フツ族ツチ族とは?ルワンダ内戦に至った歴史を解説 Photo by Hayato Togashi on Unsplash ルワンダをはじめとするアフリカに住むフツ族とツチ族。実はこの二つの民族に人種的な違いはない。だが、かつてお互いに差別意識をもち、ルワンダ内戦や虐殺などの凄惨な歴史を経験している。この記事では、同じ文化をもつ二つの民族が争いに至った理由と歴史について解説する。 ELEMINIST Editor エレミニスト編集部 日本をはじめ、世界中から厳選された最新のサステナブルな情報をエレミニスト独自の目線からお届けします。エシカル&ミニマルな暮らしと消費、サステナブルな生き方をガイドします。 1994年、アフリカのルワンダでフツ族の民兵によって、ツチ族が大量虐殺されるというアフリカの歴史上で最悪といえる事態が起きた。だが、フツ族とツチ族の間には人種的な違いはなく、宗教や言語、住んで

《10人の子の父親だったゾマホン》18歳年下のベナン人と結婚して13年…明かした家族と離れ離れの生活 「身体はベナン人だけど、心はすっかり日本人ね」 1990年代に西アフリカ・ベナン共和国から来日し、留学生として出演した討論バラエティ番組『ここがヘンだよ日本人』(TBS系)で、テリー伊藤(75)らと激論を交わしていたゾマホン・ルフィンさん(61)。真面目で一本気な性格で、「人生甘くない!」などの発言で人気を博し、バラエティー番組を中心に活躍した。 当時は独身だったゾマホンさんは、2012年に18歳年下のベナン人女性と結婚。はたして今はどんな家庭を築いているのだろうか。ブレイクから27年──現在は「国際IFE財団」で母国のために日本で働く ゾマホンさんに話を聞いた。【前後編の前編】 * * * 奥さんは今、仕事の関係でベナンに住んでる。僕は日本に住んでいるから離ればなれだけど、寂しくないよ!

今年8月に横浜で行われたアフリカ開発会議(TICAD9)が何かと話題になっているが、日本で暮らすアフリカ人は少なく、普段は話題にのぼることも少ない。そんななか、1990年代に西アフリカ・ベナン共和国から来日して討論バラエティ番組『ここがヘンだよ日本人』(TBS系)で、アフリカ人の存在感を強烈にアピールしたゾマホンさん(61)。 来日して32年、妻子をベナンに残して日本で活動している彼は現在、中央線沿線のアパートで一人暮らしをしていた。本人に話を聞くと、来年1月にベナンで行われる選挙への出馬を視野に入れていることを明かした。【前後編の後編。前編から読む】 * * * 1998年の『ここがヘンだよ日本人』に出ていた頃は中央線沿線の高円寺に住んでいたけど、2012年から2016年まで駐日ベナン大使を務めていたので、そのときは高円寺を離れました。駐日ベナン大使を辞めてから、また中央線沿線に戻ってき

アフロ・フューチャリズムとは? アフロ・フューチャリズムとは、テクノロジー、未来、宇宙と黒人文化が結びついた、アフリカ系のアーティストが表現する宇宙思想のことである。1992年に批評家、マーク・デリーによって名づけられた。定義は色々あるが、これまで西洋の視点で都合よく構築されてきたアフリカ文化を、改めて当事者である黒人系の人々のレンズを通して捉え直し、新しい未来を表現していることが特徴である。 アフロ・フューチャリズムは、黒人系のユートピア思想とも関係がある。まず、アフロ・フューチャリズムを理解するにあたって押さえておきたい概念に「アフリカン・ディアスポラ」と「ブラック・ナショナリズム」がある。アフリカン・ディアスポラ さまざまな苦難を強いられて、アフリカ系の人々が世界中に離散していく状況を指す。実際に、アフリカ系難民は現在、2,421万人いるといわれている。さらに、アフリカにルーツを持

現モザンビークに当たる地域に居住した最初の住民は狩猟採集民族でコイサン族(英語版)の先祖にあたるサン人である。1世紀から5世紀までバントゥー語群を話す部族が北からザンベジ河谷を通って移住してきて、やがて高地や沿岸部にも移住した。バントゥー語群を話す部族は主に農民と鉄工であった。また8世紀にはアラブ人が貿易を行うために現れた。 ポルトガル王国の探検家ヴァスコ・ダ・ガマが1498年にモザンビーク海岸に到着した時点で、モザンビーク沿岸部や島嶼部にあるアラブ人の貿易用の集落が既に数世紀存在しており、政治上は現地のスルターンが支配していた。アラブ人歴史家のマスウーディーは947年にはアフリカのソファの地(Sofa、現モザンビークにあたる地域で、モザンビークの名前自体もポルトガル人が到着した当時、モザンビーク地域を統治していたシャイフのムーサ・アル・ビック(英語版)に由来する)にイスラム教徒が存在する

約16万年前のアフリカに、1人の女性が住んでいた。彼女の細胞の中にあったミトコンドリアは、子供からさらにその子供へと伝えられていった。そして、彼女のミトコンドリアは、ついにすべての人類に広がった。 つまり、現在の地球上に住んでいるすべてのヒトのミトコンドリアは、彼女1人のミトコンドリアに由来するのである。 この話は魅力的なだけでなく、事実である。ミトコンドリア・イブという洒落たニックネームがつけられたこともあって、この16万年前にアフリカにいた女性は、世界的な有名人になった。そして、このミトコンドリア・イブの存在が、私たちヒト(学名はホモ・サピエンス)がアフリカ起源である証拠だと、いろいろなところで述べられるようになった。今年(2019年)出版された本にも、そんなことが書かれていた。 でも、本当に、そうだろうか。ミトコンドリア・イブと呼ばれる女性が約16万年前にアフリカにいたことはよいとし

プレスリリース 南アフリカのマラリア発生率に及ぼす気候変動の影響―エルニーニョ/ラニーニャ現象・インド洋亜熱帯ダイポール現象とマラリア発生率との関係性― 国立研究開発法人海洋研究開発機構(理事長 平 朝彦、以下「JAMSTEC」)アプリケーションラボの池田隆美特任研究員と国立大学法人長崎大学熱帯医学研究所の皆川昇教授らは、南アフリカ北東部に位置するリンポポ州におけるマラリアの発生変動と南アフリカの気候変動および世界の海域でみられる気候変動現象の関係を調べ、熱帯太平洋や南インド洋の気候変動によりもたらされる南アフリカの降水量や気温の変動が、その数ヶ月後に生じるマラリアの発生率に影響を及ぼす可能性があることを示しました。 南部アフリカでは、マラリアや肺炎などの感染症の流行が人々の健康を脅かしています。特にリンポポ州は、毎年雨期(9月~翌5月)に多くマラリアが発生する地域として知られています。し

1年間にわたった改修工事では外国との交易を歓迎する看板を取り壊し、この地域の生命線だった野外市場を禁止。道路を拡張し舗装し直したほか、警察を重点的に配置した。 「美化」は広州の未開発地域の刷新を図る政策の一環として行われたものだ。だが、これだけ狭い地域に警察を大規模投入したのは同市では他に前例がない。 外国人向けのサービスを提供する施設では8人の警官が同時に配置されたほか、300メートルの目抜き通りに複数の交番を置くなどの措置も取られた。日中いかなる場所でも警察がアフリカ出身者の旅券をチェックしているという。 この改修があって以来、アフリカ出身者の多くはリトルアフリカを去った。かつて活況を呈していた通りは今、人影もまばらだ。

(CNN) アフリカ各国の出身者は広州での「大使」を国ごとに投票で選出している。中国警察との折衝や外国人社会内部の争いの調停にあたるほか、コミュニティーの人数も記録している。移民は広州に着くとコミュニティーの指導者に非公式に申告し、支援を仰ぐのが普通だ。 前回「色あせるチャイニーズ・ドリーム<1> 中国を離れるアフリカ出身者」はこちら コンゴ出身の「外交官」フェリー・ムワンバさんによれば、2006年にリトルアフリカに住んでいたコンゴ人は1200人。この人数は今日、500人にまで減少したとみている。他国の「大使」も同様の減少を報告している。 広州の中でも特に人数が多いのがナイジェリア人だ。そのコミュニティーの大使を務めるエマニュエル・オジュクさんは「クリスマスに大勢が帰国してしまい、戻ってこない」と話す。 多くの人は移動を重ねながら商売を行っているため、広州におけるアフリカ出身者の数を正確に

(CNN) 中国南部の広東省広州市に「リトルアフリカ」と呼ばれる地域がある。「チョコレートシティー」とも呼ばれ、アフリカからの移民が集まっていた。だが近年、「チャイニーズ・ドリーム」を諦め中国を離れるアフリカ出身者が増加している。 広州の小北路ではつい2年前まで、買い物袋を頭に乗せて運ぶアンゴラ人女性や、長いローブに身を包みながら両替商を営むソマリア人男性、通りに面したレストランでヒツジをさばくウイグルからの飲食業者など、中国の他の地域とは異質な光景が広がっていた。 広州中心部にある登封には、中国内陸部だけでなくアフリカからも移民が殺到。サハラ砂漠以南から広州に移住してきたアフリカ出身者は2012年までに10万人に達したとの調査もある。この数字が本当なら、アジア最大級のアフリカ出身者によるコミュニティーだったということになる。いずれも中国で成功する夢を追いかけてきた人々だが、この夢は現在、

皆さん、「カカオ」「象牙の奇跡」「西アフリカのニューヨーク」と聞いて、どの国を連想されますか? あるいは、サッカーファンの方でしたら、「アフリカ屈指のサッカー強豪国」「2014年ワールドカップ」「ドログバ」の方がピンとくるでしょうか? 正解は、コートジボワール共和国(以後、コートジボワール)です。2014年のサッカーワールドカップで日本に勝利したのを記憶されている方も多いかと思いますが、農業大国であるコートジボワールは、カカオ豆やカシューナッツでは世界最大の生産量を誇り、食品加工や電力・エネルギーなどのさまざまな産業が発達していて「西アフリカの優等生」とも呼ばれています。 私が駐在する都市アビジャンは、コートジボワールの旧首都で、法律上の首都であるヤムスクロに代わり現在も実質的に首都機能を担っており、政治・経済の中心地です。在留邦人(約150人)のほとんどはアビジャンに住んでいます。 20
目次 西アフリカのマンハッタン!?首都アビジャンってどんなところ? アビジャンの金融街、プラトー 首都から車でアクセス可!沈没の危機にある避暑地グラン・ラウ 悲しい歴史をもつチンパンジー、ポンソ フランス人の避暑地、サンペドロのおしゃれな漁船と猿の旅 まとめアフリカのマンハッタン!?首都アビジャンってどんなところ? コートジボワールは西アフリカのギニア湾に面する共和国。カカオの生産地として有名なほか、2014年のワールドカップで日本と対戦し一躍有名になったドログバ選手をご存知の方もいるかもしれません。フランスからは日に数本直行便が飛んでおり、欧州からバカンスに訪れる観光客が多くいます。 1980年代までは、年間の平均経済成長率8%を達成し「アフリカの優等生」と呼ばれるほどの経済発展を経験したため、中心街には高層ビルが立ち並び、道路の舗装や路線バスなどの公共交通機関、比較的安定した電力供給

この項目では、アフリカ中西部の地域について説明しています。 イラン出身の日本のタレントについては「サヘル・ローズ」をご覧ください。 ブルキナファソの地方については「サヘル地方」をご覧ください。 チュニジアの東海岸のサヘル地方については「サヘル地方 (チュニジア)」をご覧ください。 チュニジアのサヘル地方を本拠地とするサッカークラブについては「エトワール・サヘル」をご覧ください。 サヘル(英: Sahel)とはサハラ砂漠南縁部に広がる半乾燥地域である。主に西アフリカについて用いられるが、場合によりスーダンやアフリカの角の諸地域を含める事もある。語源はアラビア語のساحل(sāhil、岸辺の意)。 サヘル諸国のことをサハラ南縁諸国ともいう。《Sahel strip》アフリカ、サハラ砂漠南縁に沿って東西に広がる帯状の地域。もとは草原地帯だったが、砂漠化が進んでいる。サヘル地域。 サヘル地域は北の
HOME社会マスコミただ今、英語勉強中の「週刊新潮」の憂鬱――BBCの名を借りて幸福の科学を「カルト」扱いする作戦が完全に裏目 26日発売の「週刊新潮」が、「BBCもカルトと報じた幸福の科学『大川隆法』アフリカ説法」と題する記事を掲載した。同誌は昨年以来、中傷記事を書いては、その度に幸福の科学側から逐一論破される状況が続いている。今回は、焦る同誌編集部が、BBCという海外大手メディアの「威を借る」作戦に出た格好だが、結果的に、完全に裏目に出ている。 週刊新潮の捏造体質については「ザ・リバティ」本誌や本欄でも再三指摘してきたが、実は、今回の中傷記事のもとになったBBCの記事自体が大きな事実誤認を含んでいる。まずは、そのBBCの記事から見てみよう。 BBCの記事は、大川隆法・幸福の科学グループ総裁が6月23日(現地時間)に英語による大講演会を行った、ウガンダの首都カンパラのナショナルスタジアム

先生は生徒に答えた。 「犯罪も暴力も取り締まるな! 彼らは将来必ず君の役に立つ存在になる」 「余分の金は燃やせ! 国民には最低限必要なものを配給するんだ」 先生はフィデル・カストロ、生徒はウーゴ・チャべスである。そしてベネズエラは、刑務所の囚人が戒厳令を出す唯一無二の犯罪国家に成長した。 焼結を極める猟奇犯罪 2014年~16年にかけては、銀行強盗、商店の略奪は日常茶飯事となった。学校、大学、映画館、病院、海辺、バス、タクシーの中、あらゆる場所で人々は盗み盗まれ、殺し殺された。その頃私が住んでいたのは、熱海を思わせる景勝地だったが、残念なことに犯罪に汚されてしまった。 家の前は優雅な海水浴場だった。ある日、海水浴客にパラソルを貸し出している顔見知りの中年の男の7歳の子供が4人組に誘拐された。数日の捜索のあと、森林で遺体が発見された。その後、容疑者二人(30歳と26歳)が見つかり、彼らは拘置

大統領は聴衆に向かって言った。「家に食べ物がなければ、盗むほかない」。こうしてモラルを失ったチャべスの子供たちが生まれた。15歳~30歳の若い犯罪者たちは日々殺し、殺されている。けれどもかつては南米一治安の良かったベネズエラ国内を、なぜ、意図的に犯罪で沸騰させたのだろうか? では、筆者とその周辺を襲った犯罪の実態に迫る。 ベネズエラの洗礼―おれはベネズエラのマフィアだ! 6年間のベネズエラ滞在で犯罪に見舞われたのは3回だった。駐在して1カ月もたたないうちに、まずは車上荒らしにあった。スーパーマーケットの駐車場にコンピュータ制御の車を駐車しておいた。アパートに着いて車を降りるときに気がついた。バックやナップサックがない。PC、デジカメ、ウォークマン、電子辞書、名刺、ノート、メモ書き、すべてごっそりとやられた。 フィリピン人の同僚はなお悪い。パスポートも入っていた。ドアの鍵は電子制御されている

若手研究者たちが、学問をつきつめる「おもしろさ」を伝えるリレー連載、「ガクモンのめ」。 第12回は、「サハラ砂漠」の歴史を研究している天野佑紀さん。砂の中に埋もれた国境から、歴史学が無意識に作っていた枠組みを問い直します。 天野佑紀さん(フランス社会科学高等研究院 博士課程所属) 「何を研究されているのですか?」「ご専門は何ですか?」。学問の世界にいれば名刺代わりに飛んでくるこの手の問いかけに対して、最近のわたしはもっぱら、「サハラ中部の歴史です」と答えるようにしている。アフリカ大陸の北方に鎮座するサハラ(もとになっているアラビア語の「サフラー[Ṣaḥrā’]」は砂漠一般を意味することもあるが、ここでは日本語で慣習的に使われるところの「サハラ砂漠」を指す)の名はそれなりに有名だろうが、サハラ「の」歴史とは一体どうしたことだろう、と思われる読者――多少なりとも歴史に詳しい方であっても――が殆

サバクトビバッタ(砂漠飛蝗、学名:Schistocerca gregaria、英名: Desert locust)は、バッタ科のバッタ。サバクワタリバッタ[1]、サバクバッタ[2]、エジプトツチイナゴ[3]とも。サバクトビバッタは大規模な蝗害(こうがい、野生植物や農作物が喰い荒らされる災害)を引き起こす、世界を代表するワタリバッタ(別称: トビバッタ、locust)の1種として知られている[注 2]。 ワタリバッタとは、バッタの中でも特に何らかの理由で群れを成して相変異を起こし、広域に飛翔する[注 3]。サバクトビバッタが孤独相から群生相に相変異すると、黄色に黒色が混じった体色に変化し、体長と比して翅が長くなる[7]。 その名の通り、砂漠および半砂漠地帯に生息しており、地理的にはサハラ砂漠に位置する西アフリカから中東、東南アジアにかけて確認されている[8]。通常時は世界30か国ほど、また大

ゾウは、アジアゾウ属のアジアゾウ(Elephas maximus)、アフリカゾウ属のアフリカサバンナゾウ(Loxodonta africana)およびマルミミゾウ(アフリカシンリンゾウLoxodonta cyclotis)の3種に分類されています。アフリカのゾウについては最近まで2種に分けるべきかどうかの論争が続いていました。 アジアゾウは、最大級のオスで体重5,400kg、肩高(肩までの高さ)3.2mに達します。メスは体重3,300kg、肩高2.6mです。アフリカサバンナゾウのオスは最大級のもので体重6,000kg、肩高3.9m、メスは体重4,150kg、肩高2.5mです。マルミミゾウは、一般にサバンナゾウよりも体が小さいです。 アジアゾウの背中は凸型に盛り上がり、後ろ脚の方へ向かってすとんと下がっていますが、サバンナゾウの背は、鞍をのせるやすそうな凹型になっています。マルミミゾウは、ア
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く