使われない記憶は優先して脳から消えていくと言われている。 だから若かりし頃の楽しかった思い出であっても、人に話したり思い出す必要のない記憶は、気づけば曖昧になりがちだ。しかし、楽しかった記憶であるが故に、記憶喚起の情報が提示されれば、突如として克明に蘇ることもある。 手前味噌ながら、当方が数カ月前にnoteで無料公開した「ソフマップがレンタルパソコンソフト屋だった頃の話」は、恐ろしく記憶喚起に最適だったのか、当時レンタルパソコンソフト屋を愛用していた多数の方々が、記事の無料公開を伝えた投稿のコメント欄で「レンタルパソコンソフト屋での思い出話」を語ってくださった。 【無料note公開】noteにて「ソフマップがレンタルソフト屋だった頃の話」を無料公開しました 内容は「ソフマップがコピーツールを開発/販売していた時の事」「ソフマップがレンタルソフト屋だった頃」を深堀りしたものとなります こち

[インタビュー]発売から29年。鬼才・飯野賢治が作った「エネミー・ゼロ」の壮絶な制作現場や裏話を上田文人ら元WARPメンバーが語る ライター:たっつー カメラマン:中村ユタカ 1996年に発売された「エネミー・ゼロ」は,“敵が見えない”“音だけを頼りに敵を倒す”という斬新なシステムや,後に「エネミー・ゼロ事件」と呼ばれるプラットフォーム変更などでゲーム史に強烈なインパクトを残した。 同作を作った鬼才・飯野賢治氏率いる当時のWARP(ワープ。現・フロムイエロートゥオレンジ)には,「ICO」や「ワンダと巨像」を手掛けた上田文人氏も在籍。今回,「飯野賢治生誕55周年企画」の一環として「エネミー・ゼロ」のレコードが発売されることを記念し,上田氏を含む元WARPメンバーが集い,制作の裏側や思い出を語った。 商品名:KENJI ENO 55: ENEMY ZERO Original Soundtrac
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東京国立近代美術館の企画展「コレクションを中心とした特集 記録をひらく 記憶をつむぐ」に行ってきた。 満州建国前後から戦中の記録と宣伝、そして終戦後の振り返りまで、第二次世界大戦に関して主に絵画が担った役割を展示でたどっている。 初めは「満朝旅の栞」のような観光案内や、満州国における五族協和のアピールなど一見明るい話題が続くが、戦況が悪化するにつれて写真週報の紙質も悪くなり、戦死者も神格化されていき、ついには「お父さんお母さん、ぼくも空へやってください」と子供を特攻に誘うような特集まで組まれていく。なんだか最近流行りの、進むにつれて怖くなる展覧会風ホラーみたいだが、こちらはフィクションではないのである。 その中でメディアのプロパガンダを担った双璧として挙げられている一つが朝日新聞社で、もう一つが『キング』、『講談社の絵本』、戦後の『少年マガジン』を刊行した講談社なのだが、どうも世間では後者

いまとは大違いだった「空気感」昭和の前半は、日本ではプロ野球の地位が低かった。 昭和11年(1936年)に日本の職業野球連盟が始まるが、そのころ圧倒的人気があったのは東京六大学野球であった。 職業野球(プロ野球)はそんなに人気があったわけではない、というのは、作家の吉行淳之介がエッセイに書いていた。 吉行は、六大学野球で立教大学の景浦将を見て彼のファンになり、彼が大学を中退して入った大阪タイガースの試合をときどき見に行っていたと回想する。 東京で職業野球の試合が開催されていたのが、上井草の球場と、洲崎の球場だったというから、かなりの場末で興行していたイメージが強い。神宮球場で行われていた大学野球とは大違いである。 洲崎というのは、昭和初年のころは、政府公認の遊郭地域である。 東京の公許遊郭は、まず一番に吉原、そして明治二十年代に帝国大学校舎が新設されるにつき根津にあった遊郭が深川の洲崎に移
1990年代から2000年代にかけて、「美少女ゲーム」というジャンルはオタク文化において「ひとつの時代」を築いていた。青春であり、奇跡であり、芸術であり、人生だった。 魅力的な美少女キャラクター、泣けるストーリーは多くのユーザーを夢中にさせ、「泣きゲー」というジャンルが社会現象になるほど。メディアミックスも盛んに行われ、「18禁ゲーム」の枠を飛び越えて熱狂が広がっていった。 そのムーブメントの中心を担っていた存在として美少女ゲームブランドの「Leaf」、そして「Key」の名をあげて、異論のある方はいないだろう。 (画像はLeaf公式サイト、Key公式サイトより)両ブランドは、熱狂的なユーザーの中では「葉鍵」と呼ばれ、コミケでも「Leaf&Key」がいちジャンルとして取り扱われた歴史がある。 『ToHeart』、『WHITE ALBUM』、『うたわれるもの』 『Kanon』、『AIR』、『C

名実ともに、百貨店が小売業の王様だった戦前、大陸に広がる巨大百貨店チェーン「三中井(みなかい)百貨店」があった。 1905年に朝鮮の大邱に1号店を構え、並み居る競合を抑えて急成長。朝鮮に12店舗、満州に3店舗、そして中国に3店舗を構えた。 日本では百貨店のチェーン店すら珍しかった時代だ。 1929年「三中井呉服店案内」より。実際にはすでに百貨店だった(京都府立京都学・歴彩館所蔵「京の記憶アーカイブ」より) 働く従業員数は約1万人とも語られる。年間売上高は最盛期で1億円、現在の5,000億円ほどあったといい、当時の三越をも圧倒する規模だった。 しかし終戦とともに、その存在はこつ然と消えてしまった。幻の巨大百貨店だ。 支店の一つだった釜山店(国際日本文化研究センターより) 三中井は「近江商人」の発祥地の一つ、滋賀県の五個荘(現在の東近江市)の商人たちの英知が結集したという。 この「近江商人」を

※この記事は9月18日に更新しました。マガジンとしては「8月分の記事」のところ、更新が遅れてしまっており、大変申し訳ございません。 概要現在「ヤンジャンアプリ」で配信中の『愛と誠』について。 毎回、最後にこういうページが表示されるのですが、 これは嘘で、実際には「不適切と思われる用語や表現」を差し替えたものが使用されています。 たとえば、第46話の3ページ目には、こういう変遷があって……。 ヤンジャンアプリの電子版は「発表当時の表現」ではなく、1995年版を受け継いだものみたいです。 ほかの例を挙げると、第90話の会話シーンはこんな感じ。 これも、ヤンジャンアプリでは1995年版と同じ台詞でした。 その他、確認した範囲では、電子版の台詞はどれも1995年版と同じでした。 変更自体の是非はともかく、少なからず表現を変えているのに「基本的に発表当時の表現を使用」としているのは、良くないと思いま

Transformers 40th Anniversary Special Movie どうがをみるときは、へやをあかるくして、めをちかづけすぎないようにしてみてね。 詳しくはこちら https://www.youtube.com/c/takaratomychannel/aboutトランスフォーマー40周年記念 スペシャルムービー音楽 BUMP OF CHICKEN 「メーデー」 作詞・作曲:藤原 基央 編曲:BUMP OF CHICKEN&MOR TOY'S FACTORYトランスフォーマー40周年という大きな節目を迎え、BUMP OF CHICKEN × TRIGGER × タカラトミーの共同企画により、第一世代から現在まで広く支持を受け続けているトランスフォーマーの世界を特別映像で展開いたします。2007年リリースにされ、ファンのみならずとも根強い人気を誇る楽曲「

新約聖書の黙示録に登場する7つの頭を持った竜。19世紀のフレスコ画。(PHOTOGRAPH BY NPL - DEA PICTURE LIBRARY/W. BUSS, BRIDGEMAN IMAGES) 竜は、地球上のほぼすべての文化に存在し、昔から様々な大陸の民話、文学、芸術に登場してきた。鋭い爪に硬い鱗、尖った歯といった恐ろしい特徴をあわせ持つ竜は、人間の最も原始的な恐怖心から生まれ、現実世界で直面する危険について互いに警告するために用いられたと、研究者たちは考えている。 しかし現代になっても、竜はなぜこれほどまでに人々の想像力をかきたててやまないのだろうか。その秘密を解くカギとなりそうな6つの壮大な神話を紹介しよう。 ングウィ――世界最古の竜伝説 ヘビのような神ングウィは、様々な神話に影響を与えた。この16世紀の絵画に描かれているミズガルズの大蛇ヨルムンガンド伝説(北欧神話)もその一
事例作成日 2020年06月30日 登録日時 2021/10/13 15:42 更新日時 2021/10/13 15:47 諸説あるようです。 江戸時代、将軍に謁見できない「御目見(おめみえ)以下」である御家人のことをからかって、 旗本の子が「以下」と言ったことに対して、御家人の子が「タコ」と言い返したことからきた、 という説などが確認できました。 1 「以下」に対して「タコ」と言い返したことからきたという説について 下記(1)の図書に詳しく書かれていました。 「タコ」と言い返した話の出典は(2)のようです。 また(4)にも類似したエピソードが載っています。 (1)『知って合点江戸ことば 文春新書』 大野敏明/著 文藝春秋 2000.12 p.32~35 似ていなくても「タコ」 「旗本の子どもたちは御家人の子どもたちをからかって「以下」という。」 「御家人の子どもたちも」(中略)「旗本の子

「ライトノベルに少女小説は含まれないのか?」という議論を見かけたのですが、ここでいう「少女小説」がちょっと気になりました。 「少女小説」は、"少女向けの小説"と理解されていると思うのですが、"少女向けの小説"は2000年代ぐらいから「少女向けライトノベル」と呼称されることが多く、若い読者には「少女小説」という呼称が通用しないなんて話も耳にします。「少女小説」を今風に「少女向けライトノベル」と言い換えると「ライトノベルに少女向けライトノベルは含まれないのか?」という話になってしまって命題として成立しません。 まあ、「少女小説」という呼称が用いられたのは主に戦前と1980年代〜1990年代なので、ここでいう「少女小説」はその1980年代〜1990年代のイメージ、つまり、氷室冴子や久美沙織が活躍した時代のコバルト文庫や花井愛子や折原みとに代表されるティーンズハートのイメージだと思うのですが、10

1994年5月1日、イタリア・イモラサーキットで行われたF1サンマリノGP決勝。 レース中のクラッシュ事故で、不世出のF1ドライバー、アイルトン・セナ(享年34)が命を落とした。 イモラサーキットにあるセナの銅像(2003年撮影) この記事の画像(28枚) 【アイルトン・セナ 「音速の記憶」はこちら】 世界中が悲しみに包まれたあの日から30年。貴重な写真の数々と共に、彼の人生と知られざる真実が、今ここに浮かび上がる。 語り手は、日本が誇るF1フォトグラファー、金子博氏。F3時代からセナの姿をつぶさに追い続けたレジェンドだ。 日本のF1ブームの立役者だった 速さと強さの根底にあったものとは?人間・セナの魅力と苦悩とは?各時代を切り取った珠玉のフォトグラフをもとに、金子氏が語り尽くす。 第一印象は“生意気なガキ” 「ほとんどの場面が記憶にあるから、思い出がよみがえってきちゃって、写真の整理が進

アイルトン・セナが、F1サンマリノGPでの事故で命を落としてから30年たった今でも、彼はF1で愛され続けている。そして、彼の死亡事故はスポーツの形を変えた。 34歳だったアイルトン・セナは、1994年5月1日、イモラでトップを走っていたが、タンブレロのカーブでコースアウトし、コンクリートの壁に激突。この週末で2人目の死者となった。 それ以来、F1で事故死したドライバーは、2015年の日本GPでのジュール・ビアンキただ一人だけだ。 2013年に公開された映画『1:Life on the Limit(伝説のレーサーたち 命をかけた戦い)』の中で、イギリス人ジャーナリストのモーリス・ハミルトンはセナの死について「モータースポーツのことはよく知らないが、セナが誰であるかは知っていて、誰が犯人なのかを知りたがっていた何百万人もの人々のリビングルームに放送された」と述べた。 セナの死に関する調査では、

明治維新が素晴らしいものであるとの“常識”に疑義を呈したのは『明治維新という過ち』の著者で作家の原田伊織氏だ。氏は明治維新がその後の軍部の台頭を招き、また「官軍史観」が現代社会を歪めていると指摘する。 * * * 明治維新は、その後の日本の不幸な歴史に直結する。「維新の精神的支柱」とされる吉田松陰ほどウソにまみれた人物はいない。その実態は乱暴者の多い長州人の中でもとりわけ過激な若者の一人に過ぎなかった。 長州の下級藩士出身の松陰が「維新の志士」を育てたとされる松下村塾は、叔父の玉木文之進が主宰していたものであり、松陰は一時的に塾を借りただけだ。しかも何かを講義したのではなく、仲間内で集まって盛り上がるだけの場だった。 松陰がひたすら唱えたのは「暗殺」と「天誅」である。彼は老中間部詮勝や大老井伊直弼の暗殺を主張し、武力による幕府転覆を訴えて、藩に対して大砲など武器の支給を願い出たほどである。

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去年10月7日にパレスチナのイスラム組織ハマスがイスラエルに大規模な襲撃を仕掛け、これに対してイスラエルがハマスの壊滅と人質の奪還を掲げてガザ地区への大規模な攻撃を始めてから1年。 ガザ地区は壊滅状態になり、死者は少なくとも4万1000人に上っていますが、激しい攻撃はいまも続いています。 さらに、イスラエルはハマスを支持する勢力を排除しようと隣国レバノンへの侵攻にも踏み切り、また長年対立してきたイランとの攻撃の応酬も繰り返して、中東全体が戦火に包まれる懸念が高まっています。 そもそも「世界で最も解決が困難」といわれてきたパレスチナ問題とは何なのか。 なぜイスラエルとパレスチナは凄惨な対立の歴史を繰り返してきたのか。 かつてエルサレムにも駐在し、この問題を取材し続けてきた鴨志田郷解説委員が分かりやすく解説します。 ※この記事はNHKのWEBサイト「大学生とつくる就活応援ニュースゼミ」の中で2

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