寛容のパラドックス(かんようのパラドックス、英: paradox of tolerance)とは、カール・ポパーが1945年に発表したパラドックスである。このパラドックスは、「もし社会が無制限に寛容であるならば、その社会は最終的には不寛容な人々によって寛容性が奪われるか、寛容性は破壊される」と述べる。 ポパーは、「寛容な社会を維持するためには、寛容な社会は不寛容に不寛容であらねばならない」という一見矛盾した結論に達した。なお、ポパーは不寛容な哲学の発言を禁止するべきではなく、合理的な議論で打ち返すべきであり、拳固やピストルを用いて自説を押し付け反対者の自由を禁じようとした時に、不寛容に対して不寛容である権利を要求するべきであるとした[1]。 権力や立場の差を考慮せずにすべての言論を等しく自由に認めることは、実際には強者を利して弱者に不利益をもたらす「抑圧的寛容」であると論じ、右派の言論を認
検閲の大部分は「自己検閲」で成り立っている――国家による検閲と個人の自己検閲/仲介者検閲投稿者: heatwave_p2p 投稿日: 2024/4/172024/4/17 Pluralistic 私は多くの博識者を知っているが、エイダ・パーマーは別格だ。優れたSF作家であり、優れた歴史家であり、優れた脚本家であり、優れた歌手であり……。 – https://pluralistic.net/2022/02/10/monopoly-begets-monopoly/#terra-ignota パーマーは友人であり同僚だ。2018年、彼女とエイドリアン・ジョーンズ、そして私は、シカゴ大学歴史学部(エイダは宗教裁判とルネサンス期の禁忌の知識を専門とするテニュア教授)で「印刷機からインターネットまでの検閲、情報統制、情報革命」という大学院セミナーを共同で行った。 – https://ifk.uchic
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BlueskyやThreadsに受け継がれたネット原住民の叡智 2024.04.15 Updated by yomoyomo on April 15, 2024, 14:17pm JST 旧聞に属しますが、少し前にBlueskyを眺めていて、マイク・マズニックが「ガチギレしてごめん。我慢ならなかった」とTechdirtの記事を告知する投稿をみて、相変わらず意気盛んだなと微笑ましく思った話から今回は始めたいと思います。 マズニックがガチギレしたのは、「バーチャルリアリティーの父」ジャロン・ラニアーと政治学者でミドルベリー大学教授のアリソン・スタンガーがWIREDに寄稿した「すべてを救えるインターネット・ハック」という記事で、これは前回の文章でも触れた、ユーザー生成コンテンツに対するプラットフォーム企業の免責条項を定めたとも言われる通信品位法230条の撤廃、つまりは「インターネットを生み出し

The story of Babel is the best metaphor I have found for what happened to America in the 2010s, and for the fractured country we now inhabit. Something went terribly wrong, very suddenly. We are disoriented, unable to speak the same language or recognize the same truth. We are cut off from one another and from the past.It’s been clear for quite a while now that red America andblue America are be
池江璃花子が平社員と同じ立場だと主張するバカ(anond:20210508032456 とか、ブコメとか)が大量に湧いていて開いた口が塞がらない。 四の五の言う前に、とりあえず池江璃花子のオフィシャルサイトを見てくれ。そこらへんの平社員が、こんな見栄えの良い、内容の充実した、IEにも対応していて右クリック禁止の個人サイトを持っているか?そもそも、そこらへんの平社員が自分の個人サイトに「オフィシャルサイト」なんて名前をつけてもギャグにしかならないだろう。 「お知らせ」をクリックすれば、メディアへの出演情報がたくさん表示される。そこらへんの平社員がこんなにテレビにたくさん出演するか?池江璃花子を単体で特集したNHKスペシャルが2回も3回も放送されているが、こんな平社員がいるか? 「企業・団体の皆様へ」をクリックすれば、スポンサー企業の名前がずらりと並ぶ。ヤクルトと東京海上日動とSK-ⅡとCM契

Published 2019/11/20 07:00 (JST) Updated 2019/11/20 10:03 (JST) 読むに堪えない罵詈雑言がはびこるインターネットの世界。意見や表現をめぐり「炎上」という言葉が目立つようになって久しい。自由にものを言えるはずのネット上では、SNSなどを通した過激な意見同士の殴り合いが日常茶飯事で、人々の分断は深まるばかり。安倍政権の対韓輸出管理や、日本赤十字社がポスターで採用した女性のアニメキャラクターの是非をめぐるネット論争は、最近の顕著な例だろう。しかし、驚くべきことに、ネットの世界ではむしろ穏健な人が増えている。10万人の調査で分かったのは、意外な結果だった。どういうことなのか。『ネットは社会を分断しない』(角川新書)の著者の一人、慶応大経済学部の田中辰雄教授(計量経済学)に、解説してもらった。 * * * * * ■「ネトウヨ」「

インターネットが登場した時、ネットによって人々は時間と空間の制約を超えて交流することが可能になり、体験と知見が共有され相互理解が進むと期待された。相互理解は民主主義の基盤であり、ネットは民主主義をより良くすると素朴に信じられていた。しかしながら、現実には相互理解が進むというより誹謗と中傷が跋扈(ばっこ)し、相互批判ばかりが目立つようになった。人々の政治的な意見は左右の二つの陣営にますますわかれていき、社会は分断されているという印象が生まれる。アメリカでは、この分断はデータによって裏付けられており、分極化(polarization)と呼ばれている。 分極化が起きるのは、ネットでは自分好みの情報ばかりを選ぶ一方で反対の意見には接しないという「選択的接触(selective exposure)」が起こりやすく、「エコーチェンバー」現象が加速するからであるとされる。エコーチェンバー現象とは、自分と
福島原発処理水の海洋放出を決断する時だ 福島に寄り添い、差別とは断固として戦う 細野豪志 衆議院議員 東京電力福島第一原発に保管されている処理水を巡って議論が活発になっている。きっかけの一つは、各種の国際会議において韓国が処理水の危険性を喧伝したことにある。 処理水に関する責任の一端は、原発事故直後の責任者である私にもある。過去にも処理水については国内でも様々なデマが流布してきたが、疑いを持たせた責任は原発事故を防げなかった政府にもあると考えて、批判はしてこなかった。 しかし、国内のデマを放置してきたことが、韓国の政治的かつ理不尽な主張につながっている面があり、もはや放置することはできない。 結論から言うと、私はトリチウムを含む処理水を海洋放出する以外の選択肢はないと考えている。 処理水については、事故直後より様々な方法が検討されてきたが、トリチウムを除去するには膨大な電力を要し、全ての処

1992年『ゴーマニズム宣言』開始小林よしのり信者は「コヴァ」と呼ばれ若年右翼の代名詞となる。 2000年2ch「ハングル板」開設ネット右翼の根拠地として栄える。 2001年扶桑社版『新しい歴史教科書』文科省検定に合格2002年日韓W杯ネット右翼がこれを機にコピペ工作をするようになる。 各板の住人と摩擦を起こし「嫌韓厨」と呼ばれるようになる。 拉致問題初の日朝首脳会談において北朝鮮が拉致を認める。 拉致被害者のうち五名が帰国する。 2004年韓流ブーム『冬のソナタ』がヒット。韓流ドラマが人気に。 これに辟易する空気につけ込んだネット右翼が「テレビ局は在日に支配されていて韓流をゴリ押ししている」などと吹き込む。 「反テレビ」「反マスコミ」の空気が拡大しはじめる。 2005年『マンガ嫌韓流』発売「嫌韓厨」というものの存在を一般に知らしめる。 この頃から「ネット右翼」「ネトウヨ」といった呼称が登

特定されるかもしれませんが、書く。四日前に私の友人だった女の子がなくなりました。 まだ詳しいことは分かりませんが、ほぼ自ら選んだものであるとのことです。彼女はトランス女性でした。つまり生まれたとき戸籍は男性とされて、でも自分を女性だと自認していた、トランスジェンダーの女性でした。 ツイッターが原因かは正直わかりません。 でも私はそう思ってる。 半年前、御茶ノ水女子大学がトランス女性の入学を受け入れるというニュースに喜んだ彼女は、ツイッターで喜びを表現して、あるアカウントから悪意あるセクマイ様やトランス様という言葉を受け取ったようです。そのとき彼女は私からみても分かるほどとても不安定でした。 いつもは、失恋しても、ひどい恋愛をしても、すぐケロッとしてる強くて優しい人でした。 彼女が高校生で学ランを着ていた頃からずっと側で見ているので知っています。彼女が学ランを脱いで、メイクしてファッションも

わいとあるオタクコンテンツの製作チーム。業界歴15年位。割と食えてるサイド。 この記事は愚痴です。 コンテンツの人気が上がるにつれてその作品のファンが増えていくのは(その作品の売上が上がって俺らが食えるようになるっていう、生活レベルの話とは別に)クリエイターの端くれとして大変嬉しいです。 でも、ファンの中には一定確率でキチガイとしか言えないような人が含まれていて、皆さんが思うよりも本当に本当にキチガイです。どれくらいかというと「無料で全部Webにアップしてください」とか「値段を半額にしてください」とか「作中の固有名詞Aは不愉快なので変えてください」とか「登場人物Bを殺して私が考えたオリジナルキャラを出してください」とか本気で言ってきます。これ、フリとか、大げさじゃないですから。本気でそういうことを言う人がいます。しかも、皆さんが思ってるよりずっとずっと多くいます。 んでもって、そういう声を

タイトルが物騒ですね。Twitterでとある呟きが流れてきて、ああ自分もそういうことを考えていたなぁと思い出したので初投稿です。 「キャラを人質にした言論統制」というおどろおどろしい言葉が一体何かと言うと、 「好きなキャラの印象が悪くなるといけないから、キャラ好きを公言するなら言動を慎みましょう!」という運動・風潮のことです。 色々な作品、もしくはあらゆる趣味・仕事、または政治的主張まですべてに拡張できる論理ですが、今回のブログの発端であり、また僕自身も説明がしやすい「アイドルマスターシンデレラガールズ」というコンテンツを例に語っていきたいと思います。アイドルマスター及びその派生作品には「担当P」という概念が存在します。 「アイドルをプロデュースするゲーム」なので、特定のアイドルを選んでプロデュースするのですが、その子をプロデュースしている人を「○○担当P(プロデューサー)」などの呼称
五輪ロゴの記事を2chブログに晒されて以来、周囲から「よっ上級国民!」とか「上級国民なら、奢ってくれなきゃダメだろう」とか言われる今日この頃、みなさまどうお過ごしでしょうか? 先日、2chブログ「俺的ゲーム速報刃」さんより、 という記事が。 僕の五輪ロゴの記事にコメントをすると、もれなく言論封殺されてFacebookアカウントが消滅するぜ!という内容のものです。曰く、擁護派の暗躍で、批判コメントはもれなくFacebookアカウントが消されるとか。こちらは探偵ファイルさんのこちらの記事を更に誇張した二次報のようです。そして元記事そっちのけではじまる、探偵ファイルvs刃の謎バトル。 それはそうと外資ITといえば、国とすらバトル上等な独立独歩の集団。Facebookにすら影響を及ぼす広告・デザイン業界の闇の権力というのは、300人委員会クラスの権力を持った秘密結社なんでしょうか? ともかくFac
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