☆本日のつぶやき ツイッター小説連載☆ というわけで一晩あけてジャストアイディアの熱を冷まし、冷静に考えてみた。 間違いないのは、〆切荒野において連載モノほど完成しやすいということだ。 書き下ろしの完成度に比べ、連載の功罪はさまざまに語られるが、しかし実際、書き終わるし本は出る。とにかく何かがどうにかなる。 初稿であろうが否応なく世間に露出させられ、停滞も進行もあらわとなる連載のプレッシャーは侮れない。それは恐るべき勢いで書き手のみならず関係者全員を、「書かねばならない」状況へと追い込む。そういう状況で書けなくなったときは、もう本当に書けないときだ。 逆に言えば連載は、カラカラになった作家から最後の一滴まで搾り取る恐るべき手段なのだ。 一方で、少し書き、少し発表し、少し休む、という連載労働には、中毒的・殺人的な持続効果がある。まさに「万里の長城は少しずつ作ってみせた」という格言通りに。(当
撮影/堀 清英 「自分の中の欲求に素直に。でも、口で『できる』だけじゃダメ」 今をときめく人気作家だ。ライトノベルから時代小説まで幅広く手がけ、中でも『天地明察』は映画化に至り、現在公開中。作風も多彩だが、そのアルバイト歴も驚くほど多彩なのだ。小説書いてゲーム作って、マンガとアニメの原作も 「大学時代、当時“若者の活字離れ”が話題で、それを見極めたくて、とにかくいろいろやったんです」 実に風変りな理由だが、そこに興味を抱いたのは、作家を志していたから。高校卒業時、すでに作家デビューを飾っていた。まず狙いを定めたのがTVゲーム業界。 「1週間2万円の給料で、ゲーム会社に泊まり込んで働きました。あらゆるジャンルの企画書を1週間で25枚は書きましたね。2カ月目に『派遣社員にしてやる』と言われて某社に行ったら、もっとひどい労働環境だった。当時は120億円かけた失敗ゲームを作っていて、朝
「天地明察」で吉川英治文学新人賞・本屋大賞、「マルドゥック・スクランブル」で日本SF大賞を受賞した作家・冲方丁(うぶかた・とう)に新たな経歴が加わった。東日本大震災が起きたその時、福島市の自宅にいた「被災者」という肩書きだ。 冲方氏は、被災直後に北海道へと避難したものの、福島から離れて約1年経った今も、震災への「怒り」が収まらないという。そして、その「怒り」のために、あえて被災したことについて「書く」ことを止めた冲方氏が、作家ではなく被災者としてのノンフィクション・ストーリーを明かしてくれた。 ・東日本大震災 3.11 特集 http://ch.nicovideo.jp/channel/311 (聞き手:大住有) ■被災した直後は、容器が無くゴミ袋に水を入れて運んだ ――東日本大震災が起きた時、福島市の自宅にいたとのことですが、その直後の様子はいかがでしたか? 電気は来ていたんですよ。でも

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非常な幸運だった。私は仮眠中に震度7の地震に遭い、目が覚めた。完全に無防備だったことへの恐怖が今も体の底でわだかまっている。家具がめちゃくちゃになってしまったが、家そのものの倒壊はなかった。家内とともに駆けつけた幼稚園も無事で、けが人はなく、四歳の長男をすぐに連れ帰ることができた。その後、テレビのリアルタイム中継で、津波のすさまじさを目の当たりにした。我が家から車で一時間の所にある街の惨状に言葉を失った。さらには福島原子力発電所の建屋が爆発する映像を見て、咄嗟(とっさ)に何も考えられない、感情が麻痺(まひ)するほどの衝撃を味わった。一昨年、とある近未来を描いたシリーズ小説で、「日本が滅んだ理由は、戦争や経済衰退ではなく、津波で原子炉が破損したせいだ」と書いた。ありそうでない架空のアイディアとして考え出したものだが、その可能性があったことを、こうして思い知らされるとは想像もしていなかった。
長らくHP→日記→ブログと告知や試文の場を設け、また冲方サミットを開催するつどネットにコンテンツ発表の場を頂くなどして参りました。 しかしいつしかツールが分散し、サミット公式関連だけで数サイトもあるなど大変煩雑になってしまったため、今後下記にて告知等をまとめることとなりました。
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