こういった疑問にお答えします。 あなたは「なぜこの世界には苦しみがあるんだろう?」と考えたことはありませんか? 自分が何か悪いことをしたならまだしも、それなりに正しく生きているはずなのに苦難が絶えない。 と思わず叫びたくなるようなときもあるかもしれません。 実は聖書にも、理解できない様々な苦難にあって、神に叫び続けた男の話が書かれています。 それが”ヨブ記”です。 ヨブ記の主人公ヨブは、正しい人であるにも関わらず、一度に家族や財産、健康などを全て失いました。 では、ヨブはなぜこれほどの苦難にあわなくてはいけなかったのでしょうか? ヨブ記には、理由のわからない苦難に苦しむ現代の私たちにも通じる大切なメッセージが込められているのですが、これを知らない方も多いです。 そこでこの記事では、クリスチャンの僕が、

キリスト教における最大の謎「三位一体」はなぜ理解不能なのか? 哲学者・土橋茂樹に聞く「言葉の宗教」の複雑な歴史 父なる神、子なるイエス、聖霊の三者は本質的に同一だとするキリスト教の「三位一体」説は、その言葉自体はよく知られており、比喩などで使われることもままあるが、キリスト教の初学者にとっては理解に苦しむ部分であり、「三位一体の改革」などの比喩で使われる解釈はまったくの誤りであるという。また、たとえばある男性が会社員であり、夫であり、野球のコーチでもあるといったように、同一の人物にさまざまな顔があるのと同じであるといった解釈もまた「異端」とされてきた。 では「三位一体」とはいかなる概念であり、どのような歴史の中で確立されてきたのか。その成立過程も含めて難解なる「三位一体」という概念に、哲学者の土橋茂樹氏が正面から取り組んだ新書が、『三位一体―父・子・聖霊をめぐるキリスト教の謎』(中央公論新

こんにちは、山口むつおです。 長崎県のすごい山奥にある、とある場所から失礼いたします。 最近、隠れキリシタンをテーマにした映画『沈黙-サイレンス-』(マーティン・スコセッシ監督)が公開され、話題になっていますね。原作は遠藤周作の名作『沈黙』。じっくり記事を作っていたら、映画公開時期と偶然かぶってしまいました。決してPR記事ではありません! ここで歴史の話へ。みんな薄っすらと学校で習ったと思いますが、日本にはザビエルをはじめとした宣教師がやってきました。でも、なんで日本だったんでしょう?? ちなみに僕は、学生の時から地理や歴史といった暗記科目が大の苦手でした。 いやね、わかりますよ。暗記科目なんて何回も頑張ればそのうち覚えるっていうのは。でもねー、それ好奇心の塊である10代の青少年には酷じゃない?ただただ覚えろって言われても、こちとら「女性の体の仕組み」および「トルネコの大冒険で地下10階に

多くの皆様のお祈りを頂いた教皇選挙が終わりました。前記事でも所感を記しましたが、これまで12年間にわたり導いてくださった教皇フランシスコに別れを告げ、その直後に今度は新しい牧者としてレオ14世を選出した枢機卿団の一員として関わらせて頂いたのは、多分、生涯に一度のことであろうと思います。このような場に立ち会うことを許してくださった、いのちの与え主である神様に、感謝しかありません。また教皇フランシスコの永遠の安息のため、そして新しい教皇の誕生のため、世界の多くの方が祈りを捧げてくださいました。教皇選挙に参加した133名の枢機卿は、皆、その祈りの力を感じながら、一連の行事に臨みました。皆様に感謝いたします。 さて、教皇選挙の具体的な内容については、書き記すことはできません。システィーナ聖堂(礼拝堂)に枢機卿団が選挙のために入堂する映像が、バチカン放送がそこまでは撮影しましたので、それがいろいろな

バトーニによるマドンナ。聖母子像の一例 アヴェ・マリア(ラテン語: Ave Maria)は、ラテン語で直訳すると「こんにちは、マリア」または「おめでとう、マリア」を意味する言葉。 転じて、この一文に始まるカトリック教会の聖母マリアへの祈祷を指す。この祈りは教会によって伝えられるが、典礼行為ではなく、私的な信心業として伝わるものである。 この祈祷のための教会音楽や、祈祷文を歌詞にした音楽作品なども意味し、グレゴリオ聖歌は元より様々な楽曲が存在する。 下記祈祷文の冒頭から4行はルカによる福音書からとられる。最初の2行は、大天使ガブリエルのマリアへの受胎告知の挨拶の冒頭(ルカ1:28)であり、続く2行はエリザベツがマリアに向かって述べた挨拶の冒頭(ルカ1:42)から取られる。残りの後半は中世においてフランシスコ会の修道士の付加と言われる。 カトリック教会では、「主の祈り」と並んで最も頻繁に唱えら

2020年03月07日 私が成城に来る前にいた関口の聖マリア大聖堂の正面には、高さが実に16メートルもある大きな十字架がありました。そして、その後ろからは、薄い大理石を通して柔らかな光が差し込んできていました。 その大聖堂は東向きに建てられています。実はカトリック教会には、地形的な制約がなければ、聖堂、特にカテドラルは東側に祭壇を置く形で建てられる、という伝統があります。成城教会の祭壇は、地形的な制約からでしょうか、南側に置かれています…。古代から東は真の太陽であるキリストの方角と考えられ、東方を向いて祈るという習慣が千数百年前には既に根付いていたのです。 それで、カテドラルの大十字架は朝、特に夜明けころが一番美しく、わたしは何回も見とれたことでした。そして、いつしか思うようになりました。光は十字架の向こうから来る。それはキリストの光だ。希望の光にちがいない。その確信こそが、決して楽ではな
『宗教を「信じる」とはどういうことか』より本文の一部を公開!✑ 石川 明人 非科学的な神という存在をなぜ信じるのか。神がいるならなぜ悪があるのか。宗教は平和をもたらすのか。素朴な疑問をもとに宗教と人間の関係を解き明かす1冊『宗教を「信じる」とはどういうことか』より本文の一部を公開します。 そもそも何を信じているのか 例えばキリスト教徒たちは、具体的にはいったい何を「信じ」ているのでしょうか。この問いに対しては、とりあえずは「使徒信条」を参照すると話が早いかと思います。「使徒信条」というのは、日曜の礼拝ですべての信徒が声を揃えて唱えるものです。信徒であれば小学生でも暗唱しているくらいのもので、全文は次の通りです。 「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女(をとめ)マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを

「男と女」 牧師 藤掛順一 ・ 旧約聖書; 創世記 第2章18-25節 ・ 新約聖書; コリントの信徒への手紙一 第11章2-16節 ・ 讃美歌; 6、165、514 礼拝に関する教え 礼拝においてコリントの信徒への手紙一を読み進めていますが、本日は11章2節以下を読みます。ここからは、これまでの所とは違う事柄が語られていきます。これまでの所には、偶像礼拝の問題、それと関連して、偶像に供えられた肉を食べることについての教えが語られていました。本日の所からは、今度は、教会における礼拝の問題、それをどのように守り、整えていったらよいか、ということについて語られていくのです。そういうことを語る部分が、14章の終わりまで続いていきます。これから読んでいく部分は、教会における礼拝の問題を語っているところだ、ということをまず頭に置いておきたいのです。 それは、このことをきちんと認識しておかないと、
本多峰子「悪の問題にむかう 神学と文学における考察に関する試論」 https://core.ac.uk/download/pdf/229742825.pdf 三宅威仁「神義論の諸相」 file:///C:/Users/enkoj/Downloads/003081020001%20(1).pdf スティーヴン・T・デイヴィス編『神は悪の問題に答えられるか』 教文館 1 悪の存在 神がいるっていうんなら、赤ん坊のエイズ患者の存在を説明させてみろ。(ジョー・R・ランズデール『テキサスの懲りない面々』)児童虐待のニュースを見るたびに胸が痛みます。 ドストエフスキー『カラマゾフの兄弟』の中で、イヴァンが弟の修道僧アリョーシャに神の存在を問う場面があります。 虐待され殺される子供がいる、神が存在するなら子供への虐待をどうして許しているのか。 イヴァンは子供たちの苦しみを許す「神の創った世界を承認しな
最近発表された宗教および公共生活に関する国際ピューリサーチセンターフォーラムの調査結果によると、世界で最も支持されている宗教はキリスト教であることが改めて示された。一方で世界人口の3分の1はいかなる宗教にも関与せず生活していることも明らかになった。18日、米クリスチャンポスト(CP)が報じた。 全世界230カ国以上で調査が行われ、それぞれの国の調査対象者に信じている宗教があるか、あるとすれば何を信じているかを聞いた集計結果から、世界人口の32パーセントにあたる22億人がキリスト教を信じており、23パーセントにあたる16億人がイスラム教、15パーセントにあたる10億人がヒンドゥー教、7パーセントにあたる5億人が仏教を信じていることが示された。 一方で世界人口の6パーセントにあたる4億人がアフリカ、アジア、アメリカその他の地域に伝わる土着宗教を信じ、現在に至っても土着宗教にまつわる宗教儀式を実

知ったかぶりキリスト教入門 2017.12.20 公開 ポスト イエスの生涯を1分で解説!歴史上一番のスーパースター、イエス・キリストは実在したのか中村圭志 今年もクリスマスシーズンが到来。きれいなイルミネーションで、一年で一番街が輝きだす季節です。 クリスマスは、イエス・キリストの誕生日だといわれています。みんなで集まって「メリークリスマス!」と言って乾杯したりケーキを食べたり、プレゼントを贈り合ったりするイベントでもあります。 しかし、日本人の大多数はクリスチャンではありません。キリスト教について、イエスと聖書について、あまりよく知られていないのが現状です。 そこで、『知ったかぶりキリスト教入門』の著者で、さまざまな宗教を平易に説くことで定評のある宗教研究者の中村圭志さんが、キリスト教の最低限の知識をQ&A方式で解説。本書より、一部を抜粋してお届けいたします。 Q そもそもイエスは実
磔刑(アンドレア・マンテーニャ画、1459年) キリストの磔刑(キリストのたっけい、英語: The Crucifixion of Christ, The Crucifixion of Jesus)とは、イエスがエルサレム神殿を頂点とするユダヤ教体制を批判したため、死刑の権限のないユダヤ人の指導者たちによって、その権限のある支配者ローマ帝国へ反逆者として渡され、公開処刑である十字架に磔となって処刑されたというものである。 キリスト教の教義においては、救い主であるイエス・キリストが人類をその罪から救うために、身代わりに磔になったものとされる。 十字架刑はその残忍性のため、ローマ帝国でも反逆者のみが受け、ローマ市民権保持者は免除されていた最も重い刑罰であった。 1世紀前半、ユダヤ人の父母の下に生まれたナザレのユダヤ人イエスが、当時のユダヤ教のあり方を批判してユダヤ社会を脅かしたために排除される際
ペテロ(生年不明 - 67年頃)は新約聖書に登場するイエスの十二使徒の1人で、初代ローマ教皇とされる人物です。もとはガリラヤの漁夫で、イエスに弟子入りとともに「ペテロ(“岩”の意)」の名を与えられました。その後、小アジアやローマでの布教活動の末、ローマ皇帝ネロの迫害にあって殉教したと伝えられます。 そして聖人とされたペテロの埋められた場所には、サン=ピエトロ教会が建てられ、そこがキリスト教の中心地と考えられるようになり、いわゆる教皇領が成立したのです。このような経緯があるため、ペテロが初代教皇としての扱いを受けるようになり、ローマ教皇という地位はペテロの地位を継ぐものと位置づけられるようになりました。 ペテロが託された「天国の鍵」とは ペテロが鍵を託される場面を描いた絵画『聖ペテロへの天国の鍵の授与』/ピエトロ・ペルジーノ作 ペテロがローマ・カトリック教会から特に重要視されるのは、彼がイエ
この項目「ソドミー」は翻訳されたばかりのものです。不自然あるいは曖昧な表現などが含まれる可能性があり、このままでは読みづらいかもしれません。(原文:英語版 "Sodomy" 11:44, 12 February 2011 (UTC)) 修正、加筆に協力し、現在の表現をより自然な表現にして下さる方を求めています。ノートページや履歴も参照してください。(2011年3月) フランソワ・ロラン・エリュアンの"Le pot pourri de Loth" (1781)より「神の怒りを買うソドム人」 ソドミー(英語: Sodomy、発音: [ˈsɒdəmi])とは、「不自然」な性行動を意味する法学において使われる用語で[1]、具体的にはオーラルセックス、肛門性交など非生殖器と生殖器での性交を指す。同性間・異性間、対象が人間・動物の区別はない[2]。 この語は聖書にある堕落した都市の名「ソドム」と関連し

F・N・ウェストコットの小説『へプシー・バーク』(1915年)にみられるF・R・グルーガーの挿絵。米国聖公会牧師ドナルド・マクスウェル(左)は、シルベスター・バスコム(右)の妨害のため収入をほぼ失い、妻を養うため力仕事をする。場面はバスコムの憎まれ口に対応中のマクスウェル。 筋肉的キリスト教(きんにくてきキリストきょう、(英語: Muscular Christianity)は、19世紀中期にイギリスではじまるキリスト教の運動である。愛国的責任感、男らしさ、運動を通じた心身の美、チームワーク、規律、自己犠牲、さらに「軟弱さ、非英国的なもの、極端な知性主義の追放」によって特徴づけられる[1]。 これは、健康や男らしさへのキリスト教的介入[2]であって、信仰とともに強健な肉体と快活な生活を主義とする[3]、力強い男らしさの理想と結びついた活気ある福音主義の必要性を強調するものである[4][5][

復活祭(イースター、復活の主日)は、キリストの復活を記念する、キリスト教の最も重要な祭日です。 復活祭前の準備期間を四旬節と呼びます。古くから、復活祭に洗礼を受ける志願者の直前の準備期間と考えられてきました。また、すでに洗礼を受けた信者も、この期間をとおして節制と回心につとめ、自分の生活をふり返ります。 四旬節は「40日の期間」という意味です。40という数は、イエスが荒れ野で40日間断食をしたことに由来していて、それにならって40日の断食という習慣が生まれました。けれども実際には、復活祭の46日前の水曜日(灰の水曜日)から四旬節が始まります。それは、主日(日曜日)には断食をしない習慣だったからです。灰の水曜日に教会では、回心のしるしとして頭か額に灰をかける「灰の式」という典礼があります。 キリスト教が根付いている国では、この灰の水曜日の直前に、「カーニバル(謝肉祭)」というお祭りがあります

MARO 1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。 キリスト教ではない家に生まれ、23歳のときに洗礼を受けた「クリスチャン1世」。ツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」と「ふざけ担当」のまじめの方でもある。2015年2月からキリスト教を面白おかしく紹介しはじめたところ10万人以上のフォロワーを獲得した。 最新刊は『上馬キリスト教会ツイッター部の キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)。「ふざけ担当」LEONとの共著に『上馬キリスト教会の世界一ゆるい聖書入門』、『上馬キリスト教会ツイッター部の世界一ゆるい聖書教室』(ともに講談社)がある。 キリスト教って、面白いんです 皆様こんにちは。もしかしたら「こんばんは」かも「おはようご

みなさんは「キリスト教」を知っているだろうか? おそらく、「まったく知らない」という人はほとんどいないはずだ。しかし一方で「詳しい」と答える人も少ないのではないだろうか。 キリスト教は、西洋絵画やクラシック音楽を理解したり、歴史を学んだりするうえで欠かせない教養。 けれど、世間では「キリスト教」=「まじめ」とか「神聖なもの」というイメージが根強く、若干近寄りがたく思われている感も否めない。 ところが、そんな世間のイメージをぐるりと覆すツイッターアカウントがある。 「上馬キリスト教会」ツイッター部は「『アーメン』を現代語訳すると『それな』、関西弁訳なら『せやな』ではなく『ほんまそれ』」といった「面白いキリスト教情報」を発信し続け、いまやフォロワー数10万を超える人気アカウントだ。 その“中の人”が「キリスト教の入門書ですら敬遠してしまう、超入門者」に向けて書いたのが『上馬キリスト教会ツイッタ

リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く