に、「人間は、近代化すると豊かになって幸せになる」、つまり近代化は人


カール・マルクス(ドイツ語: Karl Marx、英語: Karl Marx FRSA[注釈 2]、1818年5月5日 - 1883年3月14日)は、プロイセン王国時代のドイツの哲学者、経済学者、革命家。1845年にプロイセン国籍を離脱しており、以降は無国籍者であった。1849年(31歳)の渡英以降はイギリスを拠点として活動した。 第一インターナショナルを指導し、社会主義および労働運動に強い影響を与えた。フリードリヒ・エンゲルスの協力のもと、包括的な世界観および革命思想として科学的社会主義(マルクス主義)を打ちたて、資本主義の高度な発展により社会主義・共産主義社会が到来する必然性を説いた。ライフワークとしていた資本主義社会の研究は『資本論』に結実し、その理論に依拠した経済学体系はマルクス経済学と呼ばれ、20世紀以降の国際政治や思想に多大な影響を与えた。 カール・マルクスは1818年、当時プ
マックス・ヴェーバー(中央の人物) マックス・ヴェーバー(Max Weber、1864年4月21日 - 1920年6月14日[12])は、ドイツの社会学者、政治学者、経済史・経済学者(新歴史学派)[13]。マックス・ウェーバーと表記されることもある。正式な名前はマクスィミーリアン・カール・エーミル・ヴェーバー(Maximilian CarlEmil Weber)であり、マックスはマクスィミーリアンの省略形。弟は社会学者のアルフレート・ヴェーバー。 社会学黎明期のオーギュスト・コントやハーバート・スペンサーに続く、第二世代の社会学者としてエミール・デュルケーム、ゲオルグ・ジンメルなどと並んで称される[14]。 1864年4月21日、プロイセン王国エアフルト[注釈 1]にて、父は政治家で、母は上流階級出身の敬虔なプロテスタントの、裕福な家庭に長男として生まれる。1865年、2歳の時に脳膜炎に

最初に言うけど、俺はあくまで社会学の学士。 文系だけどちゃんと大学出る時に論文は書いてる。 そのときの研究室における思い出を中心に語る。 ぶっちゃけ配属されるころには社会学者だいたい嫌いになってて外と付き合いないから教授レベルはN=10ぐらい。 学生はN=30ぐらいかな。 ぶっちゃけ俺大学であんま人脈作れてないんよな。 サークルも下半身的なアレが面倒くさくなって途中で抜けたし。 社会学部への志望動機は「文学部よりは学歴としてちゃんとしてそう。コンサルとかで濡れ手に粟でお金稼げそう」が多いこれマジ。経済学部と間違えて入っただろお前って人ばっか。経済学部って数字とか多くて難しそうだけど社会学ならまあ国語力でいけるだろみたいな感じの人も多かったね。 最初は世の中を良くしたいんです云々みたいな事言ってた人が、まあ異性の前でイキってたり教授の前だから真面目なこと言ってただけで、話を聞いてみると楽

twitterでは社会学批判が喧しいが、当然ながら社会学内部からも同様の批判はある。それをメモ代わりにまとめておく。 太郎丸博:査読文化の欠如 「社会学者からの社会学批判」として昨今のインターネットSNSで最も引用されているのは、2009年の太郎丸博氏のブログ記事「阪大を去るにあたって: 社会学の危機と希望」であろう。彼の主張を端的に表す部分を抜き書きすると下のあたりだろう。 「最後に日本の社会学に対する危惧を一つ述べておきます。日本の社会学の特徴は、アカデミズムの軽視だと思います。すなわち、学会報告や学会誌を軽視しているということです。学会発表もせず、学会誌に論文を投稿もせず、それでも社会学者づらして本を出版したり、さまざまなメディアで発言することができるのが、日本社会学の実情です。」 「アカデミズムを軽視し、本に好き勝手なことを書くことを理想とするようになります。研究そのものから降りて
ドラマツルギー(英語: dramaturgy)とはシンボリック相互作用論から生じた、日常生活における社会的相互作用を取り扱う微視的社会学の説明の中で一般的に使用される社会学的観察法である。この用語はアーヴィング・ゴッフマンによって、演劇の場から社会学へと初めて適用された。 この観察法は1959年の自著である『日常生活における自己呈示』 ("The Presentation of Self in Everyday Life") の中で関連した専門用語とアイデアの大部分を発展させたものである。 後にゴッフマンがその影響[1]を認めたケネス・バーク (Kenneth Burke) は、早くも1945年にはシェイクスピアからヒントを得てドラマ的方法 (dramatism) という概念を提出していた。 ドラマツルギーの社会学において、人の行動は、時間・場所およびオーディエンス[注釈 1]に依存してい
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