ニュージーランドに来てから2ヶ月以上が経つけれど、この間にテレビで2回ほど日本語からの借用語を聞いたことがある。 ひとつは、「ワザーリ」。もうひとつは、「ミズーナ」である。前者はwazaariで、後者はmizunaと綴るのだろうか。音で聞いたからはっきりしない。 ワザーリは、もちろんアテネオリンピックの柔道の放映の際に、他の柔道用語といっしょに何度か聞いた。 ワザーリは、いわゆる借用語といわれるもので、イギリス語でいえば、borrowingといって、語彙をつくるときの常套手段のひとつだ。前に書いたように、イギリス語の場合、語彙をつくるときのパターンとしては、大雑把にいって8つくらいある。 ところで、「言語の中で意味をあらわす最小単位」のことを専門用語で「モーフィーム」(morpheme)というのだけれど、この「意味をあわらす最小単位」のモーフィームで考えた場合、ワザーリはどうなるかといえば

空から星々が舞い降りて来るかの様な、いや、違うな。 空から堕天使が彷徨いながら墜ちて来る様な、美しいメロディなのですが、それを逐一、日本語に置き換えようとすると、とっても難しいのです。 作者である デヴィッド・ボウイ / David Bowie の産まれ育った環境や、この楽曲が発表された当時の最先端の言葉がちりばめられているのですから。 "All The Young Dudes" (lyrics is here) from the album "All The Young Dudes" by Mott The Hoople

すばらしいアルバムは終わり方も印象深い。名作を作るには、リスナーを興奮させ、高揚感を残して終わるような力強い締めくくりの一節が必要だ。これから挙げる、時代を超えた24枚の名作が証明するように……。 ザ・スミス『ザ・クイーン・イズ・デッド』 “Some Girls Are Bigger Than Others” 「枕を送ってくれ/夢見る時に君が使ってる枕を/そうしたら俺のも送るよ」 – Send me the pillow/ The one that you dream on/ And I’ll send you mine モリッシーの曲のタイトルの中でもかなり衒いのない“Some Girls Are Bigger Than Others”というタイトルが、ジョニー・マーの巧みでキラキラしたリフに泥を塗ったとしたら、モリッシーはこの曲のメランコリックでロマンティックな最後の一文で、いくらか間

人間の心の中には生まれつきある音楽が流れていてそれに似た曲を人は好きになるんだとか。「自分の曲」は何だろうといつも考えながら歌詞を和訳しています。 I have heard that every one of us has a specialmusic running deep inside our soul and whatevermusic we love in our lives has something in common withit. I always translate English lyrics intoJapanese, wondering what mymusic sounds like. この歌詞には「You used to say I won't know a wind untilit crossed me」という箇所があります。仮に私が考えている通
イ・ヒョリ、『Familiy Outing』等、日本ではコアなファンしか知られていない韓国セレブを紹介します。 視聴率が好調だったMBC『内助の女王』の後番組は、MBCが2年位前から 社運をかけ、企画した『善徳女王』です。 (韓国ドラマ史上初めて新羅を再現し、5000年韓国の歴史上、 初の女王である新羅第27代“善徳女王”の物語を描くドラマ、すっかり、女王シリーズです) 元々、このドラマは『宮廷女官チャングムの誓い』『JSA』『親切なクムジャさん』等の イ・ヨンエと『砂時計』に出ていたコ・ヒョンジョンとのどちらかが、 主役になるという事で、進めていたらしいのですが、 その内、イ・ヨンエが辞退、コ・ヒョンジョンも準主役となり、 最終的にはCM等で活躍しているイ・ヨウォンが主役となりました。 (前述の2名の大女優に比べて10歳位若い女優さんです。) 個人的には、どうしても『レッドクリフ』、『H
昨日、自転車の鍵が壊れ、そもそも元々ライトやらブレーキやら何やかやが壊れていたので、そのまま破棄いたしました。 しかし随分乗ったな、あの自転車。 東京に来てから三年。 毎日乗りました。 走行距離どのくらいだろ? お台場まで行ったのはいい思い出です。 深夜に自転車で滑走しました。 新しい自転車は、慣れていないので乗り心地が悪いですが、なんとか馴染めたらいいな。 何か長年使っていたものを捨てるというのはいつもすごく勇気がいる。 もっとも古い記憶から手繰れば、小学生のときに、僕が生まれたときから飼っていた金魚を川に逃がしたことがあった。 いつも家の二階に聞こえていた水槽のポンプの音が聞こえなくなった夜のことを思い出すと、いまでも切なくなる。 次は友人との別れか。 小学5年生・6年生のときに毎日遊んでいた友人が僕も含めて5人いた。 何も言わなくても学校に行ったら誰かいて、毎日卓球とサッカーをしてい

歌詞Got up on the wrong side of life today yeah Crashed the car and I'mgonna be really late My phone doesn't work causeit's out of range Looks likeit'sjust one of those kind of days You can't kick me down I'm already on the ground No you can't cause you couldn't catch me anyhowBlue skies but the sun isn't coming out no Todayit's like I'm under a heavy cloud And I feel so alive I can't help my

■ 1981年YMO/BGMに収録されている「Music Plans」。 邦題は「音楽の計画」。 この曲をdeweyでやることになった。 前回の、ver2.0初スタジオにおいて、 軽く演奏してみたが、手応えはかなりあった。 筆者がテクノ人になった黎明期 (1981年、実際には1982年頃か)においては、 この「音楽の計画」は極めて代表的な一曲にあげられる。 この曲には非常に深い思い入れがある。 YMOのBGMというアルバムは全曲において 筆者は非常に強い影響を受けている。 筆者の音楽バックボーンはBGMとテクノデリックで出来ている。 と言っても過言ではない。 中でも「音楽の計画」については当時の筆者にとって 稀有な音楽制作のエッセンスを吸収できた名曲である。 特に、TR808と生ドラムとのコラボレーション (これはBGM全編を通して言えるが)、 16分音符で細分化されたベース、 所謂教授の

STYX / MR.ROBOTO Written by Dennis DeYoung 「Kilroy Was Here」とは第二次世界大戦で使われたフレーズだ。アメリカ軍が行く先々で使った意味不明の言葉だった。何とこのフレーズがどういった過程で、どのように広まっていったかが判明したのは戦後になってからだった・・・・。 ジェームス・キルロイは造船所で働く46歳になる非戦闘員。彼は戦争時、製造過程の軍艦の鉄板部分に打ち付けられたリヴェット(びょう)の数を確認するのが任務だった。その当時、リヴェットを打つ工員はその数で給料を支払われていたのである。キルロイは数え終わったリヴェットにチョークで印をつけていたのだが、彼が休みの時に工員がそのチョークを消してしまう。数え終わったリヴェットの数をわからないようにして給料を多くもらうためだ。 それに気付いたキルロイはリヴェットにチョークで印をつけた
I'm not a perfect person 僕は完璧な人間じゃない As many things I wish I didn't do たくさんの失敗もした But I continue learning でも僕は学び続けるんだ I never meant to do those things to you 僕は君にあんなことをするつもりじゃなかった And so I have to say before Igo だから行く前に言わなきゃならない That Ijust want you to know ただ君に知っていてほしいんだ * I've found a reason for me 僕は理由を見つけたんだ To change who I used to be 今までの自分から変わるための A reason to start over new 最初からやり直すための理由 An
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