靖国神社で土俵入りを行う横綱・日馬富士(2015年4月3日撮影)。(c)AFP/TOSHIFUMI KITAMURA〔AFPBB News〕 横綱・日馬富士の幕内・貴ノ岩に対する暴行問題だが、事件発生から1か月が経とうとするが、深層はいまだ闇に包まれたままだ。 それどころか、加害者の日馬富士周辺と被害者の貴ノ岩周辺の証言に、様々な食い違いが表面化。事件を取調べ・検証する鳥取県警は、年内にも日馬富士を書類送検すると見られるが、事件の焦点は、貴ノ岩の親方、貴乃花や相撲協会の対応や動向に絞られてきた。 貴乃花のつぶやきに動揺する力士 「横綱や大関が稽古している時間、土俵に顔も出さずに支度部屋で寝ている関取衆がいることに『稽古もしないのによく本場所で勝てるな』と、貴乃花巡業部長が感心しています」 昨年、岡山県倉敷市で行われた大相撲の秋巡業で、三役以下の力士の支度部屋前に、“貴乃花のつぶやき”のよう
相撲の決まり手の中で特に有名な「押し出し」と「寄り切り」ですが、この2つの違いについて正確に説明できる方はそう多くはないかもしれません。 この2つは一体何が違うのでしょうか。 押し出しと寄り切りの違いについて説明すると共に、それぞれを得意とした力士について見ていきたいと思います。 押し出しと寄り切りの違いをわかりやすく解説 押し出しと寄り切りの違いを簡単に言うと、対戦相手を土俵から押し出した時にまわしを持っていれば「寄り切り」になり、持っていなければ「押し出し」になります。 つまり、この2つの違いはまわしを取るか取らないかという事になります。 ちなみに、相撲の決まり手の中で、最も多く使用されているのが寄り切りです。 2014年に開催された幕内の全取組6場所/全1828番の取組のうち、寄り切りが決まり手となった相撲は約3割の542番にのぼるそうです。 2位は332番(約18%)で押し出しにな
スポーツジャーナリストの二宮清純氏が9日、日本テレビ系「情報ライブ ミヤネ屋」(月~金曜後1・55)に出演。日本相撲協会を9日付で退職した元宮城野親方の白鵬翔さん(40)がいわくつきで親方を襲名した経緯を説明した。 元横綱の白鵬さんは歴代最多45度の優勝を誇る。引退後の2021年には現役時代の問題行動に鑑み、協会の規則を守るなどの異例の誓約書付きで年寄「間垣」を襲名。22年に年寄「宮城野」を襲名して宮城野部屋を継承したが、昨年2月に弟子の暴行問題が発覚して部屋は一時閉鎖の処分となり、処分解除を待たずして退職を決断した。 MCの宮根誠司(62)は「普通なら白鵬部屋ですよね」と問いかけ、リモート先の二宮氏は「本人も一代年寄(で白鵬部屋を開くこと)を望んでいました。しかし年寄資格審査員会というのがあるんですね。もっと厳しい声もあって『部屋を10年ぐらい持たさない方がいいんじゃないか』という声もあ

大相撲元大関栃ノ心のレバニ・ゴルガゼ氏(37)が4日、Xを更新。宮城野親方(40)=元横綱白鵬=が日本相撲協会を9日付で退職することについて語った。 添付された動画でゴルガゼ氏は「おかしいと思わないんですか? ひどいすよ。信じられない。あんな誰よりも相撲のことを勉強して、誰よりも活躍して、相撲協会を引っ張ってきた人間がクビにされたみたいなものですからね、これは。おかしいですよ」と疑問を呈した。 宮城野親方は現役時代から問題行動が多く、異例の誓約書に署名した上で親方となって4年足らず。21歳の幕内伯桜鵬ら多くの弟子を残し、角界を去ることになった。 ■宮城野 翔(みやぎの・しょう) 元横綱・白鵬翔(はくほう・しょう)。旧名ムンフバト・ダバジャルガル。昭和60(1985)年3月11日生まれ。モンゴル・ウランバートル出身。父のジジド・ムンフバトさん(故人)はメキシコ五輪レスリング銀メダリスト。宮城

横綱土俵入り(よこづなどひょういり)は、大相撲の最高位である横綱が本場所の幕内取組前や巡業先などで行う土俵入りである。片屋入り(かたやいり)とも呼ばれる[注釈 1]。 朝青龍明徳の横綱土俵入り(左が太刀持ち、右が露払い) 幕内土俵入り(大関以下)が東西両方で終わった後に呼出が土俵を掃き清める。立呼出および立行司に先導され、純白の綱を腰に締めた横綱が、露払い(つゆはらい)と太刀持ち(たちもち)を従えて入場する。 土俵下で左から順に太刀持ち、横綱、露払いの順に並んで同時に土俵に上がり[注釈 2]、横綱は柏手を打つ。横綱が土俵中央に進み出て、正面を向いて再び柏手を打ち、右足→右足→左足の順に四股を踏む。この時観客から「よいしょ!」と掛け声が飛ぶ。土俵の上り口で再び柏手を打ち、全員一礼の後、退場する[1]。 以上一連の動作をその日出場している横綱全員が順番に行い、場内は中入りに入る。 露払いと太刀


米セントルイス出身の本名ヘンリー・アームストロング・ミラー、元幕内・戦闘竜関(45・友綱部屋)は黒人米兵の父と日本人の母を持つ、大相撲史上初の黒人力士だ。88年名古屋場所で初土俵を踏み、94年九州場所で関取の仲間入り。00年名古屋場所で念願の入幕を果たした。しかし、直線的な相撲ゆえケガに泣かされ、03年九州場所を最後に引退。今どうしているのか。 戦闘竜関と会ったのは埼玉高速鉄道・鳩ケ谷駅からクルマで5分、住宅街にある「ライム」。デパートなどでアクセサリーを販売する際、貴金属を収納するジュエリーボックスやアクセサリーケースを製造販売する会社だ。 「嫁の父さんが設立した会社で、今は父さんが会長、彼女が社長、ボクはプロダクトマネジャーだよ。具体的にいえば、どんなケースにすれば商品が映えるかをクライアントに提案し、アウトラインを決めるのがボクの仕事。デパートのショーケースの中でジュエリーが光り輝く

山本山 龍太(やまもとやま りゅうた、1984年5月8日 - )は、埼玉県さいたま市西区(旧大宮市、生まれは北足立郡伊奈町)出身で尾上部屋所属の元大相撲力士。本名は山本 龍一(やまもと りゅういち)、愛称はリュウ。身長190cm、体重266kg。重さを生かしたがぶり寄りを得意とするが、スピードと巧さを持ち、投げ技も多い。新入幕記者会見では自ら「ドンブリ王子」と名乗る。日大相撲部出身。最高位は西前頭9枚目(2009年5月場所)、2011年2月の身体測定で現役力士最重量記録を更新し、巨大なあんこ型力士として人気を博したが、2011年に大相撲八百長問題に関与したとされ引退した。現在は渡米し、アメリカ・ロサンゼルスでタレントYAMAとして活躍している。 幼い頃に両親が離婚し、父子家庭で育つ。出生時の体重は4.9kgと大きかったが、3歳くらいまでは普通の体型だったという。1999年の大宮市立馬宮中
角界“追放”の元力士が出場、米国流SUMOに現地メディアも驚き エジプト出身の大砂嵐ら、試合前に舌戦も 2024年4月13日、米ニューヨークで開催された「ワールド・チャンピオンシップ・スモー(WCS)」で、トロフィーを掲げる大砂嵐とソスラン・ガグロエフら Photo: Roy Rochlin / Getty Images 米ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで相撲の世界大会とされるスポーツイベントが開かれ、米紙「ニューヨーク・タイムズ」によると、観客はプロレスさながらのリングネームや相手選手への挑発も含む“米国流”の相撲を興味津々で楽しんだという。 同大会には、大相撲の元幕内で引退勧告の処分を受けたエジプト出身の大砂嵐や、大麻所持事件で日本相撲協会を解雇された元若ノ鵬とみられる選手も出場。それぞれ現地メディアの取材に応じている。 「礼儀正しい日本の相撲」と大違い 複数の現地メディ

昨年、日大アメフト事件をきっかけにスポーツ団体をめぐるスキャンダルが次々と噴出した。そのなかには、反社会勢力との関係が取り沙汰される内容も含まれている。ヤクザに詳しいノンフィクション作家の溝口敦氏と、フリーライターの鈴木智彦氏が、大相撲とヤクザが接点を持つ理由について語り合った。2人は、当サイトの対談で五輪とヤクザの関連について言及していた。 鈴木:五輪競技ではないけども、相撲ですね。 溝口:力士上がりのヤクザは多いですからね、昔から。 鈴木:ヤクザが自分の息子を親方に「面倒見てください」ってお願いして相撲部屋に入れるケースもある。ところが、それが続かず結局ヤクザになってしまうという(苦笑)。 溝口:相撲は江戸時代以来、興行の扱いで、ヤクザが主催して神社の境内で行なわれていた。そこからの歴史があるんです。 鈴木:昔は神社の境内で博奕をやっていて、その横で相撲の興行を開いていた。ちょうどラス

通常取組進行中には、土俵下には次の二番をとる力士が控えているが、千秋楽の最後から四番目の取組の仕切り中に、花道から最後の二番を取る力士が同時に入場し、控えに三人ずつ待機する。通常、取組に勝った力士は力水を付けるために土俵下に待機するが、これより三役は三番を取る6人のみで進行するため、最後から四番目の取組の力士は両者ともにそのまま退場する。 土俵が掃き清められた後、呼出が最初の取組の呼び上げを行う。柝の音を合図にまず東方力士3名が土俵に上がり、前に2人(左に最初の一番、右に2番目の相撲を取る力士)、後に1人(結びを取る力士)の扇の形をかたどった三角形に並んで3人揃って四股を踏む。後の二番を取る二人は控えに戻り、最初の力士はそのまま仕切に入る。次いで西方力士3名が土俵に上がり、前に1人(最初の一番を取る力士)、後に2人(左に結び、右に2番目の相撲を取る力士)の逆扇の形の並びで、3人揃って四股を
いったいなぜ、横綱日馬富士は、格下の平幕力士貴ノ岩を暴行したのだろうか。当初、単なるモンゴル人力士同士の飲み会での乱行と思われていた事件は、不可解な経緯をめぐってメディアが大騒ぎしたため、意外な様相を見せるようになった。ただ、これまでの報道を見ていると、あまりにもピント外れなことが多いので、ここで、きちんと整理しておきたい。 まず、今回の事件をきっかけに「モンゴル人力士は日本の相撲を理解していない。横綱の品格がない」などという批判がもっともピント外れである。また、「もともと日馬富士は酒癖が悪かった」などと、個人的な問題に矮小(わいしょう)化してしまうのも、事件の本質を捉えていない。さらに、殴ったのがビール瓶であるかどうかも実は本質的な問題ではない。 ただ、この事件の背景に、貴ノ岩の師匠の貴乃花親方(元横綱)と日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)との間の「確執」があったというのは的を射て

放送時間の特例 国会中継、スポーツイベントの中継、その他特別番組(報道特別番組を含む)(以下、"前番組")などのため総合テレビでの放送時間帯が短縮される場合があるが、17時台は必ず放送される[注釈 6][注釈 7]。幕内の取組の内、総合テレビで生放送できなかったものは、取組の合間にVTRで流される。 前番組が当初の編成予定時刻よりも早く終了して、大相撲中継の総合テレビ放送開始時刻を繰り上げた場合でも、編成の関係上、BSではそのまま当初予定の総合テレビ放送開始時刻まで放送が継続される(事実上、総合テレビとBSのサイマル放送となる)[注釈 8]。 やむを得ずに放送できない場合は、それぞれ次のように振り替えることもある。 総合テレビ→Eテレ(リアルタイム字幕放送およびデジタル放送における2か国語放送は通常通り実施)。ただし、近年は総合テレビのマルチチャンネル放送で対応する事例もある[注釈 9]。
日馬富士の2場所連続優勝で幕をとじた大相撲・秋場所。 賜杯を掲げ、数々の副賞を手にした日馬富士が思ったのは「これで晴れて横綱だぁ!」だったのか、それとも「この副賞の税金、どうやって払うんだよぉ」だったのか……。 そんな風に思ったのは、同じく何度も優勝を果たしたことのある一人の男の本を読んだから。第64代横綱・曙太郎『大相撲のぶっちゃけ話』がそれ! 以前、同じく宝島社から刊行された『愛甲猛 球界のぶっちゃけ話』という本を拙文にて紹介させていただいたのですが、この『ぶっちゃけ話』、知らぬ間にシリーズ化されていたことにまず驚いた。8月に『競馬番長のぶっちゃけ話 騎手仲間編』が、そして今月刊行されたばかりの『大相撲ぶっちゃけ話』……売れるんだな、ぶっちゃけ話シリーズ。みんな好きだもんなぁ、ぶっちゃけ。 というわけで本書のぶっちゃけ具合も一部のぞいてみることにしましょう。 ○貸し切りで運行される新幹

雷電 爲右エ門(為右衛門、らいでん ためえもん、1767年(明和4年)1月 - 1825年(文政8年)4月9日(旧暦2月21日))は、信濃国小県郡大石村(現・長野県東御市大石)出身の元大相撲力士。本名は関 太郎吉(せき たろうきち)。いわゆる「信州雷電」[1]。 現役生活21年、江戸本場所在籍35場所(大関在位27場所)で、通算黒星が10個、勝率.962の大相撲史上未曾有の最強力士とされている[2]。なお、本文中の日付は全て旧暦である。 1767年(明和4年)1月、信濃国小県郡大石村字金子(現・長野県東御市)にて関家の長男として誕生、幼名は太郎吉(または樽吉)とされた。幼い頃から体格に恵まれ、14~15歳の頃には既に6尺(約181センチ)に達しており、家事を手伝いながら上野国まで往復していた。 13歳の時、小諸の城下町へ出稼ぎに行き、精米所の柳田藤助の下で奉公した。そこでの仕事ぶりと怪力が
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く